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【私の生き方】いつ死んでも後悔するように生きる
先日のブログで『一期一会』に関して触れた。

実はあの話には、少しだけ続きがある。
今日は、そのことを記しておこうと思う。


 そこで、前回と同じ文章ではじめる。


私は好きな言葉を聞かれると『一期一会』と答えることにしている。

父がまだ生きていた頃に「好きな言葉はなんだ」と問われ、
私は、『一期一会』と答えた。

すると父に、「なんだ、普通だな。」と言われた。

そして、父はこう続けた。


「一期一会は俺も好きだ。
 だからこそ、いつ死んでも後悔しないように、俺は日々を一生懸命に生きる。」


と。


その時私は、しばらく考えて、こう言った。

『たぶん、僕と父さんは、考え方が違うんだと思う。
 僕は、いつ死んでも後悔するように、一生懸命生きる。』

すると父は、『なんだ、一緒じゃないか。』と言った。


父は、気持ちよくお酒を飲んでいたし、
私はその時、自分の違和感を言葉にする力を持ち合わせていなかった。
父と一緒と思われてもかまわないと、その時は、それ以上その話に触れなかった。

 父が言う、『いつ死んでも後悔しないように、日々を一生懸命に生きる。』
 私が言った『いつ死んでも後悔するように、 日々を一生懸命に生きる。』


一生懸命に生きる事は同じだ。では、どう違うのか。
今の自分ならば、言葉にできる。



そもそも、人は死ぬときに後悔はしたくないものだ。


父は、59歳という年齢で癌で死んだ。
『まだ生きたい』という強い思いを持ちながら、この世を去った。

それは、自分の死を受け入れることができず、短命である事を恨みながらの死であった。


私は、自分の死を受け入れられない父を批判するつもりはない。
しかし、父は、後悔するべくして、後悔したのだと思っている。


私も死ぬときは、後悔はしたくない。
それなのに、『いつ死んでも後悔するように生きる』とは、矛盾していると思われて当然だろう。

ただ、私には、私の考えの方が、結果的に後悔しない気がするのだ。



私は今までに、いくつもアルバイトを転々としてきた。
私のバイト仲間には、バイト先に対する不満を強く持っていて、
『辞めてやる。こんな会社潰れちまえ。』と言っている人を、何度も見てきた。

辞めて『やる』という言い回しには、
自分が辞めたことを『後悔させてやる。』という思いが込められている。


それを聞くたびに、
『別におまえが辞めたところで、会社は潰れたりしない。
 どんな会社も、誰かが辞めても、どうにかして続いていくものだ。
 そもそも、会社が潰れるときは、おまえが辞めなくても潰れる。』

と思っていたものだ。
と思っていたら、自分のバイト先が、誰も辞めないのに潰れた。


実は、この社会も同じである。
誰が死んでも、世界は続いていく。


私は、父の『いつ死んでも後悔しないように、日々を一生懸命に生きる。』という言い回しは、
今日をやりきったという思いを、自身が勝手に決めているように感じていた。

例え今日をやりきったとしても、明日をやり終えることができないなら、
それは結局、後悔するではないか。


しかも人は、終わったと思ったら、もっとやりたいという欲求が出てくるものだ。
そもそも1度の人生で、やりたいことをすべてやれる人生があるなど、私は信じていない。


私が言う、『いつ死んでも後悔するように、日々を一生懸命に生きる。』という言い回しは、
そもそも人生は、やり終えて終わるものではないという考えが、根底にある。


私がやり残した事は、他の人が引き継いでくれればいい。


その為に、私は一生懸命に生きる。

私のやりたいことを引き継いでくれる人がいれば、私は悔しいが、引退できる。



結果的に、いつ死んでも後悔するように生きた方が、結果的に後悔しないと思うのだ。



この事を、あの時の父に言葉にしてあげられなかった事は、私の後悔だ。

ただし、父から学んだ多くのことは、私が引き継いで、つないでいく。



だからこそ私は、つながっていく人生を選ぶのだ。


KAN『よければ一緒に』
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