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貞子の始球式
リングシリーズ最新作『貞子3D』のプロモーション活動の一環として、
リングにも登場した『貞子』が25日に日本ハムVSロッテ戦で始球式を行いました。




>「日本ハム5-1ロッテ」(25日、東京ド)

>映画「貞子3D」の貞子が始球式を行った。大歓声を浴びて登場。長い髪を振り乱して、山なりながらストライク投球した。
>事前に吉井投手コーチから指導を受けたそうで「呪いにかけて、のろい球を投げました」と関係者を介してコメント。
>ちなみに斎藤佑のファンだという。(2012年4月26日)  デイリースポーツオンラインより転用

ちなみに貞子は、3日後の29日、中日 VS DeNA戦でも登板しており、
中3日の登板に「(なか3日は)ちょっときつかった」と関係者を通じてコメントしたそうです。


この貞子、誰が演じているかわかりません。

しかし彼女(?)は、貞子としての責任を、しっかり果たしています。
だからこそ、球場で大勢のファンに受け入れられたのだと思います。


私はこの貞子さん、役者だな。と思うんですよね。

是非、この役者さんに、さらに輝けるチャンスが訪れますように。



ちなみに貞子さんの始球式、海外でも報道されたみたいですね。
何言ってるか、わかりませんけど。こちらの動画をどうぞ。



こういうのを見ると、日本人の感性って素敵だなと思う、私がいるのでした。
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他人の戯曲を演出する演出家のオリジナリティ(2)
前回の、他人の戯曲を演出する演出家のオリジナリティ(1)の続きを書きます。


さて、私が芝居の話をしていると、「誰の作品が好きですか?」と聞かれることがあります。

でも、正直どう答えようかと、困るんですよね。


高校生の時に見た富良野塾の「谷は眠っていた」は、知らぬ間に涙してました。
大学生の時に見たエル・カンパニーの「ウインズ・オブ・ゴッド」は、会場中が号泣してスタンディングオベーションをしました。

ケラリーノ・サンドロヴィッチさんの芝居も、野田秀樹さんの芝居も、平田オリザさんの芝居も面白いと思いました。



私は、他人の戯曲を演出する演出家になろうと思っているせいか、
私が面白いと感じた作品は、ジャンルや、作者(考え出した人)に依存しないんです。


お芝居を観るということは、料理を食べる事と似ている気がします。
私はカツ丼とラーメンが好きですが、中華丼も蕎麦も好きです。


中華だけでなく和食も美味しいですよね。麺類だけでなくご飯物も美味しいですよね。
ほら、ジャンルも考え出した人も、関係ないじゃないですか。

美味しい料理に出会ったから、その料理が好きなだけなんですよ。


ちなみに皆さんは、好きなものだけ食べて生きていませんよね。
次の食事で何を食べるのかわかりませんが、何を食べるにしても、美味しいものを食べたいはずです。

日によって食べたいものが違うように、見たい芝居も変わっていいと思うのです。
面白ければ、それが美味しければ、人は満足できるんですよ。


では、こういう例えはどうでしょう。

◆お腹が空いたので、立ち寄ったお店でカツ丼を頼んだら、中華丼のアンがかかったカツ丼が出てきた。
◆シェフはカツ丼に中華丼の風味を加えるアレンジをし、しかも野菜もたっぷりとれて栄養満点です。
◆『私のオリジナリティあふれるカツ丼は、どう思いますか?』と聞かれる。


私は、『ウォォォ!!』と、頭上でグーを握りしめることでしょう。


私は、カツ丼が食べたかったからこそ、カツ丼を頼んだ。
創作料理のお店なら、そのように看板に書いておけ。
しかも、カツ丼の名前を使わず、いっそ別な名前でその料理を出せよと思う。

お代は払いますけどね。


私が求めたのは、まずカツ丼であるという前提で、なおかつ美味しいことです。

シェフは、そのことを理解してないわけですね。


私の演出も同じで、作者を無視して、独自の世界を作り出せればいいわけではありません。

いままで何度も上演されてきた戯曲であっても、同じ台詞をいった上で、
作者の描いた世界を尊重した上で、それでもなお、私のオリジナリティを出せなければならない。


ちなみに太線部分が、前回と同じ文面です。


私がシェフならば、まずカツ丼を作るべきで、なおかつ、美味しいカツ丼を作ることが、私の仕事なわけですね。



さて、私が演出をする場合は、劇作家が台本に、どういう言葉で書いたのかを重要視します。

音楽で例えるなら、私が譜面を見て、いきなり原曲をどうアレンジするかを考えるのではなく、
譜面には、どのように演奏するべきかが書いてありますので、そこを理解する事からはじめるというわけです。



例えば、こんな台詞があったとしましょう。

A:『なにこれ。タカミナが食べてるのと、同じの買って来てって言ったよね。また無視するんだ。』
B:『だから、そうじゃないんです。』



Aは、怒ってますよね。怒ってる=感情的と解釈して、『また無視するんだ!!!』と叫ぶ役者がいたりします。

でも、よく考えてみてください。


「また無視するんだ。」って言葉を言いながら、大人はキレたりしますか?
「ふざけないでよ。」「バカじゃないの。」「ケンカ売ってるんでしょ。」とかなら、まだ感情的ですよね。

