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なぜか美術史、そのうち芝居(6)
前々回に引き続き、美術史について書きます。

円山応挙が生き、曾我蕭白が生きた同年代に、伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)という画家が、やはり京都にいました。
一番早く生まれた伊藤若冲ですが、同年代に活躍した絵師の中で、一番長く生きています。

伊藤若冲(1716年-1800年)
円山応挙(1733年-1795年)
長沢蘆雪(1754年-1799年)
曾我蕭白(1730年-1781年)

ちなみに琳派の尾形光琳(1658-1716)がこの世を去っている年に、若冲は生まれています。

若冲は、京都の青物問屋の長男として生まれました。
お酒も芸事もせず、妻も娶らず、40歳の時に家督を譲り、
84歳までひたすら絵を描くことのみに没頭し、生涯を終えました。

若冲と言えば鶏。自宅の庭には軍鶏を数十羽飼って、いつも観察していたそうです。

《動植綵絵内-群鶏図(どうしょくさいえ-ぐんけいず)》伊藤若冲(1716年-1800年)筆 宮内庁蔵
《動植綵絵内-群鶏図(どうしょくさいえ-ぐんけいず)》伊藤若冲(1716年-1800年)筆 宮内庁蔵

見る者を強く引き込む、どぎついまでの強い彩色。
鶏だとわかっているはずなのに、幻惑的な世界を醸し出しています。

Wikipediaの動植綵絵によると、「動植綵絵」は、若冲が臨済宗相国寺に寄贈したものですが、
明治22年に相国寺から明治天皇に献納され、その下賜金1万円のおかげで、
相国寺は廃仏毀釈の波の中も、1万8千坪の敷地を維持できたそうです。

群鶏図の構図の秘密について、過去にNHKで特集を組まれたようです。
こちらのブログが、その時の画像付きで詳しく説明してくれています。


さて、この伊藤若冲。細密に書かれているその鳥の姿は、写生的と言われるのですが、
写生画としては、色・形など、細部まで厳密であるとは言えないのだそうです。

厳密な写生でないにもかかわらず、なぜ若冲の絵は、ここまで人を魅了するのか。


この頃の日本に中国から、『芥子園画伝(かいしえんがでん)』という本が入ってきます。
ようは絵を描く技法を書いた本で、この中に『写意』という言葉が出てきます。

伊藤若冲は、この『写意』を重んじた絵師と言われているのです。



そこで、大阪大学文学研究科助教授の濱住真有氏の論文の冒頭に記載されている、
日本美術史学者で東京大学名誉教授の河野元昭氏の著書「江戸時代『写生』考」からの引用部分を私も拝借し、

『写意』について整理してみたいと思います。

>(中国において)写意には第一から第三までの三つ意味があり、
>それは、第一に「対象の大意の描写」である「客観写意」、
>第二に「描き手の意趣の描写」である「主観写意」、
>第三に「自由奔放な筆墨技法」や「没骨のような技法語」である「技法写意」とされる。

三つ目は技法に関わる部分なので、ここでは第一、第二に絞って整理すると、


『客観写意』:対象の大意の描写
『主観写意』:描き手の意趣の描写


となるわけです。

では、作品に心(魂)を入れるために必要な、『対象の大意の描写』と『描き手の意趣の描写』とは、
別な言葉で言い換えられないかと思い立ち、私はこのよう考えました。


『客観写意』:対象の大意の描写=対象が輝きを放った、対象本来が持つ魅力(生命力・気品)
『主観写意』:描き手の意趣の描写=対象を描きたいと思った、書き手がすくい上げたい対象の魅力


あくまで美術に関して素人の私の見解ですが、
円山応挙がもし『軍鶏』を描くのならば、『客観写意』を重要視し、
まず、軍鶏として厳密である事を何よりも大切にしたのではないかと思うのです。

だからこそ、円山応挙の作品は『応挙が見える前に、まず軍鶏である』のだと思うのです。


反対に曾我蕭白は『主観写意』を重要視したからこそ、
『曾我蕭白だからこそ描ける軍鶏になる』のだと思います。


さて、実はここで『写意』に、『客観』も『主観』もあるのかという問題点が浮上します。


そもそも『客観』というのは、突き詰めると製作者の理想を述べた言葉であり、
『客観』と言ったとしても、結局は製作者の『主観』となってしまうからです。

例えば『軍鶏』の気品と生命力は、
結局は製作者が『軍鶏』のその立ち姿に、製作者の客観的見解から気品と生命力を感じたわけであり、
百歩譲って『軍鶏』が仮に筆を持って自分の姿を描いたとしても、
『軍鶏』は、自分自身を客観視できないというわけです。


しかし、もう一歩踏み込んで、こう置き換えてみたらどうでしょう。


対象が輝きを放った、対象本来が持つ魅力(生命力・気品)=本質


『写意』というのは、goo辞典ではこのように記されています。
>東洋画で、外形を写すことを主とせず、画家の精神または対象の本質を表現すること。

つまり、
『客観写意』:対象の大意の描写=対象が輝きを放った、対象本来が持つ魅力(生命力・気品)=対象の本質を表現すること
『主観写意』:描き手の意趣の描写=対象を描きたいと思った、書き手がすくい上げたい対象の魅力=画家の精神を表現すること


という事ではないかと、思うのです。

では改めて、若冲の他の作品を見てみましょう。


《紫陽花双鶏図(あじさいそうけいず)》伊藤若冲(1716年-1800年)筆 プライス・コレクション
《紫陽花双鶏図(あじさいそうけいず)》伊藤若冲(1716年-1800年)筆 プライス・コレクション

うーん。うまい!!

是非、画像をクリックして細部までご覧下さい。

写実と想像を見事に調和させた、伊藤若冲。
私の大好きな絵師の一人です。


次回は、明治期に新しい日本画を探求した、二人。
菱田春草(ひしだしゅんそう)と横山大観(よこやまたいかん)でしょうか。
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