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クリエイティブに生きるその先に
『良い大学に行けば、幸福な人生を歩めるなんて幻想だ。』

この考え方を、私はいつ手に入れたのか、覚えていない。


学校教育の中で、そう教えられたのか、
それとも父が、そう言っていたのか。

社会への抵抗の意味で、自分にそう言い聞かせたのか。
はたまた、コンプレックスを持つ自分を弁護する意味で、そう言い始めたのか。


私は、いつのまにか、そう考えるようになっていた。




『人生は、お金が全てではない。』


これもまた、いつの間にやら、私が受け入れていた哲学である。



私は大人になっても「お金がある≠幸福である」という考え方は捨てなかったが、
ただ消費して終わる人生ではなく、クリエイティブに生きようと思うようになった。


私は自身のブログで、そのことについて触れている。

【生き方】クリエイティブに生きると言う事 (2010/06/10)



 しかし、私の中で、引っかかっていたことがあった。

 ふと、思い出す記憶がある。もう、何年も前の話だ。



誰の友人であったか知人であったか、もう忘れたが、
私は、友人が連れてきた大学生と、私の部屋で酒を飲んでいた。

その大学生は、
『自分は大学を出て、吉野家で牛丼を作るような大人になりたくはない。』と言い、
私たちは、『仕事に優劣はない。』と彼に説いた。


確かに私は、『仕事に優劣はない。』と彼に言ったが、
もしベルトコンベアで運ばれてくる荷物をトラックに積む仕事を一生しろと言われたら、
おそらく私は拒否するだろう。

『仕事に優劣はない。』と言った私ではあるが、
やりたい仕事と、やりたくない仕事は、確かにある。


では、お前は、なぜその仕事をやりたくないのかと、自らに問い直せば、


『別に楽な仕事を選びたいわけではない。
 クリエイティブでない仕事は、興味がわかないから。』という考えに至った。


  -でもそれって、優劣を付けているって事だよね。-


私は仕事に優劣を付けてしまっているのか。

いや、違う。そういう事ではない。


  ※荷物の運搬がクリエイティブではないと決めつけて済みません。そこは流して下さい。



父が好きであった言葉に、
『一隅を照らす、これ則ち国宝なり』(いちぐうをてらす、これすなわちこくほうなり)、というのがある。

天台宗の開祖、最澄の言葉である。

意味としては、

 花ならば、置かれたところで咲きなさい。
 中心で大きく輝かなくとも、片隅をしっかりと照らし続ける生き方は、国の宝である。


と言う意味になろうか。


私は、荷積みの仕事も、まさにこれだと思っている。


言ってしまえば、地味な仕事かも知れない。
しかし、一隅を照らしている人生であれば、今の私よりも、幸福に近いところにある気さえしてくる。



必ずしも、クリエイティブに生きる人生が優れているわけではない。

人は、輝いてさえいればいいのだ。



クリエイティブに生きると言う事は、
閃光のように眩しい輝きとなって、華々しく目に飛び込んでくるイメージがある。


しかし、例え地味な仕事をしていても、
大切な人を守ろうとし、他人の幸福をも願う人生は、優しい光を放っている。


震災で街のネオンは消えたが、
優しさと悲しみを分かち合った人々は、自らの中にある光に気が付いた。
その穏やかな光はぬくもりとなり、悲しみに寄り添った。
幸せは、確かにそばにあった。




 クリエイティブに生きるというのは、手段に過ぎない。



閃光でなくてかまわない。

穏やかに、そこにあればいい。


そうか。私は輝きではなく、ぬくもりを届けたいのか。
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