「また無視するんだ。」は、あきれているのか、問い詰めているのか、
はらわたが煮えくりかえっている言い回しであって、決して、爆発する怒りを表す時に、この言葉をわざわざ選ばないですよね。


役者の中には、台詞はすべて、感情を込めて言う物だと勘違いしている人がいます。
しかも、「怒り」だと思い込むと、全部怒りで押し通せばいいと思い込んでいる人もいます。

このAの台詞に、私が勝手に言葉を補うと、

A:『(カツ丼を楽しみにしてたのに)なにこれ。(どういうこと?ほっかほか亭のCMで高橋みなみ・通称)タカミナが食べてるのと、同じの買って来てって(あなたに直接)言ったよね。(前にも私の言ったことを無視したことあったけどさ)また(私の言ったこと)無視するんだ。(どういうつもり?)

みたいな、感じになるのでしょうか。

「なにこれ」の後ろと、「また無視するんだ。」の前で、台詞が変調する(高低が変化する)のはわかりますか?



もちろん、このAの「また無視するんだ。」は、絶対にキレて言ったらダメなわけではないんです。
もしくは、キレやすいように、『バカじゃないの!!』に書き換えることが、演出家権限でできないわけでもないんです。

でもやはり、作者がこのように書いてる以上、まず書いてる通りに演じるのが筋じゃないですか。

私が言ってきた、『作者を尊重した上で、作品を作っていきたい』というのは、こういうことなのです。

だからこそ、「また無視するんだ。」を、「また無視するんだー。」にも、したくないのです。


一定レベルの台本解釈ができるようになると、台本を読んだときに、頭の中で台詞が音になって聞こえるようになります。
これは超能力でも何でも無く、おそらくオーケストラの指揮者も譜面を見た時に、頭の中で音符が鳴るのだと思います。


私の稽古場には、ほとんどの場合、作者は稽古場にいませんでした。

私は、この頭の中に鳴った音を足がかりに、どう演技を変えて欲しいかを役者に指示するわけですが、
私の頭の中で鳴った音が、作者が書いた音と同じであるという保証は、どこにもありません。

私にとっての『書いてる通りに演じるのが筋』という論理は、役者にとっての筋と違うかも知れない。

『私の頭の中で、こう鳴ってるから、そうやってくれるかな。』では、
結局、演出家のエゴで作品を作っているのと、同じと思われてもしょうがないわけです。


役者にしてみれば、
『正解は、すべて演出家に聞かなければ、いけないのか。役者は演出家のコマなのか。』となりかねないわけです。


私が、『他人の戯曲を演出する演出家のオリジナリティはどこにあるのか』を悩んできたように、
役者も、『他人の戯曲を演じる役者のオリジナリティはどこにあるのか』を悩んでいたりするわけです。


もっと言うならば、

『私はここで怒りを爆発させたい。爆発させたいからする。それがなんでいけないの?』

と思う役者も、中にはいるでしょう。


でも結局そこは、話し合うしかないわけです。
話し合った上で、最終的に結論は出さなければいけない。



例えば、とあるラーメン屋のオーナーである私(演出家)が、
今はもう存在しない、昭和の名店の醤油ラーメンのレシピ(台本)を持ってきて、コック達(役者)と新製品を作るとします。

レシピには、メンマの太さに関しての記述がない。
だったら、食べてみてどれが一番良いか、話し合えば良いですよね。

あるコックが、そこにタラバガニを入れたらどうかと言ったとしますよね。
でもそれは、再現したい醤油ラーメンと、コンセプトが変わってしまうんじゃないか?となりますよね。

あるコックが、隠し味にコーヒーを入れてたらどうかと言ったとしますよね。
レシピにはスープを作る醤油の調合方法が書かれていますが、実際に同じ醤油を手に入れることは、もうできない。
コーヒーを少量足すことで味に深みが出る。コーヒーを入れても見た目は変わらない。でもコーヒーなんて入れて良いのか。

話し合うしか、ないですよね。

名店のラーメンを食べたことがある人が、コーヒーがある方が、あのラーメンに近いと言うかも知れないし。
かといって、コーヒーを入れすぎたら、コーヒーラーメンになる事は、わかりますよね。


オーナーである私は、どこまでは譲歩でき、どこまでは譲歩できないのか。


しかも、味を再現する事が目的ではないんです。

最終的に再現した懐かしい味を、『美味しい』と言ってもらえなければいけない。


当時の食文化を再現する事が、私の目的ではなく、
その一杯を食べた事による満足感や幸福感を再現することが、私の目的だからです。


結局、料理をする(舞台で演じる)のはコックです。
オーナー(演出家)である私には、やれることとやれないことがある。

ただし、オーナーであるからこそ、『俺が責任を取るからやってみろ。』と言うこともできる。



だからこそ演出家である私は、『どこまでは譲歩でき、どこまでは譲歩できないのか。』を明確にする必要があるわけです。



さて、長くなってきたので、この辺で。

他人の戯曲を演出する演出家のオリジナリティ(3)に続きます。
他人の戯曲を演出する演出家のオリジナリティ(1)
若い頃、誰もが一度は『自分は何者なんだろう』と問いかけることがあったと思います。
同じように、私が自らに問い続けてきたのは『私の演出とはなんなのだろう。』という事でした。


