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【演出論】言葉における、明度と彩度
開運!なんでも鑑定団で西洋画の鑑定をしている永井龍之介さんが、
『鑑定団が3倍面白くなる!目からウロコの骨董塾』という番組で、
油絵具の明度について話をしていました。
(記憶をもとに書くので、事実と違った場合は連絡ください。)


まず絵具の種類についてですが、
そもそも、絵具というのは、顔料に何を混ぜるかで決まるらしいです。
そして、絵具に混ぜるものを、固着材と呼びます。


(顔料+固着材=絵具)


    水彩絵具:アカシア樹脂(ガム アラビック)を固着材に用いる絵具。
 水性テンペラ:卵、カゼインなどによるエマルションを展色材とする絵具。
     油絵具:乾性油を固着材に用いた絵具。

  ※展開材(固着材+溶剤) 詳しくは、Wikipediaの絵具を参照してください。


  ちなみに水彩絵具は水に溶け、油絵具は水に溶けないですよね。
  水性テンペラは水に溶けますが、乾くと重ね塗りができるらしいです。
  つまり、水性テンペラは水彩絵具と油絵具の中間の特性らしいです。



さて、絵具は時代と共に改良が加えられてきましたが、
絵画の世界に変革をもたらした、画期的な発明があったというのです。


実はそれが、『チューブ式の絵具』の発明。


では、なぜこれが、大きな変革をもたらしたのでしょう。


チューブ式の絵具が発明され、絵具を携帯できるようになった事で、
屋外で色を塗ることが容易なり、着色の為に工房にいちいち戻る必要が無くなったため、
風景画が多く描かれるようになったそうです。


携帯電話の普及が社会のありようを変えたのと、おそらく同じでしょう。

しかし、絵具を携帯できるようになったことだけが、すばらしかったわけではなかったのです。


チューブ式の絵具が生み出された事により、
着色の際に、実際にその風景を見ながらその場で色を塗れるようになったのが、
実は、現代絵画に大きな影響を与えたというのです。


 自然の風景は、光を浴びて、様々な色彩を放ちます。


画家達は、工房でスケッチしたときの色を想像して色を塗るのではなく、
実際の風景を目にして色を塗り始めたとき、その光が生み出す輝きの多様性に気付き、
その色彩の力強さを表現するために、今まで以上に表現を追求し始めたというのです。


そこで着目されたのが、「色の明度」です。


色(絵具)には、明度というのがあります。
それは、色本来が持つ輝きであり、力と言うことができるでしょう。

この絵具の明度、実は、混ぜると下がってしまうそうなんです。
そこで画家達は、油絵具を用いて、
あえて、今まで以上に絵の具を混ぜないように心がけて、絵を描きました。


近くで見たら青と黄色の点なのに、
遠目に見ると、日差しを受け様々に変化する、緑の草原が広がっている。


ちなみに、かのルノワールは12色。
光の魔術師と呼ばれた画家(誰か忘れた)は、10色の絵具で作品を描くそうです。



このように、チューブ式絵具の発明が、
表現の新しい可能性を追求させる、きっかけを作ったというわけです。



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さて、実はここからが本題。

今回の話は、かみ砕いて話すことができていません。
何を言っているかわからない人は、ごめんなさい。
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まず、私の考える「台詞と感情の関係」について書きます。

 人が言葉を発する時、
 「感情を込めて言う」のが普通で、「感情を込めないで言う」のが特別ではない。
 「感情を込めないで言う」のが普通で、「感情を込めて言う」のが特別である。

 人は感情を感情的に伝えるために、言葉を発しているわけではなく、
 むしろ、言葉にして説明する必要を感じるからこそ、言うのある。

 人は、感じたままを口にするわけでもない。
 言葉はシチュエーションから引き出されるものある。
 
 そこで感情は、言葉と切り離した上で考え、どう結びつけて表現とするかは、役者の手腕である。

これが、私の考えです。



栗山民也さんは、著書「演出家の仕事」の冒頭においてイギリスのメソッドを例に挙げ、

 『役者は手を開いて閉じる間における、人間の感情のひだを感じ取るべきだ。』


と書かれています。

これは、感情を作って手を動かせと言う事ではなく、
手を動かした中から沸き上がってくる感情を、役者はすくい上げるべきだと言っているのだと思います、


このことは、私は台詞を発する時にも同じことが言え、


 『言葉は、発した後に、心の動きを探れ』


と置き換えることができると考えています。



そもそも言葉には、言葉の力があります。
私はそれは、絵画における絵具の明度に似たものを感じるのです。

言葉を発した後にわき上がる感情は、喜怒哀楽の4通りではなく、
シチュエーションに応じた数だけ、沸き上がってくる感情の数があると考えます。

しかし、その何万通りの感情を音に乗せようとすると、言葉本来の力を失う。
これは、感情を自分の内面で、言葉と混ぜてしまうからではないでしょうか。

混ざった感情を音に乗せようとすると明度は下がり、
結果、言葉の力を失ってしまうのではないかと考えるのです。


言葉として発せられる音というのは、
それは絵具の数のように、実はそれほどバリエーションはいらないのだと思います。


つまり役者は、何万通りの音を用意する必要はない。


しかし、表現すべき感情は、無限に存在する。

そこで役者は、既存の音を組み合わせていくのだと思うのです、



言葉に感情を混ぜずに、言葉を組み合わせていくことで、
言葉の明度を失わず、その発言をする人物として、
力強く板の上に立てるのではないかと考えるのです。




ちなみに、明度とよく比較されるのが『彩度』です。
彩度を上げると、その色合いは、どぎつくなります。


台詞における彩度とは、言葉の強弱ではないかと、私は考えています。


特定の台詞を強く言うと、その言葉自体が立ちすぎてしまい、浮いてしまいます。
それは、彩度を強調する=コントラストをつける事と同じだと思うのです。

だからこそ、言葉のコントラストを強調すると、
本来見えてくるべきものからずれてきて、嘘くさい印象を与えるのだと考えます。


では役者は、どう言葉を紡ぐべきなのでしょう。
キャンバスにどのように点を打っていくべきなのでしょうか。
点の大きさはどうするのか。点の間隔はどうするのか。


それが、言葉の音として発したときの音の高低とスピードに関係していると思うのです。

そして、その高低とスピードの根拠が、感情となると思うのです。


役者は観客を想像させるべきである。


ひとつの色で、染め上げてしまう、
つまり説明して、平坦に見せてしまうのではなく、

輝きを持った言葉ひとつひとつを組み合わせ、
いかに力強くそこに存在するかを追求することが、
役者と演出家に課せられた使命のように、思えてならないのです。
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