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【演劇論】 ボケとツッコミにおける現実のライン
笑いの基本は、ボケとツッコミである。


かつて松本人志と中居正広が出演していた『伝説の教師』08話の説明を借りれば、

『漫才には役割分担があり、ツッコミとは、ボケが言う非常識なことを、
 客にわかりやすく、常識的なことで訂正するのがツッコミである。』

つまりお客は、その二人の会話の常識と非常識の度合いを想像し、
その程度のはなはだしさに笑っているわけだ。


昨年2月に、劇団まるおはなさん主宰のワークショップに参加した際、
テレビディレクターであり、映画監督の植松義貴氏とお会いする機会があった。

ワークショップの一環で、植松氏は役者に、
『巨人(大男)を見せて下さい。』と指示を出したところ、
役者は胸を張り、のっしのっしと歩いたのである。

これは、役者が自分の気持ちから役作りをする、典型的な例である。

それに対し植松氏は、
『大きな巨人ほど、足下に注意が行くんじゃないかな。』と指示を出したところ、
巨人は、その大きな手でとても小さな100円玉をつかみ、
自販機でジュースを買うために大変苦労をし、そこで笑いが起きた。

ポイントは、役者が「自分は大きいんだ」と自覚することではなく、
どれだけ大きいのかを、客に想像させる事ができたかどうかという点にある。


ここで、もう一度ボケとツッコミの話に戻すが、
私は、ボケとツッコミで笑いを起こすには、
ボケの非常識な発言に対し、ツッコミが現実のラインを引き、
その発言がどれくらい非常識であるかを、お客に想像させる必要があると考えている。


演劇では、この現実のラインを引くのを忘れてしまいがちではないだろうか。


もともと嘘が前提ではじまるお芝居は、
二人ともおかしな事を言ってしまう(つまり現実のラインを引かないで話が展開する)場合、
目の前の世界は『これを許容しなければいけない世界なんだ』と、
お客は、それを受け入れようとしてしまう。

そうすることにより、
目の前で繰り広げられているものは、何でもありの世界となり、
言っていることが面白いのか、そうでないかで楽しむしか無くなり、
結局、その世界を遠巻きにただ見るしかない結果となるのである。


では、どうすれば良いのか。


私の考えは、
1/11に記述した「変わるべきこと、変わってはいけないこと 」と、
1/13に記述した「コントと演劇の笑いの違い」をふまえた上で、
『ステータス』という観点から、次回記述します。

========================
下記は、例を出して記述しようとして、結局使わなかったもの。
とりあえず、残しておきます。


①やすきよ(やす・きよ)」
横山やすし:非常識なことを言う(時々発言が非常識なやすしがあえてつっこむ。)
西川きよし:現実的なことを言う
現実のライン:西川担当

②爆笑問題
太田光  :非常識なことを言う(一見常識的な太田がボケる)
田中裕二 :現実的なことを言う
現実のライン:田中担当

③オードリー
春日俊彰 :非常識なことを言う(発言が非常識な春日があえてつっこむ)
若林正恭 :現実的なことを言う
現実のライン:若林担当

④笑い飯
西田幸治 :非常識なことを言う(非常識と思いきや、現実的につっこむ)
哲夫   :現実的なことを言う(常識的と思いきや、ボケたりもする)
現実のライン:ダブルボケのため相方がつっこみ、現実のラインを引く
         もしくはお客自身が自分の中に引く

⑤サンドウィッチマン
富澤たけし:非常識なことを言う
伊達みきお:現実的なことを言う(見た目は強面で非常識かと思ってしまう)
現実のライン:伊達担当
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