これだけだと、ただの思春期の悩みの一つと思われるかも知れませんが、
正直『舞台演出家』というのは、何をする仕事なのか、何のためにあるのかも、答えるのが難しい職業だと思っています。



私が舞台演出家を志しているというと、「宮本亜門さんと、同じでしょ?」と言われることもあります。
確かに宮本亜門さんは、日本を代表する演出家ではありますが、宮本亜門さんはミュージカルを演出する人ですよね。


私が演出するのは、いわゆるセリフ劇で、演劇の中でも『ストレートプレイ』と呼ばれているものです。


では、演劇を少し知ってる人であれば、
「つかこうへいさんや、野田秀樹さん、三谷幸喜さんと、同じだ。」と言ったりします。

確かに三人とも、ストレートプレイの演出家さんですが、私と一緒かと問われると、どうも違う気がしてくる。


大きくわけて2点、違う気がしてくるのです。

まず第1点。三人とも全くジャンルが違います。音楽に例えて言うなら、ハードロックと、ジャズと、テクノぐらい違う。
しかしそれは、突き詰めれば、私にとってはどうでも良い点なのかも知れません。


もう1点の方が、私にとっては重要でした。

それは、三人とも劇作家であり、かつ演出家でもある人たちであるという点です。
私は自分で作品を書いたこともありますが、基本的に『他人の書いた芝居を演出する演出家』なのです。

なぜ、この点にこだわってしまうかと言いますと、
劇作家であり演出家であるこの三人は、この人たちが考えなければ、
この世に存在しなかった世界を最初から作っているという、前提があるわけです。

つまり、自分で書いて、自分で演出する場合は、オリジナリティが最初から存在している。


しかし、私の場合は違います。

私が演出する作品は、私ではなく、劇作家さんが書いた戯曲です。

演出家としての私の存在意義は、現場の潤滑剤として機能するだけではない。
かといって、どうオリジナリティを出して良いかが、わからなかったのです。


『演出家なんだから、好きに作品を作れば良いじゃない。』


そう言う人も、確かにいます。
しかし私は『演出家は作品を好きに作って良い』とは思っていなかったのです。


演劇において、役者や演出効果は、より個性的な方がいいと思ってる人が多い気がします。
個性的=オリジナリティがある=良いと、認識されている面があるからでしょう。

私は個性的である事=良いととらえることを否定したいわけではありませんが、
個性的である事を優先するばかりに、作者が描きたかった本来の世界と、
全く別の世界になってしまっていると感じてしまう作品に出会うことが、非常に多かったのです。


では演出家は、作家が現場にいないから、演出家が代わりをするだけなのだろうか。


いや、違う。


演出家は、現場でもめ事が起きないようにする、単なる潤滑剤ではなく、
作者が現場に来れないから、作者の代理で台本の解釈を伝える存在だけではない。

演出家は、演出家としてのオリジナリティを持った上で、役者と作者の間で、演出家として責任を果たさなければならない。
では、他人の作品を演出する私のオリジナリティは、どこで出すべきなのかを悩んでいたのです。




そこで気付いたのは、私の舞台演出家という仕事は、オーケストラの指揮者に似ているという事です。
オーケストラの指揮者は、みんながみんな、自ら作曲をしているわけではないですよね。

人が書いた楽譜をみて、指揮者が指揮をするわけです。

前回、佐渡裕さんとその師匠に当たる、レナード・バーンスタインの演奏の動画を紹介しましたが、
同じビゼーのカルメンの譜面で指揮をしているにもかかわらず、二人から生み出された音楽は、全くの別の魅力があります。


J-POPの音楽番組においても、ジャズミュージックであっても、そこに指揮者はいません。
もちろんオーケストラに指揮者がいなくても、音は鳴るはずです。


では、「オーケストラに指揮者はいらないと思いますか?」と問うと、首を傾げたくなる。


指揮者の中には、佐渡裕さんやバーンスタインの他にも、世界で活躍し、実際に評価されている人が大勢います。

オーケストラの指揮者は長い歴史の中で、指揮者の果たすべき役割が明確になり、認知されているからこそ、
オーケストラに指揮者はいなくてもいいとは、思えないわけです。


もう1点注目すべき点は、佐渡裕さんのカルメンは、佐渡さんならではの、ビゼーのカルメンであり、
レナード・バーンスタインのビゼーのカルメンは、バーンスタインならではの、ビレーのカルメンになっている点です。


つまり佐渡裕さんもバーンスタインも、楽譜に新たに音符を書き加えたわけではなく、
鳴っている音符は一緒なのに、『音符の解釈が違う』から、彼らにしか作れないオリジナリティを持った音楽になっているわけです。


