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コントを演劇的に見る - バナナマンの『WANDER MOON』
バナナマンの『WANDER MOON』



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00:00
冒頭、日村が振り向いて「きれいな月だなぁ。」と言う。
常に正面を向いて話を進めるスタイルの、漫才ではないということを客は理解する。

また、冒頭で客が月を認識することにより、
月と日村の位置関係(距離)を理解し、舞台の外にも空間が広がっていると想像する。

この月を、日村が客席後方に視線を送り、無対称芝居で客に感じさせることもできる。

しかし、無対称芝居を行う場合、そこに月はあるものとしてほしいと、
舞台の約束事項を、客に押しつける事にもなりかねない。

「きれいな月だなぁ。」の台詞が説明となっていないのも、
振り向いて言葉が口から漏れるまでの流れを丁寧に行い、しっかりと成立させているからであろう。

またこの物語は、日村が、すでに月を見ている状態からはじめることもできたはずだ。

日村が月を見ている状態からはじまった方が、情緒は生まれるかも知れない。

しかし、仮に後ろを向いた状態で始まった場合、
月を見ているところからはじまったという状況は説明しやすいが、
明かりが入ってきたとき、すでにどれほど月を見ていたのかはわからない。

冒頭、正面から振り向くという行為が、物語のスタートを明確にし、
その後の「きれいな月だなぁ。」を言うまでの間が有効に働いている。
振り向いて台詞を言う事で、導入部の時間短縮に成功しているのだ。


また「きれいな月だなぁ」という台詞は、
思わず口に出た言葉なのか、それとも誰かに向けて発した言葉なのか、
最初の一瞬だけでは、判別することはできない。

しかし、このあと「うん(納得。」と自己完結することにより、
「きれいな月だなぁ」は、思わず口に出た言葉だとわかる。

しかも月が出ていることから、舞台上は夜であり、
夜に大きな声で「きれいな月だなぁ」と言えるほど、
周りに他に人がいない場所であり、
そんな中でも、大きな声で感動を言葉にできるほど、
日村は、純粋な存在である事を、客に瞬時に理解させている。



00:26
その後、日村はかみしも(上手・下手)に友人を探す。
相手を探す際に左右に体を揺らし、背伸びをすることで、
そこに遮蔽物が存在し、その視線の運びを細かく再現することで、
舞台の外に空間が広がっている事を、客にしっかりと想像させている。



00:29
ここに設楽が現れるが、設楽が近づくにつれて、日村は声のトーンを徐々に下げている。
これは、舞台上に明確な物理的距離感が存在していることを客に理解させている。



00:38
日村は「いきなりしゃべり始めるのかよ。」をしっかりと設楽を見て言う。

ここには、相手(設楽)と自分(日村)しかいなく、
ここで客席に「こいつおかしいでしょ」と同意を求める事をしない。

しっかりと相手を見て言うという行為が、このコントを、より演劇的なものにしている。

また設楽が日村を指す右手を、日村はさりげなく押している。

これは、設楽の指が、日村のテリトリーを犯しており、
日村が、設楽の指さし行為を「うざい」と感じたことを、さりげなく提示している。
つまり、日村は設楽にそこまで近づいて欲しくないのだ。

この物理的距離感をいきなり埋めてくるという行為が、
設楽の「空気の読めなさ。」のひとつの象徴である。

また日村は、設楽の手を押しのけるも、その後にすぐ謝罪をする。

日村は設楽にイラッとしたが、
日村がおりてきて、二人の関係は対等なのである。

だからこそ日村は、決して設楽を見下しているのではなく、設楽とは友人なのである。



00:44
ここから、設楽のゴムホースの話がはじまる。



01:15
あたりから、客席が笑いはじめる。
設楽の話はまだ途中である。途中なのに客席が笑いはじめるのは、
日村のリアクションを見て、笑っているのである。

では日村はオーバーリアクションをしているのかというと、そうではない。
日村は、設楽の話を聞いているだけである。

では、日村が設楽の話をだまって聞いているのが、なぜおかしいのか。

日村は、それゴムホースだよね。と思って話を聞いている。
そのことでストレスが貯まっていく日村を、客は見て笑っている。

だからこそ設楽の話の途中から、客の視線は、日村の表情を追う。

この設楽の話を聞く数秒間に、日村の変化がしっかりと描かれている。
この心の変化は、小さいことだがドラマである。

また、この設楽の話は、話のオチを想像させながら進む。
つまり、客も日村も「ゴムホースの話だよね。」と思って設楽の話を聞いている。

この先を想像させて、期待を裏切るのか、はたまた期待を裏切らないのか。
物語の先を想像させて、そこに追いついてくるあたりが、
このコントが、非常に演劇的だと感じる、重要な要素だと思う。

01:58
設楽がゴムホースだったという話のオチを聞いた時点で、
客は『そうだよね。ゴムホースだよね(笑。』と安心して笑う。

そしてその後の日村の「へたくそか、お前」で、よくぞ言ったと、客はすっきりする。

言ってることがただ面白いのではない。
二人の関係性が、面白いのである。



00:13
「ゴムホースだったんだよ。だよ。」
この台詞の、最後の繰り返しの「だよ。」
この「だよ。」には、日村の何とも言えない感情が、しっかりと込められている。

この「だよ。」は、「わかれよ。」の意味なのかも知れない。

では、「わかれよ。」と言えばいいというかというと、そうではない。

『だよ。』ですませるあたりに、
日村と設楽の、二人の距離の近さが表れている。


長くなりそうなので、とりあえず、ここまでにします。

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演劇は、連続する時間の中で、登場人物の関係性を紡ぎ、
物語の最初と最後における人の変化を、ドラマとして描くのだと、思っています。
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