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ホームヘルパー2級の免許を取りました。
ブログを更新していない間に、
失業保険を受け取りながら、ホームヘルパー2級の免許を取得しました。


そもそも、なんでヘルパーの免許なのか。


自分がこれから本を書いていくとき、登場人物が現実に直面した上で、
それでもなお、どのように笑うのだろうと考えたのが、そもそものきっかけでした。

単純に言うと、お年寄りはなにをしているのか。
どんなことに、笑っているのか。


『もっと、人と向き合うきっかけになれば』と思ったのが、はじまりです。



人は、嫌なことがあると心を閉ざしがちです。

ましてや、高齢であった場合、
変な意味ではなく、「もう死んでもいいや。」と思っていたりするんです。


もう死んで良いと思っている人が、どう生きているのか。
ベッドで24時間寝たきりで過ごしている人が、どう生きているのか。

そして、どのように死んでいくのか。


人生の華やかな時間だけを追いかけるのではなく、
「やがてくる死」を、今、見つめ直すことで、自分が変わる気がしたのです。


そんな介護の仕事は、『向き合うこと』の連続でした。


認知症が重度で、
自分でトイレに行くこともできず、排泄物を片付けてもらう人の気持ち。
親類が全くおらず、誰が尋ねてくるわけでもなく、
特別養護老人ホームの同じフロアで終える一生。


自分がそうなったと想像したら、
絶望以外のなにものでもない日々のはずなのに、ご老人達は、笑ってました。


私が実習でお世話になった渋谷区の老人特別養護老人ホームは、
要介護度平均が4.7という、入所者全員が認知症という介護施設でした。


私が食事の見守りをしたおばあちゃんは、私の言葉に何も反応しません。

一人で食べられるから、手を出してはいけないと指示されたものの、
器の食事の1/3は、前掛けにこぼれていきました。

そんなおばあちゃんが、
私が食べやすいようにと、ペースト状の肉じゃがを器の手前に箸で寄せたとき、
すっと拝むように、片手を前に出しました。

『あ、この人は、私に感謝してくれている。』


あるおじいちゃんは、私に満州の話をしてくれました。
記憶が断片的で、正直、話がさっぱりわかりません。

そのおじいちゃん、「前に、おまえの家に行ったよな。」と言うんです。
おそらく、誰かと勘違いをしているのでしょう。
私は、おじいちゃんに話をあわせてました。

すると、おじいちゃん、私にこう言ったんです。
「今度おまえが作ったときは、持ってこい。見てやるから。」


『この人は、このような状況でも、人のために生きようとしている。』


思い起こせば、こんなにも「ありがとう」という言葉が、心に届いた事は無かったかも知れません。

そして人は、どんなに認知症が進んでも、
感謝の気持ちと、人のために生きようという思いは、消えないんだ。

そのことが、私を少し、楽にしてくれました。



音楽会の慰問で歌を歌いに来ていた、
石原さん、というおばあちゃんと話す機会がありました。

「あそこのご夫婦、実は跳んだり跳ねたりしていた頃から、私のお友達だったのよ。」


今日も、石原さんはハーモニカの伴奏で、昭和の歌を歌っているのでしょう。
寝たきりの平田さんは車いすの上から、石原さんの歌に指揮をしているのでしょう。

そして、私たちの実習後に矢澤さんが天に召されたように、
お役目を終えた人が、また一人と、あの施設を出て行くのでしょう。


食べたら、出るんだ。当たり前じゃないか。
私が食べさせてもらって大きくなったように、私が食べさせてあげればいい。
それだけのことだ。

人は、大切な人の名前さえ、たとえ忘れてしまっても、
美しい心は失わない。


樋口了一/手紙~親愛なる子供たちへ~
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