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なぜか美術史、そのうち芝居(7)
引き続き、美術史について書きます。

さて、明治期の日本ですが、
新しくできた日本政府は、天皇制の正当性をより明確にするために、
「神道と仏教を分離しましょう」という政策を出しました。

それが予期せぬ形で、廃仏毀釈運動となってしまいます。

結果、日本の仏像や寺院は次々に破壊され、
日本の貴重な美術品が、海外のコレクターにどんどん買われていきました。

ちなみにWikipediaの廃仏毀釈によると、
現在、国宝に指定されている興福寺の五重塔は、25円で売りに出され、薪にされようとしていた。

というから、恐ろしい。


当時の日本は、西洋化の大きな波に飲み込まれており、
自分たちが今まで積み上げてきた芸術の価値を、見失っていたわけです。

そんな中、日本美術保護のために、日本最初の美術家養成学校が設立されます。
それが、東京美術学校(後の東京芸術大学)です。

その第一期生の中に、横山大観(よこやまたいかん)もいました。


日本美術に興味のない人でも、
横山大観の名前は知っている気もするのですが、どうなんでしょう。

《無我(むが)》横山大観(1868-1958年)筆 東京国立博物館
《無我(むが)》横山大観(1868-1958年)筆 東京国立博物館

教科書で見たことがある、この子ども、
なんかぼーっとしてないか?と思ったら、タイトルが『無我』だったのですね。


私は横山大観というと、富士のイメージがあるんです。

《不二霊峰(れいほうふじ)》横山大観(1868-1958年)筆 メナード美術館蔵
《不二霊峰(れいほうふじ)》横山大観(1868-1958年)筆 メナード美術館蔵

大観は、朝日新聞の取材にこう答えています。

>(前略)富士の形だけなら子供でも描ける。富士を描くということは、富士にうつる自分の心を描くことだ。
>心とはひっきょう人格に他ならぬ。それはまた気品であり、気はくである。
>富士を描くということは、つまり己を描くことである。
>己が貧しければ、そこに描かれた富士も貧しい。富士を描くには理想をもって描かねければならぬ
                              (大観「私の富士観」『朝日新聞』昭和29年5月6日より引用)

ひっきょう(副詞):その物事や考えをおし進めて最後に到達するところは。結局。要するに。


大観も、前回記述した『写意』と同じ事を言っているわけです。
この言葉は、私の心に、しかと刻み込まねばならない。


さて、大観と同じ東京美術学校1期生の中に、菱田春草(ひしだしゅんそう)という人がいます。

菱田春草(1874年-1911年)は大観の無二の親友でしたが、
若くして腎臓疾患のためにこの世を去りました。36歳でした。

大観は晩年、春草について、このように語っています。


『あいつ(菱田)が生きていたら俺なんかよりずっと巧い』


重要文化財《落葉(らくよう)(左隻)》菱田春草(1874年-1911年)筆 永青文庫所有・熊本県立美術館寄託
重要文化財《落葉(らくよう)(左隻)》菱田春草(1874年-1911年)筆 永青文庫所有・熊本県立美術館寄託

重要文化財《落葉(らくよう)(右隻)》菱田春草(1874年-1911年)筆 永青文庫所有・熊本県立美術館寄託
重要文化財《落葉(らくよう)(右隻)》菱田春草(1874年-1911年)筆 永青文庫所有・熊本県立美術館寄託

この絵に、西洋画の遠近法は用いられてはいません。

手前の木の肌は無線描法でしっかりと描かれているのに対して、後ろの木肌は、朦朧体で描かれています。
地面は描かれていません。降り積もった落ち葉が、ただそこにあるだけです。

手前の積もった落ち葉が、奥に行くにつれてなくなっていきますが、
これは落ち葉がなくなったわけではなく、深い霧に覆われているのです。

奥に行くにつれてかすかに見える木々の根元が、そこにおそらくある地面を想像させます。
深い霧に包まれた日本の山間の姿を、空気感とともに見事に再現しているのです。


さて、春草の代表作をもう一つ。

重要文化財《黒き猫(くろきねこ)》菱田春草(1874年-1911年)筆 永青文庫所有・熊本県立美術館寄託
重要文化財《黒き猫(くろきねこ)》菱田春草(1874年-1911年)筆 永青文庫所有・熊本県立美術館寄託

写実的に描かれた黒猫と、輪郭線を用いた柏の木。
背景は描かれず、木の根元に落ちた2枚の葉が、そこに地面を想像させます。

この作品も、西洋の遠近法は、用いられていません。

なんでもこの作品、第3回文展(文部省美術展覧会)に発表した作品なのですが、
制作していた屏風「雨中美人」の着物の色が思い通りにならず、予定を変更して5日で描き上げたそうです。

隣の家から借りてきた黒猫が、逃げまくって困ったとのこと。


美しいですよね。
5日で描いた作品が、重要文化財というのも驚きですけど。


さて、菱田早春も『写意』を追求した画家でした。


菱田早春は晩年、

『本質を描こうとすると、線描の筆数は、限りなく減らすことができる。』

というところに、至ったのだそうです。

《月四題のうち秋》菱田春草(1874年-1911年)筆 山種美術館蔵
《月四題のうち秋》菱田春草(1874年-1911年)筆 山種美術館蔵


1910年製作、月四題のうちの『秋』です。

早春がこの世を去る、1年前の作品です。
よろしければ、他の作品も是非どうぞ。

『月四題-春』『月四題-夏』『月四題-秋』『月四題-冬』

これを見ていると、時間が止まったような気さえしてきます。


さて、私の中での美術史を整理するのは、一区切りしようと思います。
文人画も浮世絵も全く触れませんでしたが、その辺は折を見て。

次回は、演劇における『写意』、私にとっての『写意』ですかね。

頭の中が整理できるだろうか・・・。
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