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【演出論】役になりきるために(2)
前回の 【演出論】役になりきるために の続きを書きます。

今回は医者になる話ではなく、猫になる話です。

私がここで言っている「猫になる」というのは、
劇団四季のCatsのように、猫を擬人化して演じるというわけではありません。

あえていうなら、モノマネで猫になりきる。と言った話です。


※しばたが5年前に遭遇した猫


では、あえて、前回と同じ形式で記述したいと思います。

ちなみにあなたは猫ですか?

絶対に、猫ではないですよね。

では、あなたは猫を演じられないのか。

そんなわけは、ないですよね。
猫のマネをする人は世の中にいっぱいいて、それが本物の猫に見えてくる人って、確かにいますよね。

では、あなたが猫になるためには、どうしたらいいのかを考えてみましょう。


まず、あなたの中に「猫になった経験」はないわけです。

なので、経験から猫になろうという考えは、捨てて下さい。


では次に、猫がどういうものか、頭で考えましょう。
これは、猫が何を考えているかを、考えるわけではありません。

そもそも、猫とはどういうものなのか。
とりあえず、私と一緒に猫のマネを考えていきましょう。

 まず、しゃがんでみましょう。
          ↓
 次に、背中を丸めてみましょうか。
          ↓
 次に手を丸めて、招き猫のようにポーズを取ってみましょうか。
          ↓
 次に、手をぺろっとなめて、まゆげをゴシゴシしてみましょう。
          ↓
 そして一言、『ニャー』と鳴いてみましょうか。
          ↓
 猫:『ニャー』
          ↓
 次に伸びをして、両手の爪をバリバリ研いでみましょうか。


あなたが「猫が爪を研ぐ理由」を理解していようが、していまいが、
まずは爪を研ぐという行為を「する」となっている場合、やることが大切です。

これは、演出家の言いなりになるという話ではありません。
台本上「する」となっている行為をすることが、役者としての最低条件という話です。

猫のふりをして、『ニャー』と鳴いているうちに、あなたはあくびが出てくるかも知れません。
猫のあなたは、何も考えずテレビを見ているかも知れません。
部屋の外から聞こえる音に、聞耳を立てるかも知れない。

そうやってあなたは、猫の時間を手に入れていくことになります。


まずここまでで、私が皆さんに納得してもらいたいのは、
『猫として生きた経験が無くても、猫の役作りはできる』という点です。



ちなみに私は上記で、3つの条件を出しました。

1)手をなめて、まゆげをゴシゴシする。
2)『ニャー』と鳴く
3)伸びをして、両手の爪をバリバリと研ぐ

あなたが役者としてまずしなければいけないことは、この3つを「成立させること」になります。

私が役者に求める『3つの成立』の説明は割愛します。
興味がある人は、リンク先を読んで下さい。

①会話の成立(空間の成立)
②役としての成立
③作品としての成立
http://yumetamanet.blog25.fc2.com/blog-entry-7.html


ここでいう
①会話の成立(空間の成立)とは、
猫として『ニャー』と鳴いた空間に、違和感がないかを確認することになります。

②役としての成立とは、
猫として行う3つの行為の連続性に、違和感がないかを確認することになります。
(ようは人で言う、人格破綻をしていないかを確認します)

③作品としての成立に関しては、説明を保留します。


まず重要なのは、①と②です。
①と②を成立させるのは、役者としての責任です。

役者は1つの役として、一貫してその世界を生きようとしますよね。
自分の役としての一貫性が破綻しているのを、演出家に修正してもらう事が前提ではないはずです。


なお今回の猫になる場合は、①と②を表現するときに、台本解釈は特に必要ないですよね。
台本解釈がないと、

1)手をなめて、まゆげをゴシゴシする。
2)『ニャー』と鳴く
3)伸びをして、両手の爪をバリバリと研ぐ

はできませんか?そんなことはないですよね。


それなのにあなたが『猫はこうだと思いますが、演出はどう思いますか?』と聞いたと思ってみて下さい。


この質問を演出家にする事は、実はおかしいということに、あなたは気が付けるでしょうか。


実は③に関しては、演出家は自分が求めているものに対して、正解かどうかを答えられるんです。

というのも、

③作品としての成立とは、
もしこのシーンにおいて、猫を見て「和みたい」という演出意図があるならば、
あなたは3つの行為の連続から、和みの空間を作り出さなければならなくなります。

