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コントと演劇の笑いの違い(1)
例えば、舞台の真ん中で二人がおかしな話をしているとする。

すると、突然片方が怒り、舞台袖まで行ってしまう。
その人を舞台中心まで引き戻して話を続けたら、コント。
袖でそのまま話を続けたら、演劇。

そんなことを、昔、ラサール石井さんが言っていたように思う。

「コントの笑い」であろうが、「お芝居の笑い」であろうが、『笑い』には違いがないのだが、
あえて強引にでも線引きをするのならば、
言っていることがおかしいのが、コント。
その人との関係性が面白いのが、演劇なんだと思う。

舞台袖で話を続けるというのは、
その去ろうとした人と、引き留める人の、
物理的距離、かつ中心からの相対的な距離(空間的な位置付け)が、
その二人の心理面の距離感を表しており、
それが二人の関係性を示す一要因となり、笑いに転嫁されるのであろう。

例えば、とある事情で逃げ込んだトイレの個室に、
すでに人が座っていて用を足していたとする。
本来ならば距離を取りたいはずの二人が、非常に狭い密室におり、
それが、通常では得ない距離感で会話をしなければいけない状況を生み、
なおかつ、沈黙の間にも、物語が進んでいく。

沈黙の間にも、関係性を追わなければならない空間が、
非常に演劇的な笑いを生みやすい環境であったりする。


かといって、最近お笑いを見ていても、ネタが非常に演劇的だと感じており、
もはや、その線引きをすることが意味をなさない気もするが、
面白くないお芝居には、関係性や距離感が薄いと感じることが多い。


『キャラクター』という言葉がある。

そもそも、本来の意味では、性格や人格と訳されるのだが、
日本人の用いる「キャラクター」という言葉は、
「アニメのキャラクター」や「マスコットキャラクター」の用に、
特徴的な一面をさして用いている事が多い気がする。

キャラクターという言葉自体に、
一面性という意味が内包してはいないが、
人が得意な一面ととらえることができるものを、
「キャラクターとして面白い」などと用いてきたため、
とらえやすい簡単なもの、明瞭なものとして、
キャラクターという言葉に、
日本人が一面的な意味合いを含めて用いてきた結果だと思う。

人は、多面的な性格を持っている。
多重人格とまで言わなくとも、
家族といる自分、恋人といる自分、会社の中の自分。
それぞれが同じであって、同じではない。

特に日本人は、一番に思っていることを、あまり口にしない。
逆に言うと、本音を言える相手がいたりもする。
電話の相手が誰であるからで、出る音が微妙に違ったりもする。

そして、その多面性すべてを含めて、一人の人格が構成されている。

演劇とは、その多面性の表現であって、
一面的な人物像は、インパクトを与えることはあっても、
そこに人間ドラマを見せることは、容易ではない。

あるシーンを作るとき、
そこに求められているのが、ある種のキャラクターなのか、
人間の感情の機微なのか、考える必要がある。

キャラクターとは、時に幼く見え、言ってることがおかしいだけで、
同じシーンをもう一度見ても、案外笑えなかったりしないだろうか。

かといって、面白いコントは、何度見ても面白い。

そこには、やはり関係性も表現されているような気がするのだ。


   追記:「コントと演劇の違い」というワードで、この記事に来る方が非常に多いです。

   この記事のエントリーは何年も前のもので、今読むと、わかりにくい文章だなと感じております。
   よろしければ、「コントと演劇」のカテゴリーにある『コントを演劇的に見る』も、併せてご確認ください。

追記:松尾スズキさんとラサール石井さんの、コントと演劇に関する対談を見つけました。
コントと演劇の笑いの違い(2)をご覧下さい。
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