独自の魅力があるけれど、演奏されている楽曲は、間違いなくビゼーのカルメンなわけです。



そうなんです。私は、これだと思ったのです。



私の演出も同じで、作者を無視して、独自の世界を作り出せればいいわけではありません。



いままで何度も上演されてきた戯曲であっても、同じ台詞をいった上で、
作者の描いた世界を尊重した上で、それでもなお、私のオリジナリティを出せなければならない。



では、『私の演出とは、なんなのか。』

そして『私のオリジナリティとは、どうやって出していくべきなのか。』



次回は、そのことをまとめてみたいと思います。


他人の戯曲を演出する演出家のオリジナリティ(2)に続きます。
ビゼー『カルメン』 指揮:佐渡裕 & 指揮:レナード・バーンスタイン
題名のない音楽会ですっかりお馴染みの、指揮者の佐渡裕さんの動画をご紹介します。
可能なら、少しでもいいスピーカーで視聴してみてください。


ビゼー『カルメン』指揮:佐渡裕


画面右下の[・・・]を押して[×]に切り替えることで、画面に現れる文字を消すことができます。


ニコニコ動画のコメントは、佐渡さんの指揮のスピードが速い事ばかり指摘してますが、
単純に速いから引き込まれているわけではないことは、聞き始めてすぐにわかります。

ちょっと長い動画ですが、後半のファランドールも、かなりゾクゾク来ます。
実は、後半のファランドールの方が、カルメンより好きなくらいです。


クラシックは、私が小学生の頃にうちにあったレコードで、いくつか聞いたぐらいで、
中学校に入った頃には、ほとんど聴いてこなかったのですが、佐渡さんの存在を知った頃から、再び興味を持ち始めました。

レナード・バーンスタインのカルメンも貼っておきますので、よろしければ、聞き比べてみてください。
バーンスタインは20世紀を代表する指揮者で、佐渡裕さんのお師匠に当たる人です。小澤征爾さんのお師匠さんでもあります。

Bizet / Horne / McCracken / Bernstein, 1973: Carmen (Highlights) - Metropolitan Opera Orchestra


佐渡さんとバーンスタイン、二人のカルメンは全然違うのに、どちらもいいですねぇ。
東京国立博物館・特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」(2)
前回に引き続き「ボストン美術館 日本美術の至宝」展の(2)を書きます。

東京国立博物館・特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」(1)の続きになります。

さて前回、長谷川等伯の龍虎図に見とれた私ですが、
そこからしばらくすると、通路の向こうに伊藤若冲のオウムが見えてきます。

でもその前に、一幅の掛け軸。

《海棠に尾長図(かいどうにおながず)》狩野探幽(1602年-1674年)筆 ボストン美術館蔵
《海棠に尾長図(かいどうにおながず)》狩野探幽(1602年-1674年)筆 ボストン美術館蔵


さりげない展示で見過ごしてしまいそうになりますが、狩野探幽の傑作です。
画像をクリックして、大きな画像で見て頂きたいです。

海棠(かいどう)は春の花です。
目を離し再び海棠へ目を戻すと、そこにすでに尾長鶏の姿はなく、せせらぎのみがそこにある気がしてきます。

これ、いいですよねぇ。
初めて、掛け軸を欲しいと思ったかも。


では次に、伊藤若冲のオウム。

《鸚鵡図(おうむず)》伊藤若冲(1716年-1800年)筆 ボストン美術館蔵
《鸚鵡図(おうむず)》伊藤若冲(1716年-1800年)筆 ボストン美術館蔵


白の単色で、大変細かい筆遣いで描かれています。

さすが人気の若冲なだけあって、人だかりができていました。

でも、なんでしょ。

若冲の初期の作品らしいですが、私は思ったほどこのオウムに惹かれなかったんですよね。
それよりも、私は横にあった十六羅漢図(じゅうろくらかんず)の方に、興味を引かれました。

《十六羅漢図(じゅうろくらかんず)》伊藤若冲(1716年-1800年)筆 ボストン美術館蔵

羅漢(らかん)というのは、お釈迦様の優秀なお弟子さんの事でして、
お釈迦様には、山ほど弟子がいたのですが、そのうちの16人を取り上げた作品の4人が、一幅ごとに描かれているのです。

衣類のものすごい簡略描写と、コミカルな顔立ち。
写生派の印象が強い若冲の、省略された線描がとらえる対象の本質。
予想外の収穫でした。


続いて見えてくるのが、尾形光琳の松島図。

《松島図屏風(まつしまずびょうぶ)》尾形光琳(1658年-1716年)筆 ボストン美術館蔵
《松島図屏風(まつしまずびょうぶ)》尾形光琳(1658年-1716年)筆 ボストン美術館蔵

光琳の松島図は、俵屋宗達の松島図の模写になります。東北の松島を描いたものではないようですね。

波の表現がダイナミックですよね。

なんか昔、日本画の波の表現は、枯山水の影響を受けているみたいな事を聞いた気がするんですが、
私はこの松島図を見ながら、夏に大きな鍋でゆでる、そうめんを思い出したんですよね。

どこかに、日本画の波表現とそうめんの関係性を記した論文はないですかね。


さて、私が遠目に見つけてドキドキしたのが、曾我蕭白の鷹図。

《鷹図(たかず)》曾我蕭白(1730年-1781年)筆 ボストン美術館蔵
《鷹図(たかず)》曾我蕭白(1730年-1781年)筆 ボストン美術館蔵

奇才の画家で知られる曾我蕭白ですが、写実的な鷹を描いていることは、知っていたんです。
それがボストン美術館の所蔵であったとは!!

