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他人の戯曲を演出する演出家のオリジナリティ(4)
前回の、他人の戯曲を演出する演出家のオリジナリティ(3)の続きを書きます。

桜美林大学教授であり青年団を主催する平田オリザさんは、その著書『演劇と演出』の中で、
演出家に必要な能力は『世界観、方法論、構成力、説得力、リーダーシップ』の5つに分類できると書いています。

演技と演出 (講談社現代新書)演技と演出 (講談社現代新書)
(2004/06/21)
平田 オリザ

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「演技と演出」の本は誰かに貸したままになっており、内容を確認することができないのですが、
平田さんは著書の中で、この5要素のうちの2つ以上が優れていたら、演出はとれると書いていたように思います。

手元に著書がないため、私なりの解釈で、5つの要素を別な言葉に置き換えてみました。

●リーダーシップ=集団をまとめて率いる能力
●世界観=作品のイメージを感じ取る能力
●構成力=作品世界を具現化する能力
●説得力=役者の疑問を解消する能力
●方法論=解決する手段を提示する能力


ちなみに私が演出を初めてとったのは、大学の演劇部に入ってからです。

演劇部の演出は、ある種の『持ち回り』で決められました。
つまり、「前回はあの人がやったから、今回は誰にする?」という流れです。

そこで、なによりも必要となってくる条件は、「本番当日まで、稽古場を取りまとめられるかどうか」であり、
平田さんの5要素で言うならば、リーダーシップが重要であったわけです。


私は、演出家に必要とされるこの5つの要素は、演出を取る環境や立場によって、重要度が変わると考えています。



◆サークルの演劇部で演出を取るケース:『リーダーシップ > 世界観 > 構成力 > 説得力 > 方法論』

=考察=
とりあえずリーダーシップがあれば、みんなが付いてきて来てくれるので作品は作れます。
演出家にイメージ(世界観)を言葉にする力(説得力)はなかった場合も、
演出家が悩んでいると、時間がもったいないので、とりあえず先に進もうとなります。
作品に音楽を入れると、作品はそれっぽく(構成力)見えてきます。
どうやって作るか(方法論)は、先輩が伝統的な練習方法を引き継いでるので、上級生が指導してくれます。



◆自分で戯曲を書いて演出するケース:『 世界観 > 説得力 > 構成力 >リーダーシップ > 方法論』

=考察=
演出家が自身で書いた作品なので、作品に対するイメージ(世界観)は、誰よりも持っているはずです。
構成力がなかったとしても、構成に問題があれば、世界観が壊れるわけですから、
演出家が妥協せずに言い続けているうちに、演出家の理想の構成へ近づきます。
感じ取った違和感を言葉にすることができなくても、作者が違うと言えば、それだけで説得力があります。
集団をまとめる必要はありますが、もともとその作品がやりたくて集まってきてるのであれば、協力は得やすいです。
方法論は語れなくても、演出家が世界観を語ることに終始すれば、あとは役者が自分で形にするしかなくなります。



◆他人の戯曲を演出する(私がダメだと思う)演出家のケース:『方法論 > 説得力 > リーダーシップ > 構成力 > 世界観』

=考察=
演出家という特権を振りかざし、役者に言うことを聞かせます。
メソッドなどの演劇の方法論を持ち出し、その方法論の説得力で、役者を黙らせます。
演劇的約束事項に基づいて芝居を作り、作家の描きたかった世界観から離れても、修正できません。
最終的に台本を読んだときの印象と全く違う作品になっても、役者の技量が備わっていないからだと考えます。



◆他人の戯曲を演出する演出家(私)のケース:『 世界観 > 構成力 > 説得力 > リーダーシップ > 方法論』

=考察=
私は、作品から感じ取ったイメージ(世界観)を何よりも優先します。
方法論は万能ではないため、特定のメソッドに準じて演技指導をすることはしません。
方法論は必要なときに引き出せればいいので、知識として覚えておけばいい程度に考えています。
演出がやりたいことを明確に言葉にできれば、方法論を演出が言わなくても、行きたい方向に自然と集約するものです。

リーダーシップは必要ですが、私はリーダーシップを前面に出した演出は控えるようにしています。
リーダーシップに頼りすぎると、役者は、演出家の見ていないところで、手を抜くようになるからです。

