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国立近代美術館 常設展「近代日本の美術」(2)前期:2012/5/12~6/17

前回に引き続き、国立近代美術館 常設展「近代日本の美術」(2)を書きます。

国立近代美術館 常設展「近代日本の美術」(1)の続きになります。

毎週なんでも鑑定団を見ているぐらいで、美術に関して全くの素人の私ですが、
そんな私でも名前を知っているのが、岸田劉生の麗子像。

麗子は岸田劉生の娘ですので、生涯に何枚も書いていますが、
その一番初期の作品とされる、麗子肖像(麗子五歳之像)が東京近代博物館にあります。

《麗子肖像(麗子五歳之像・れいこごさいのぞう)》岸田劉生(1918年製作) 国立近代美術館蔵
《麗子肖像(麗子五歳之像・れいこごさいのぞう)》岸田劉生(1918年製作) 国立近代美術館蔵

見た瞬間。ああ、これこれと思いました。私が好きな日本画の雰囲気が、ここにある。

岸田劉生は、自身の絵を振り返って、このように述べています。

>「麗子の肖像を描いてから、僕はまた一段とある進み方をしたことを自覚する。今までのものはこれ以後にくらべると唯物的な美が主で、これより以後のものはより唯心的な域が多くなっている。すなわち形に即した美以上のもの、その物の持つ精神の美、全体から来る無形の美、顔や眼に宿る心の美、一口に言えば深さ、このことを僕はこの子供の小さい肖像を描きながらある処まで会得した。このことはレオナルドに教えられる処が多かった。」  (岸田劉生「自分の踏んできた道」「個人展覧会に際して」『白樺』第10巻第4号 1919年4月より引用)


非常に写実的な描写でありつつも、頭は若干大きくデフォルメされているそうです。
対象本来の魅力と、作者がすくい上げたい精神性のバランスが絵の中で調和しており、それが私にとって心地よいのだと思いました


その隣に展示されていたのが、道路と土手と塀(切通之写生)

《道路と土手と塀(切通之写生・きりどうしのしゃせい)》岸田劉生(1915年製作) 国立近代美術館蔵
《道路と土手と塀(切通之写生・きりどうしのしゃせい)》岸田劉生(1915年製作) 国立近代美術館蔵

力強い。

300円で借りた音声ガイドによると、
画面を半分以上占める、むき出しの褐色の土手と白い塀のつながりは、よくよく見るとおかしいそうです。
しかし、右手前にあるはずの2本の電柱の影が、不自然までに盛り上がった土手を成立させるのに、一役かっているそうです。

こんな言い方をしては、自分の無知さをさらけ出すだけな気もしますが、
こんなにどうでもいい物を描いた風景画を、正直、私は初めて見たかも知れません。

それなのに、むき出しの地面がなんとも生命力に満ちており、彼方の空が登っておいでよと誘ってくるようです。

これ、重要文化財だったのですね。
土手を描いて重要文化財とは、すごいなぁ。



さて、このあとにはシュルレアリズムと呼ばれる作品群が登場して来ます。
そんな中でも、なんかよくわからないけど、飛び込んでくる絵に遭遇しました。

《燃える人(もえるひと)》岡本太郎(1955年製作) 国立近代美術館蔵
《燃える人(もえるひと)》岡本太郎(1955年製作) 国立近代美術館蔵

よくわからないけど、心を揺さぶってくる。

左上に漫画太郎が書いたような人物が、口から舌だか血だかを出してますよね。
その横には、両眼を持った雲が、右下に向けて、小さくなりながらいくつも描かれています。

左下には、両眼を持った船が2隻描かれていますが、
これは1954年にビキニ環礁で起きた第五福竜丸の被爆事件をモチーフにしているそうです。
つまり、右下から吹き上がる灰色の雲は、水爆実験で生み出された、キノコ雲だったわけですね。

なるほど。

でも、シュルレアリズムの作品群で心に響いて来たのは、私にとっては岡本太郎の「燃える人」ぐらい。
靉光(あいみつ)の「目のある風景」は、おそらく鑑定団で見て知ってはいたのですが、実物を見ても響いて来ませんでした。
古賀春江の「海」も、だからなんなんだと思うばかり。

そんな話を帰ってきて友人のO川くんにしたところ、
「シュルレアリズムは、古い価値観や概念を壊すために生まれたようなところがあるから、今の自分たちには古くさいと思うことが多々あるんだと思う。もしその時代を自分たちが生きていて、その当時にそれを目にしたのなら、とても新鮮で面白かったんだと思うよ。」

との事。なるほどなるほど。

私にとっての芸術は、どこか普遍的なもの(例えば美?)を持っていて、
その普遍性を感じ取るために、美術館に行ってるようなところがありますから、
その時代に生きた作者が、その時代をどう切り取ったとか、どう壊したかったとか、
そもそも私の興味がないところなのかも知れません。

これは、私の芝居観にも言えることで、
「いかに現実からぶっとんだ作品を作るか」に力を注いでいる作品に私が興味がないのと、同じなのかも知れません。

私は、SFやファンタジーの世界が嫌いなわけではありません。
空想の世界であっても、私の演劇は、あくまで「人」をどう描くかにこだわっていくべきだと思うのです。

アナリストが、現実に生きている人から切り離したところで理想を語るのと、
画家がシュルレアリズムで社会を切り取り安心する事が、私にとっては同じような気がしてくるのです。

と言えるのも、今が平和な世の中であるからか。


長くなってきたので、国立近代美術館 常設展「近代日本の美術」(3)前期:2012/5/12~6/17 へ続きます。
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