あれ?

なんか、おかしくない?


鷹が振り返っている構図ですので、重心は若干後ろに来ますよね。
しかし、鷹の足下の岩肌は平面的で鷹の爪が、岩肌にかかってないですよね。

なんか鷹を真ん中に先に書いてから、右下の岩肌を後から書き加えたと思うぐらい、アンバランスな気がしてきませんか?


このブログを書くために、ちょっと調べたのですが、私が見たかった鷹図は、こっちだったようです。

《鷹図(たかず)》曾我蕭白(1730年-1781年)筆 香雪美術館蔵
《鷹図(たかず)》曾我蕭白(1730年-1781年)筆 香雪美術館

ね。全然違うでしょ。

画像をクリックして、大きな画像でも見比べてみてください。


では最後に、この展覧会最大の目玉、曾我蕭白の雲龍図です。

《雲龍図(うんりゅうず)》曾我蕭白(1730年-1781年)筆 ボストン美術館蔵
《雲龍図(うんりゅうず)》曾我蕭白(1730年-1781年)筆 ボストン美術館蔵

でかー。

やはり生で見ると違いますね。
どうしても画像だと、視覚的に全体を一瞬でとらえてしまいますが、
この、一瞬で理解できないほどのスケールも含めての、芸術なのでしょう。

この雲龍図の展示は、頭4枚・尾4枚で構成されています。

つまり、畳で計算すると、8+8=畳16枚

しかし、この雲龍は真ん中の胴体部分が残っていないのだそうです。
よく見ると、龍の左手が切れてしまってなく、頭と尾のつなぎ目が、おかしいんです。

胴体部分が畳8枚なのか、畳16枚なのかわかりませんが、8+8(欠損)+8で計算すれば、畳24枚分ですよね。
これは、廊下に直線で並べたものなのか、部屋の四方を囲んだものなのかわかりませんが、さぞや圧巻だと思うんですよね。

私は結局、平成館に4時間半もいてしまい、帰る頃には足がガクガクいってました。
普通は2時間ぐらいで回るのではないのでしょうか。

ボストン美術館展の会期は2012年3月20日~2012年6月10日までです。
興味を持って頂けた方は、是非どうぞ。


東京国立博物館140周年 特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」
ホームページ:http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1416
特別展・特設ページ:http://www.boston-nippon.jp/
東京国立博物館・特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」(1)
上野にある東京国立博物館の平成館で「ボストン美術館 日本美術の至宝」が開催されています。
最近、日本の古美術にはまっているので、私も行ってきました。


入り口で目に飛び込んでくるのが、平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)作の、岡倉覚三(岡倉天心)像です。

《岡倉覚三像(おかくらかくぞうぞう)》平櫛田中((1872年-1979年)作 ボストン美術館蔵
《岡倉覚三像(おかくらかくぞうぞう))》平櫛田中((1872年-1979年)筆 ボストン美術館蔵

台座に「天心先生」って、書いてますね。

岡倉天心は、私の勝手な美術史(7)でもご紹介した東京美術学校(現・東京藝術大学)の設立に大きく貢献した人です。
東京美術学校第一期生には、横山大観(よこやまたいかん)や菱田春草(ひしだしゅんそう)が名を連ねており、
岡倉天心は27歳で、東京美術学校の第二代校長に就任しています。

その後、東京美術学校を去ることになりますが、
42歳でボストン美術館中国・日本美術部に迎えられて、後のボストン美術館東洋部部長を務めています。
近代日本の美術教育、伝統美術の復興、文化財保護などに多大な貢献をした人物です。

若い頃に心臓の手術をしており、その傷跡が漢字の「天」の字に見えることから、自らを天心(てんしん)と呼んだとのこと。

格好良すぎるだろうが。



さて、私の勝手な美術史(7)でもご紹介した、横山大観と菱田春草ですが、実は共に狩野派の画法を学んでいます。

室町時代から400年続いた狩野派は、常に画壇の中心に居座り、封建的画壇の弊害を作ったとされる場合もありますが、
当時の日本には美術学校がなく、古くからの日本画の技法をしっかりと受け継いてきた狩野派の絵師達のおかげで、
中世から近代において、日本画を基礎から学ぶことができたと、近年になって狩野派の存在が再評価されているそうです。

「円山応挙」や「伊藤若冲」、「尾形光琳」も実は、狩野派の画法を学んているんですよ。


さて、そんな横山大観の狩野派の画法のお師匠が、狩野芳崖(かのうほうがい)
菱田春草の狩野派の画法のお師匠が、橋本雅邦(はしもとがほう)です。


《江流百里図(こうりゅうひゃくりず)》狩野芳崖(1828年-1888年)筆 ボストン美術館蔵
《江流百里図(こうりゅうひゃくりず))》狩野芳崖(1828年-1888年)筆 ボストン美術館蔵


《騎龍弁天図(きりゅうべんてんず)》橋本雅邦(1835年-1908年)筆 ボストン美術館蔵
《騎龍弁天図(きりゅうべんてんず))》橋本雅邦(1835年-1908年)筆 ボストン美術館蔵


