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日本人だからこそ描ける世界
私は「開運!なんでも鑑定団」が好きで欠かさず見ているのだが、
最近、物の『価値』について、改めて考えた。


きっかけは2011年7月19日の放送で、中島誠之助さんが楽茶碗を
『本物に間違いないが、茶碗は60万。もし箱があれば180万でしょう』と鑑定したことにある。


茶碗は、謂れ(いわれ)が大事である。
それはわかる。


しかし、箱があるだけで120万も価格が変わることに驚いた。



↑楽茶碗とは、こういうものです。



さて、私は芸大を出たわけではないので、下記考察は、曖昧な部分を含むものだと思って読んでほしい。



茶碗の価値を決めるには、

 美的価値=そのものが美しいことに対する価値?(物によってはコピー可?)
 芸術的価値=創造されたオリジナリティに対する価値?(コピー不可?)
 骨董的価値=歴史的価値=文化的価値。年を重ねたことに対する価値?
 希少価値=現存数に対する需要の量によって決まる価値
 利用価値=茶碗として使用できるという価値
 資料的価値=学術的価値

などがあると思う。


楽茶碗そのものの美的価値・希少価値などに対して、
箱があることにより、歴史的価値・文化的価値が付加されるため、
今回の楽茶碗は、箱があれば180万に跳ね上がる。

また箱には、資料的価値もあるのかも知れない。



さて、西洋アンティークと東洋の食器(茶器)を比べると、
西洋アンティークの価値は、技巧の細かさでほぼ決まるのに対し、
東洋の食器(茶器)は、無造作に自然発生した美的価値を大きく重んじる傾向がある。


例えば、朝鮮王朝時代に作られた井戸茶碗。

日本でも国宝や重要文化財に認定されている井戸茶碗であるが、
もともとは、日常雑器である。

つまり、飯を食うために裏庭から掘った土で茶碗を焼いたら、
それが、今や国宝として美術館に入っているのである。



↑井戸茶碗とは、こういうものです。



井戸茶碗の魅力は、その無造作な自然美にある。

私は、茶器にそれほどの価値=美を見いだした日本人を誇りに思う。



さて、3月に東日本大震災が起き、
私は自分の中に、『価値』とは何かを問い直した。


お金って大事ですよね。
私も、お金は大事です。

でも、それはそれでいいじゃないですか。

でも、あの震災があって、
お金じゃない物も、大事だって気付かされましたよね。



では、私の作る演劇に、どのような『価値』があるのか。



それは、独りよがりなものではなく、
かといって、人に媚びるものでもない。

未だこの世にない、新しい芸術を生み出すことでもない。
かといって、失われたものを取り戻すものでもない。


私にとっての芸術とは、自然美の中にある気がします。


生きているってすばらしい。


このことを、作品に込めることができたら、素敵だと思う。



演劇は、所詮嘘です。

演劇の中で起こる奇跡は、人の人生を救うことはできない。

今回の震災で、私は演劇の無力さを感じました。



しかし演劇は、誰かの人生に、寄り添うことができる。

人の悲しみに寄り添い、明日への力となす事ができる気がする。


その時、私の演劇は人間賛歌となり、
はじめて、『芸術』となるのだと信じて頑張ろうと思う。


日本人の自分だからこそ描ける世界が、必ずある。


それを信じて、踏み出せ。俺。
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