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あの日の前後からの事2
昨年の10月頃の私は、
演出に関する、疑問を抱えていました。

  ※以下は、お芝居に関する専門知識がないと理解できないかも知れません。
   一般の方に向けての、親切な書き方ではありませんが、ご了承下さい。

その疑問とは、

『役者が役作りをする際は、演出家と同じ思考パターンを持つべきかどうか。』

というものでした。




私の演出方法は、
文学座の林田さんの元で(私が考え、感じ、)学んだことが、ベースになっています。

文学座の林田さんは、
同じく文学座の演出家である高瀬久男(読売演劇大賞/優秀演出家賞・桜美林大学准教授)さんの、
演出が好きだと、日頃から言っていました。

しかし私は、高瀬さんを遠目に確認させて頂いた事はあるのですが、
残念ながら、直接お話をさせて頂くチャンスがありませんでした。

林田さんからある時、
高瀬さんは『自分は、役者と同じコンテクストで芝居を作れる時、演出家としての喜びを感じる。』
と言っていたと、教えてもらったことがあります。


コンテクスト(Context)あるいはコンテキストとは

一般に、コンテクスト(あるいはコンテキスト)は、日本語では「文脈」と訳されることが多いが、他にも「前後関係」、「背景」などと訳される。コミュニケーションの場で使用される言葉や表現を定義付ける背景や状況そのものを指す。例えば日本語で会話をする2者が「ママ」について話をしている時に、その2者の立場、関係性、前後の会話によって「ママ」の意味は異なる。2人が兄弟なのであれば自分達の母親についての話であろうし、クラブホステス同士の会話であれば店の女主人のことを指すであろう。このように相対的に定義が異なる言葉の場合は、コミュニケーションをとる2者の間でその関係性、背景や状況に対する認識が共有・同意されていなければ会話が成立しない。このような、コミュニケーションを成立させる共有情報をコンテクストという。

(転載:Wikipediaより)


例えば、
『言葉が当たってこない。』
『それではリアクションがとれない。』
『もっと相手に、引っかかるように、台詞を言って。』

この3つの言い回しをとっても、
一般に人には、何を言ってるか、さっぱりわからないと思います。

私が昨年、20回ほど演劇のワークショップをやってきましたが、
この役者とのコンテクストの形成に、大変大きな時間を割きました。

演出家の作劇における共通言語(演劇用語)を理解できる事は、
役者の自身の演技を見つめ直す機会を増やし、結果演技の幅を広げることと考えていたからです。

しかし、私がかつて、
言葉に『当たる』なんて言い回しがあるのかと驚いたように、
私のワークショップに来ていた方々のほとんどは、
私の使う演劇用語に、一度も触れたことがない人たちが、ほとんどでした。

演出家は、役者に演技をしてもらうために、多くのだめ出しをします。
しかし演出家は、それを思いついたままに、口にしているわけではありません。

物事には、タイミングがあります。
また、言わなくてもいいこともあるんです。

15個のダメだしを、思いついた順番にクリアするよりも、
最後に気付いたダメを言うだけで、すべての問題をクリアする場合もあるんです。


そこで私は、そのうち疑問に思ってきたんです。


私は同じコンテクストで芝居を作りたいという思いから、
演出家と役者のコンテクストの形成が作劇に必要不可欠と、
勝手に決めつけていないだろうか。

私自身、思ったことをすべて口にしているわけではないのに、
役者が稽古場で、演出家と私と同じ事を考えている必要はあるのだろうか。

結果として、私と同じ思考パターンを、役者に押しつけて来ただけではないか。



それは、

『役者が役作りをする際は、演出家と同じ思考パターンを持つべきかどうか。』

という疑問になったのでした。


そんな時、秋元康さんが、AKBの大島優子さんに言ったとされる、
こんな一節を、目にしました。


この頃の大島は、真面目な優等生キャラだった。秋元康からは「お前、つまらない」「お前のその真面目なキャラどうにかしろ。」「もっと、くだけていいんだ」と言われていた。特に2期生は個性派ぞろいであったため余計に目立たなかった。子役時代から、2番目が定位置だった大島。オーディションでは、大勢の中から数名選ばれる時は合格できるのに、徐々に絞られる時は、最終選考で悔しい思いを何度もしてきた。そしてAKB48でも、優等生であるがゆえの苦悩があった。

(転載:まるっと大島優子@wikiより)
http://www43.atwiki.jp/oosima_yuuko/pages/13.html



役者は、どうであっても、板の上で輝かなければならない。

私とのコンテクストを形成しているうちに、
その人の『一番いい時期』を潰してしまっているかも知れない。

私は、役者を育成する為に、芝居をやっているわけではない。

役者が稽古を通じて、うまくなったかどうかは、私にとってどうでもいいことだ。

その人が板の上で輝いて、観客が喜んでさえくれれば、
私と役者が、コンテクストを持っているかどうかなんて、どうでもいいことではないか。

そもそも役者は、コンテクストを形成したくて、芝居をやっているわけではない。


いつしか私は、役者とのコンテクスト形成を、目的にしてしまっていた。


役者が私の言ってることを理解できないのならば、
役者が理解できる言葉を探し続けるのも、演出家である私の仕事ではないのか。

役者は、演出家だけ見ていたらダメだ。
役者は役者として、やらなければならない仕事があるはずだ。

という、考えへ行き着いたのです。



私は演出家として、役者の個性をできる限り尊重したいと思います。



しかし役者は、輝くためになら、何をやってもいいというわけでは、ありません。

では、何をやって良くて、何はやったらダメなのか。


例えば、役者が台本の台詞を勝手に言い換えたとしましょう。
言い換えた方が、役者は言いやすい。
でも演出家は、そこは言い換えて欲しくないとします。


この場合、台詞を言い換えるべきか、言い換えないべきか。


それは、演出家が『名目上、役者よりえらいとされている』から、
言い換えて欲しくないと、言えばすむ話なのだろうか。

『大御所の役者だから、そこは指摘できない。』ですむ話なんだろうか。


お客は、そんな一語変わったところで、何も文句は言わないかも知れない。
しかし、熱烈なその作品のファンは、そこは一語も変えないで言って欲しいかも知れない。

すべては、演出家の采配一つなのかも知れませんが、
私はこの時点で、なにが正しいのか、
どこまで、役者に要求可能なのか、自分の中に根拠を持てなくなっていたんです。


それが、昨年10月から12月頃の、私が作劇を再開できない、一番の悩みでした。
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