明治期、新しい日本画を模索した二人の狩野派の絵師の作品を、並べて鑑賞できたことは、とても良かったです。
実物は、二つともとても大きく、迫力があるんですよ。



前半は仏画が中心ですが、後半は刀剣や振袖なんかも出てきます。
来国俊作の短刀、備州長船兼光作の短刀などがありますが、
東京国立博物館所蔵の来国俊作の短刀は国宝扱い、備州長船兼光作の短刀は重要文化財です。

ボストン美術館の収蔵品が、幻の国宝と言われているのも、決して誇大な言い回しではないと言うことがわかります。


私は、振袖の魅了を再発見しました。

《振袖 黒縮緬地桜楓模様(くろちりめんじおうふうもよう)》美術商山中商会販売 ボストン美術館蔵
《振袖 黒縮緬地桜楓模様(くろちりめんじおうふうもよう)))》美術商 山中商会販売 ボストン美術館蔵


わ。きれいだ。これ。

日に全く焼けていません。
アメリカに持って行ったは良いけど、誰も着れなかったのではないでしょうか。
そもそも、着るという発想はなかったのか。

私は美術館にある衣類というのは、当時の日本の織物技術における資料的価値で展示しているのだと思っていました。
しかし、この振袖は、そのもの自体が美術品であるという気品を称えています。

他に展示されていた能衣装の「唐織」もまた見事なのですが、
この振り袖は、当時の公家の娘さんが着ていたであろうという記述に、是非、これを着た立ち姿を見たかったです。


さて次は、水墨画の日本の最高峰、長谷川等伯の「龍虎図屏風」です。

《龍虎図屏風(りゅうこずびょうぶ)(左隻)》長谷川等伯(1539年-1610年)筆 ボストン美術館蔵
《龍虎図屏風(りゅうこずびょうぶ)(左隻)》長谷川等伯(1539年-1610年)筆 ボストン美術館蔵

《龍虎図屏風(りゅうこずびょうぶ)(右隻)》長谷川等伯(1539年-1610年)筆 ボストン美術館蔵
《龍虎図屏風(りゅうこずびょうぶ)(右隻)》長谷川等伯(1539年-1610年)筆 ボストン美術館蔵


これは、すごい!

屏風絵ですので、実際は畳12枚分ほどの大きさです。

屏風の端に、「自雪舟五代長谷川法眼等伯筆 六十八歳」と書いてある、最晩年の傑作です。
牧谿の作風を引き継ぎ、雪舟を敬愛した長谷川等伯は、自らを五代雪舟と呼んだのだそうです。

さて、長くなったので、(1)と(2)に分けますね。
東京国立博物館・特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」(2)へ続きます。

東京国立博物館140周年 特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」
ホームページ:http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1416
特別展・特設ページ:http://www.boston-nippon.jp/

ちなみに会期は2012年3月20日~2012年6月10日までですよ。
復興支援ソング『花は咲く』 花は咲くプロジェクト
復興ソングの『花は咲く』の動画です。
友人のO川くんとの話に出まして、ブログでも紹介させて頂きます。


この曲はNHKが東北地方太平洋沖地震の被災地の支援を行う、(NHK東日本大震災プロジェクト)の一環です。
作詞は岩井俊二さん、作曲は菅野よう子が担当しました。そういえば、菅野女史は宮城県の出身でしたね。

NHKのページにて、菅野よう子さんの作品に対するコメントを見つけました。

>作曲するにあたって心がけたこと。それは自分を出来る限り消し、
>音楽が、パフォーマーや聴く人の気持ちを載せることのできる透明な器であるようにする、ということでした。

>そのためには、私自身が子供のようにのびのびと健やかである必要がありました。
>チャリティーである意味や、聴く人を傷つけない心遣いさえ一度忘れ、滝に打たれこそしませんでしたが、
>1週間ほどかけて音楽家としての下心や技巧を落としてゆきました。

>そして1月のある晴れた午前中、
>「いま、生まれていいよ」と岩井監督からいただいた詩に導かれるままに、私の中にいた4歳の自分が一気に作りました。
>そんなふうに作品に取り組める経験は、とても豊かなものでした。

>歌の録音では、もしも天国があるならばそこにいる人に、
>「わたしはこんなふうに元気でやってます」と伝わるようなテイクを選ばせていただきました。
>少しずつ、あなたの傷が癒えますように。

>100年経って、なんのために、
>あるいはどんなきっかけで出来た曲か忘れられて、詠み人知らずで残る曲になるといいなあと願っています。
                                                       NHKのページからの引用

CDは、5月23日に発売です。

>CDには花は咲くプロジェクトによるバージョンのほか、
>同プロジェクトにも参加しているAKB48チーム4の岩田華怜が歌うソロバージョン、
>Members from The Little Singers of Tokyoが歌うバージョン、「花は咲く」のインストという計4曲を収録。
>インスト以外の3バージョンはそれぞれバックトラックも異なる。
>また、初回限定盤には「花は咲く」ビデオクリップのオリジナルフルバージョン、
>「AKB48 岩田華怜『花は咲く』を歌う。」と題した映像などが収められたDVDが付く。
                                              最新音楽ニュース ナタリーからの引用

収益金は、すべて被災地の復興支援に充てられるそうです。

《花は咲く フルバージョン》


《AKB48岩田華怜-花は咲くPoem Ver》


友人のO川くんは、千昌夫さんのところで、ぐっと来たそうです。
私は、遊佐未森さんの透明感のある声に、天を仰ぎます。

あなたは、どこで涙しましたか?