演出意図③に対して、役者が応えているかどうかは、演出家は答えなければいけません。
しかし、あなたの猫が、猫として正解なのかどうかは、演出家に聞いてもどうしようもないわけです。


だって演出家は、人なのだから。


確かに演出家は、作り出したい雰囲気のために、役者に猫である事を求めます。
しかしそれは、作り出したい雰囲気の為に猫であることを求めているにすぎず、
猫がいれば、その雰囲気が出るわけではありません。


演出家は、ある雰囲気を醸し出す為に、役者に役目を果たすことを求めます。
演出家は、より濃密な時間を作り出すために演出をつけますが、『猫』に一つの形(正解)を求めてはいないのです。
逆に、より濃密な時間を作り出すために、役者に日々演技を変化させることを求めます。

役者は自分の演じている猫が演出家の意図にそった猫に見えるかどうかを確認しつつ、
役者自身が猫であることを追求し続ける事は、役者としてやらなければいけない責任であって、
例えその日演出家がOKを出しても、役者として猫を追求する日々が終わるわけではありません。


私がなぜ今回、「猫」にこだわったのか、改めて整理しましょう。

今回役者が日々稽古場でやることは、

1)手をなめて、まゆげをゴシゴシする。
2)『ニャー』と鳴く
3)爪をバリバリと研ぐ

あくまでこの3点です。

ただし、日によって、同じ行為の中から見えてくるものが、微妙に違うのです。
役者は、この3点を日々繰り返し行う中で、どんな空間や時間が生み出されるのかを、
初日の幕が開くまで、追求し続けなければなりません。


もしあなたが猫ではなく、医者Aという人物を演じるとなった場合も、これは同じです。


おそらくあなたは作劇の段階で、私は医者Aに見えてますか?と演出家に確認を取りたくなります。

でも、医者Aの正解を、演出家に求めてはいけません。


あえて言うなら、医者Aであるかどうかは、医者Aに聞かないとわからず、
医者Aがこの世に実在しないにもかかわらず、答えのない医者Aへの追求を続ける事が、
役者としての使命であり、責任であると言うことができるでしょう。



さて。なぜ私は、今回『猫』という動物を通して、演技に対して記述してきたのか。

それは『わかった気になって欲しくない』という事なんです。


猫ではなく、医者となった時点で、あなたは同じ人間だから気持ちがわかると錯覚します。


しかし、あなたの経験と想像から導き出された台本解釈だけでは、医者Aになりきることは、決してできないのです。



役になりきる上で一番重要なのは、
あなた自身が『するべきとされている行為の中から役を探る事』です。

この原点を、絶対に忘れないことです。


ただし、台本解釈が重要で無いわけではありません。
台本解釈は、それはそれで重要です。

しかし役になりきる上で、台本解釈のウエイトは実は低いと私は考えています。


勘違いされては困るので、台本解釈に関して少しだけ補足します。

もしあなたが台本解釈を80ポイント、行為の中から役を探る事を20ポイントで、
トータル100ポイントで役作りをしていたとしましょう。

私がいう台本解釈のウエイトが低いというのは、
台本解釈80ポイントならば、行為の中から役を探る事に920ポイント必要で、
トータル1000ポイントとなる為に、今までの10倍の熱意と集中力と努力がなければ、
その役になりきることなど、到底無理だという話なのです。



だからこそ役者とは、誰もがやれる職業ではないんです。



私がワークショップを開催するにあたり、
このblogで演出論を記述しておりますが、
友人から、おまえが4年間かけて学んだ大切な知識をblogで書いて良いのかと聞かれました。

私としては、演出の方法論というのは、学ぼうと思ってもなかなか学べるものでもないですし、
私の知識が、誰かの表現の役に立てればという思いがある反面、
私が4年間かけて学んだものが、このblogを読むだけでわかるわけもない。という思いも実はあるんです。


台本解釈は、ある意味役者に縛りを与えます。

では台本解釈した内容を踏まえ、なお演技を固めずに、
『するべきとされている行為の中から役を探る事』を続けて行くにはどうしたらいいのか。


それはまた、別の機会に。



あなたは、演技と読解のワークショップで、何か掴めそうですか?
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