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三井記念美術館 茶会への招待 ~三井家の茶道具~ 2012/2/8~4/8
先日、三井記念美術館で茶器を見てきました。
もう終わってしまいましたが、忘れないために書いておきます。

もともとは、長次郎の黒楽茶碗を見てこようと思ったのがきっかけでした。

重要文化財《黒楽茶碗》銘 俊寛 楽家初代 長次郎作
《黒楽茶碗》銘俊寛 楽家初代 長次郎作

長次郎は、千利休の指示で、利休好みの茶器を京都で焼いた人です。

自然の中の飾らない美を追究した利休ですが、
こんな事を素直に書いて、私の品格を疑われるのかも知れませんが、
ただの黒い茶碗に、良いも悪いもあるのか、自分の目で確かめたかったのです。

そして、実際の黒楽を目にして、その存在感はすごかったです。

重厚で暖かいその色合いや形状も気に入ったのですが、
画像では見えませんが、上から見た時の色合いが、大変気に入りました。

本阿弥光悦作の黒楽茶碗もありましたので、
そちらも見て頂きたいのですが、

重要文化財《黒楽茶碗》銘 雨雲 本阿弥光悦作
重要文化財《黒楽茶碗》銘雨雲 本阿弥光悦作

この縁のさびれた茶色の土の色合いが、長次郎の黒楽の内側にも広がっているのです。
その土の地肌の茶の中で抹茶をたてたら、さぞや美しいだろうと想像して見ていました。

※長次郎の黒楽茶碗を上から撮影した写真を探したのですが、見つかりませんでした。

次に見て頂きたいのは、初代長次郎と、三代道入の比較です。

《赤楽茶碗》銘 銘鵺(ぬえ)楽家三代 道入作
《赤楽茶碗》楽家三代道入 銘鵺(ぬえ)

実はこの赤楽茶碗ですが、どうも私には、ぴんと来なかったんです。
景色も楽しめますし、手に持ったときにしっくり来るのも、わかるんです。
しかし、いかんせん、どうも好きになれない。

その時、自分が仁清をあまり好きではないことを思い出しました。

《色絵鱗文茶碗(いろえうろこもんじゃわん)》野々村仁清作
《色絵鱗文茶碗(いろえうろこもんじゃわん)》野々村仁清作

《色絵桐巴文水指(いろえきりともえもんみずさし)》野々村仁清作
《色絵桐巴文水指(いろえきりともえもんみずさし)》野々村仁清作


仁清は、高い技法だけではなく、斬新なデザインでも注目された人で、
琳派にも大きな影響を与えたとされる陶工です。

色絵鱗文茶碗では、鱗を三角形にデザインしてますよね。

私は、仁清の洗練されたデザインがすばらしいことはわかるのですが、
あえていうなら、どうも作為的なものを感じてしまうのです。

ちなみに古田織部が朝鮮で焼かせたという、御所丸茶碗も展示されていました。

《御所丸茶碗(ごしょまるじゃわん)》
《御所丸茶碗(ごしょまるじゃわん)》


実は織部焼も、同様の理由で、個人的にはあまり好きではないんです。
どちらかというと、完全に無作為な、井戸茶碗の方が私の好みなのです。

《大井戸茶碗》上林井戸
《大井戸茶碗》上林井戸

井戸茶碗はもともと朝鮮の生活雑器で、それを茶の湯で茶器に見立てて使ったものです。
その素朴な景色に味わいを見いだした、日本人の感性に、とても敬意を表したくなります。

また、火襷(ひだすき)も好きです。

《備前火襷水差(びぜんひだすきみずさし)》
《備前火襷水差(びぜんひだすきみずさし)》

火襷とは、陶器同士が窯の中でくっつかないように、藁を巻いて焼いたところ、
赤い線が文様として、表面に現れたものです。


そして、作為的でありながらも、また偶然の産物としての一つの完成形として、
天目茶碗があるような気がしました。

重要文化財《玳皮盞(たいひさん)》鸞天目(らんてんもく)
重要文化財《玳皮盞(たいひさん)》鸞天目(らんてんもく)

昔、蓮の花托の画像が世の中に出回って、ぞっとしましたが、
天目茶碗の無数の目は、身の毛のよだつほどの神秘さをたたえています。

ちなみに天目茶碗は中国で焼かれた陶器らしいですが、
中国人は、この模様を不吉なものとして嫌ったらしく、
中国の美術館には、天目茶碗は1つも残されていないそうです。

吸い込まれるような天目の美しさは、恐怖と紙一重なのでしょう。


そして最後に見て頂きたいのが、国宝の志野茶碗

国宝《志野茶碗》銘卯花蠣(うのはながき)
国宝《志野茶碗》銘卯花蠣(うのはながき)


この志野茶碗も、作ったときは作為が込められているのでしょうが、
碗自体に、作為性は感じませんでした。

重要文化財と国宝の差がどこにあるのかまでは、今の私にはわかりませんでしたが、
やはり、名のある名器は、どれも風格と存在感を備えていました。


さて、道入の赤楽が、なぜ私の好みでなかったのか、自分なりに考えてみたのです。

それはおそらく、私にはどうも『がんばってる』気がした。

という事なのではないかと思ったのです。


私にとって、無作為がすべてすばらしいという意味では、ありません。


ただ『がんばってる』と感じてしまうものは、茶器も役者も、私は好きじゃないんだな。

という、結論に至ったのでした。
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