花は咲く フルバージョン もうちょっと良い画質版 →こちら←
AKB48岩田華怜-花は咲くPoem Ver もうちょっと良い画質版 →こちら←
2012年の岸田国士戯曲賞
今年の岸田國士戯曲賞が2012/3/5に発表され、30年ぶりに3名同時受賞となったんだそうです。

昨日、実家の母からの電話で、
同時受賞した藤田貴大さんが、私の高校時代の演劇部の後輩に当たる事を教えられました。
8年も年が離れてるので、面識は全くないんですけどね。


◆藤田 貴大(フジタ タカヒロ)
 1985年生まれ。北海道伊達市出身。桜美林大学文学部卒。
 マームとジプシー 主宰、劇作家、演出家

85年生まれって、すげー若い。まじかよ。 ←本気で驚いた


ちなみに3人のうちのもう一人、ノゾエ征爾さんは、ENBUの上級生に当たります。
ENBUは1年間なので、ノゾエさんとも面識はないんですけどね。

◆ノゾエ 征爾(ノゾエ セイジ)
 1975年生まれ。岡山県出身。青山学院大学経営学部卒。
 劇団はえぎわ 主宰。


すみません。もう一人の方は、存じ上げませんでした。

◆矢内原 美邦(ヤナイハラ ミクニ)
 1970年生まれ。愛媛県出身。大阪体育大学、東京映像芸術学院卒。
 ニブロール/ミクニヤナイハラ 主宰、劇作家、演出家


こりゃ、俺も、がんばらなけりゃだめだ。

受賞、おめでとうございました。
コントを演劇的に見る(4) - バナナマンの『LAZY』
このコントを、演劇的だと感じる点を9つあげておきます。

◆1.明かりが付いていない段階から台詞が始まる。明かりが付く前から、物語は続いている事を想像させる。

◆2.ここがどこで相手が誰なのか、なぜこのような自体になっているかを、いきなり説明しない。つまり設定を設定として説明しない。
   何が起きているのか特定されない漠然とした情報から、
   個人を特定される情報(登場人物の名前や役割)へと徐々に情報を開示していくことで、
   観客は、物語を自主的に追いかけようとする。観客の想像力を駆り立てて物語へ引き込む、効果的な手法である。

◆3.設楽が横になってコーヒーを飲むシーンなど、一般的なコントに見られる体の緊張はなく、非常にリラックスしている。
   台詞をウケを狙って意図的に言うのではなく、物語の世界に、その役としている事をなによりも優先している。
   そのため、声の強弱・高低・緩急・広角と鋭角・意図的に崩した音など、二人の出している音のバリエーションが非常に多い。

◆4.自分の台詞が相手の台詞にかぶさることも、物語の自然な流れであれば恐れない。
   どこが面白いかという情報を伝えることよりも、会話を成立させることを優先している。
   だからこそ、台詞をかんでも気にしない。うまく伝わらなかったら、言い直せば問題ないのである。

◆5.設楽がだるまのTシャツを見つけてしまうことで観客が目撃者になるが、その認識の差を安易に埋めない。
   やはりあったことが面白いだけではない。二人の認識の差が、その後の二人の行動に、どう影響するかが目が離せない。
   つまり、あったというハプニングが面白いだけではなく、その後の二人の関係が、どうなっていくかが面白いのである。

◆6.二人のステータスの違いを明確にして、二人の関係性を描く作品はよく見かけるが、
   通常はそのステータス(どちらが立場が上か・どちらに発言力があるか)は変動しない。
   この作品は、本来対等であった二人の関係が、物語が進むに連れステータスの上下が定義され、
   物語の進行において、それが何度も入れ替わる。
   ボケと突っ込みが入れ替わるのではなく、二人のステータスが何度も入れ替わる点が、すばらしい。

◆7.(5/5)の展開は少々突飛である。ただし、日村の話が本当かも知れないし、
   ひょっとすると嘘かも知れないが、観客はそこを含めて受け入れてしまう。
   観客にとっては、もはや本当でも嘘でもいいのだと思う。日村と設楽を見たいのである。

◆8.全編を通しての観客の笑っているポイントを細かく観察すると、観客の笑って瞬間は、まとまっていない。
   言っていることが面白いのではない。物語から紡ぎ出される、二人の関係性が面白いのである。
   だからこそ、お客さんが笑うタイミングは、一つに集約されない。

◆9.物語の最初と最後で、状況の変化だけではなく、人間の成長が描かれている。



最後に起きる観客の拍手は、本当の賞賛であろうと思わせるほど力強く、説得力がある。

ここまで書いてて気付いたが、バナナマンのコントが演劇的なのもあるが、
最近の芝居が、コント的になってしまっているんでしょうね。

いやぁ。バナナマンおもしろい。

1/5


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YouTubeの動画の最後の方だけ音が出なくなった(これで解決するかも)
動画サイトのYouTube(ゆーちゅーぶ)ですが、
どうも最近、YouTubeで動画を見ていると、動画の最後の方の数秒が、音が出ない。