人を動かすのは、最終的には人間性なのかも知れませんが、
演出家が自らの人間性を武器としてとらえるのは、作品と真摯に向き合う上で邪魔になると考えています。

このケースでは、演出家が作品を書いたわけではありません。
本を書いた演出家に比べて、本を書いてない演出家の説得力は自ずと落ちます。

現場では、役者にどう作りたいのかを誠心誠意説明して、演出家のビジョン(世界観)を積み上げなければなりません。


さて。

私が考える演出家としての理想の姿は、最後のケースです。

演出家は独自の世界観を展開する前に、作家の世界観を大切にします。
しかし、演出家の世界観は、作家の世界観とイコールではありません。

そこで演出家は、作者と違うスタンスで、作品と向き合う必要があると思っています。

では、そのスタンスの違いとは、どういったものなのか。


●自分で本を書いて演出する演出家は、作品を書き始めた時点で、物作りがスタートします。
そのため、実際に舞台を演出する場合は、それを忠実に具現化することを優先されるのだと思います。

戯曲を書いた作家は、おそらくすべてのシーン・すべての登場人物を愛しているでしょう。
だからこそ、どこも省略なんてできないと、考えていると思います。


●対照的に他人の本を演出する演出家は、台本を手に取った段階で、物作りがスタートします。
作品として形にすることはもちろんですが、
作品自体がどう輝きを放っているのか、どこが魅力的なのかを、第三者的にとらえることができます。

そのため演出家は、作品の本質をとらえられれば、ある意味、ト書きに縛られずに作品を省略していく事もできるのです。


これは、戯曲を削ると言うことではありません。
戯曲を削るということは、楽譜の音符を削ることと同じだからです。

すべての言葉を拾いつつ、その解釈から、作品の見せ方を変えるのです。


例えば、「主人公がたたずみ、天を仰ぎ、一筋の涙が頬を伝う」と書かれているとします。


それを瞬間を客席に見せるのか、あえて後ろ向きで見せないのか。
はたまた、鼻をすするのか。それとも、涙をぬぐった手だけを見せるのか。

作品の本質をとらえることができれば、あえて見せないという選択肢を選ぶことも可能だと思うのです。


それが、私の言う『省略』です。


私は、演出家というのは、正解か不正解かをジャッジする仕事ではないと思っています。

好きか嫌いかを言うだけでは、不十分ではないかと思っています。
演劇的にありかなしかを判断するだけでは、ダメなのだと思うのです。

演出家は、『なにが自分にしっくりくるか。』を自信を持って示し、それを役者や観客と共有していかなければなりません。



そのためにも、作者が作品で何を描こうとしたのか、何が魅力的なのか、作品の魅力の本質を理解すること。
そして、なぜこの作品を演出したいと思ったのか、初読で何が面白かったのかを、最後まで忘れないことが重要です。


私はここのところ、なぜか美術史について書いてきました。


日本美術は欧米の画壇に、多大な影響を与えました。

欧米の絵画が追求してきた『写実性』に対し、日本画が追求してきた『精神性』が新鮮なものとして受け入れられたからです。


そして、その『精神性』を表す言葉として、日本画の世界には『写意』という言葉があります。


『客観写意』:対象が輝きを放った、対象本来が持つ魅力(生命力・気品)=対象の本質を表現すること
『主観写意』:対象を描きたいと思った、書き手がすくい上げたい対象の魅力=画家の精神を表現すること

日本画における『写意』の考察は、なぜか美術史、そのうち芝居(6)に書いております。



演出家は時として、リアリティを追求したくなります。
しかし、リアルに作るところに、演出家のオリジナリティはありません。

演出家は時として、独自のオリジナリティを盛り込む事を優先したくなります。
しかしそれが、作者をおざなりにした独自の解釈であるならば、演出家のオリジナリティと呼ぶべきではありません。

演出家はそんな時に、この『写意』という言葉を思い出すべきだと思うのです。


『写意』は、演出家が原点回帰するきっかけを与えてくれるからです。

そして、この『写意』があるからこそ演劇は芸術となるのだと、私は思っています。

最後に、なぜか美術史、そのうち芝居(7)でも書きましたが、日本画の大家、横山大観は、朝日新聞の取材にこう答えています。

>(前略)富士の形だけなら子供でも描ける。富士を描くということは、富士にうつる自分の心を描くことだ。
>心とはひっきょう人格に他ならぬ。それはまた気品であり、気はくである。
>富士を描くということは、つまり己を描くことである。
>己が貧しければ、そこに描かれた富士も貧しい。富士を描くには理想をもって描かねければならぬ
                              (大観「私の富士観」『朝日新聞』昭和29年5月6日より引用)


私が演出家だからこそ、すくい上げられた、日本人の心がある。

そう自負できたならば、他人の戯曲を演出する私のオリジナリティは、自ずと作品に備ると言えると思うのです。


私のオリジナリティは、きっとそこにあると思うのです。
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