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東京藝術大学大学美術館「近代洋画の開拓者 高橋由一」(1) (2012/4/28~6/24)
美術の教科書に載ってる、高橋由一の鮭が見れるということで行ってきました。

東京藝術大学大学美術館「近代洋画の開拓者 高橋由一」


高橋由一(1828年3~1894年)は、幕末から明治にかけて生きた、日本人最初の洋画家と言われています。

高橋由一は、幕末の佐倉堀田藩に生まれた、武家の子でした。
佐倉堀田藩というのは、老中・堀田正睦(ほったまさよし)の、あの堀田です。

当時の日本は黒船が来航し、アメリカに開国を迫られていました。

ペリーの使節団は、軍事力を背景に日本に開国を迫ったわけですが、
軍事力を見せつけるために、アメリカとメキシコの戦争を描いた石版画を持ってきていたのです。

それらの石版画は幕府に贈られ、堀田正睦を通じて高橋由一も目にするところとなりました。

由一が驚いたのは、風景や人物までも忠実に写し取る、西洋画の表現力です。
狩野派の絵師に学んでいた由一は、これに強い衝撃を受け、西洋画を学んでいこうと決心したそうです。


さて、会場にまず展示されているのは肖像画群。
その中から、丁髷姿の自画像(ちょんまげすがたのじがぞう)と、原田直次郎が描いた高橋由一像をご覧ください。

《丁髷姿の自画像》高橋由一(1866年頃製作)笠間日動美術館蔵 《高橋由一像》原田直次郎(1893年製作)東京芸術大学蔵
《丁髷姿の自画像(ちょんまげすがたのじがぞう)》高橋由一(1866年頃)笠間日動美術館蔵《高橋由一像》原田直次郎(1893年頃)東京芸術大学蔵

先日、国立近代美術館で原田直次郎の騎龍観音を見てきましたが、原田直次郎は高橋由一の弟子だったのですね。

その時に、「原田直次郎は脂派(やには)と呼ばれ、画壇の中心は黒田清輝に移っていったそうです。」と書きましたが、
美術を知らない私は、「画壇の中心が移るって、大げさなんじゃないの?中心ってどこだよ。」と正直思ってたんです。

しかし、脂派調の作品がこうもいっぱい並んでいると、どうにもこうにも気が重くなってくるわけですよ。

なんか、わかったんですよね。もっと明るい洋画を見たくなる、当時の人の気持ちが。


さて。

近代日本では、廃仏毀釈運動が起きており、日本古来の仏教美術品が二束三文で処分されていました。

それに異を唱えた外国人のフェノロサは、日本美術を保護する意味でも、美術品を大量に買い集めます。
そこで買い集められた美術品の展覧会が、こないだのボストン美術展ですよね。

ところが日本美術が見直されはじめると、今度は「洋画はいらないんじゃないか」という運動が起きます。
そんな洋画排斥運動と戦ったのが、高橋由一や原田直次郎になります。

高橋由一が取った作戦は、油絵は、写真のような劣化が起きない。
つまり『油絵は長期保存がきくために、資料を描くのに最適である。』という売り込み方法でした。

そのため高橋由一の肖像画の多くは、写真をもとに描かれています。
しかし、これがいけなかったんだと、素人ながら思うんです・・・。

重要文化財の花魁(おいらん)をご覧下さい。

重要文化財《花魁(おいらん)》高橋由一(1872年製作)東京芸術大学蔵
重要文化財《花魁(おいらん)》高橋由一(1872年製作)東京芸術大学蔵

新吉原の稲本楼の小稲(こいな)を描いた作品です。

その頃の吉原も時代の流れに逆らず、衰退の一途をたどっていました。

そこで、注目されつつある西洋画で花魁を描いてもらって、
今一度、街に活気を呼び戻せないかと、街おこしが企画されました。

消えゆく花魁の姿を、しっかりと記録しておきたいという思いもあったそうです。

そこで白羽の矢が立った由一が、写真を描くように花魁を描いて見せたわけですが、
できあがった作品を見て、「あちきは、こんな顔ではありゃんせん。」と小稲は泣き出してしまったそうです。

そうですよね・・・。

街おこしのポスターを作りたいからモデルになってくれと女優を呼んできたのに、
本気モードではない姿を、美化せずそのままポスターにされたら、そりゃ女優は泣きますって・・・。

当時のチラシは浮世絵が一般的で、まさかこんな風に描かれるとは、想像してなかったんでしょうけど。


当時の海外の美術は、単に写真のように描いたものはつまらないって事から、すでにその先にある美を模索していました。
日本美術でも円山応挙が、写実とは単にものの形を写し取るわけではないって、言ってますよね。

しかし高橋由一は、西洋画に全く最初に触れた日本人なものだから、
まずは、どこまで忠実に写実できるか挑戦してみようとしてるんだと思うんですよね。

だから現代に生きている私は、『花魁の姿を撮った写真と、同じじゃない。』と思ってしまうのでしょう。


正直、由一の人物画は、総じてピンとこなかったのですが、1点だけ気に入った絵がありました。

日本神話にも出てくる、ヤマトタケルです。

《大和武尊(やまとたけるのみこと)》高橋由一(製作年不明)東京芸術大学蔵
《大和武尊(やまとたけるのみこと)》高橋由一(製作年不明)東京芸術大学蔵

原田直次郎が楊柳観音を西洋画で描いて、日本人に洋画を受け入れてもらおうと努力したように、
高橋由一も、ヤマトタケルをモチーフにして洋画を描いているのです。

この絵が、由一の他の人物画と大きく違うのは、想像で描いたという点だと思うんですよね。
だからこそ、内面から溢れる力強さがあるのだと思うのです。

では、長くなってきたので、東京藝術大学大学美術館「近代洋画の開拓者 高橋由一」(2))に続きます。

しゃけの話は、次で。
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