どうしたものかと思っていたが、
Yahoo!知恵袋に、同様の症状で困っている人の書き込みがあったので、紹介しておきます。

要は、どの動画を最初から見ていても、終わりの頃の数秒間は音が出なくなり、
終わりの少し手前から改めて再生すると、最後まで音が出るといった症状なんです。

質問:《You Tubeを見ていると必ず動画の最後の一割は音声が出ないまま 動画だけが流れます...》

《You Tubeを見ていると必ず動画の最後の一割は音声が出ないまま 動画だけが流れます...》
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1180980216


今までで、一番唖然としたベストアンサーでした。


ちなみに、解決方法が判明しましたので、同じ症状で困っていた方は下記をお試し下さい。

=おしらせ=====================================

ちなみに、【HD】交響詩篇エウレカセブン ノンクレジット 1OP「DAYS:FLOW」の動画の音は出ますか?
下記を試した後に、もう一度このページで音が出るかを、ご確認すると良いかもしれません。

《You Tubeを見ていると必ず動画の最後の一割は音声が出ないまま 動画だけが流れます...1》
《You Tubeを見ていると必ず動画の最後の一割は音声が出ないまま 動画だけが流れます...2》
《You Tubeを見ていると必ず動画の最後の一割は音声が出ないまま 動画だけが流れます...3》
《You Tubeを見ていると必ず動画の最後の一割は音声が出ないまま 動画だけが流れます...4》

このHTML5動画試用版が原因ではありませんでしたか?

違った方は、解決しなくてごめんなさい。

でた方は、よかったよかった。
コントを演劇的に見る(3) - バナナマンの『宮沢さんとメシ』
またバナナマンのコントで、インターバルをとります。

このコントを、演劇的だと感じる点を4つあげておきます。

◆1.演者が二人の物理的な距離が、二人の精神的な距離(親密度)にも影響していることを理解した上で、
   二人の関係性を描く上で必要な物理的な距離を、舞台上でも的確にとっている。

◆2.言葉尻ひとつ、イントネーションひとつで、言葉の意味が全然変わってしまうことは、
   日常も舞台上も同じだという事を理解して、細密なリアクションで話が紡がれる。

◆3.不条理に対して、単純に『キレル』という行為に終始しない。
   人がどう怒りを表し、どう受け入れるかを、バリエーションを持って再現する。

◆4.『物語の世界における時間の進むスピード』が、『観客の体内時間の進むスピード』と一致する。
   照明が付いてから、消えるまでの(1シーン)中で、演者の都合で時間をワープしたと感じさせない。



なぜか美術史、そのうち芝居(7)
引き続き、美術史について書きます。

さて、明治期の日本ですが、
新しくできた日本政府は、天皇制の正当性をより明確にするために、
「神道と仏教を分離しましょう」という政策を出しました。

それが予期せぬ形で、廃仏毀釈運動となってしまいます。

結果、日本の仏像や寺院は次々に破壊され、
日本の貴重な美術品が、海外のコレクターにどんどん買われていきました。

ちなみにWikipediaの廃仏毀釈によると、
現在、国宝に指定されている興福寺の五重塔は、25円で売りに出され、薪にされようとしていた。

というから、恐ろしい。


当時の日本は、西洋化の大きな波に飲み込まれており、
自分たちが今まで積み上げてきた芸術の価値を、見失っていたわけです。

そんな中、日本美術保護のために、日本最初の美術家養成学校が設立されます。
それが、東京美術学校(後の東京芸術大学)です。

その第一期生の中に、横山大観(よこやまたいかん)もいました。


日本美術に興味のない人でも、
横山大観の名前は知っている気もするのですが、どうなんでしょう。

《無我(むが)》横山大観(1868-1958年)筆 東京国立博物館
《無我(むが)》横山大観(1868-1958年)筆 東京国立博物館

教科書で見たことがある、この子ども、
なんかぼーっとしてないか?と思ったら、タイトルが『無我』だったのですね。


私は横山大観というと、富士のイメージがあるんです。

《不二霊峰(れいほうふじ)》横山大観(1868-1958年)筆 メナード美術館蔵
《不二霊峰(れいほうふじ)》横山大観(1868-1958年)筆 メナード美術館蔵

大観は、朝日新聞の取材にこう答えています。

>(前略)富士の形だけなら子供でも描ける。富士を描くということは、富士にうつる自分の心を描くことだ。
>心とはひっきょう人格に他ならぬ。それはまた気品であり、気はくである。
>富士を描くということは、つまり己を描くことである。
>己が貧しければ、そこに描かれた富士も貧しい。富士を描くには理想をもって描かねければならぬ
                              (大観「私の富士観」『朝日新聞』昭和29年5月6日より引用)

ひっきょう(副詞):その物事や考えをおし進めて最後に到達するところは。結局。要するに。


大観も、前回記述した『写意』と同じ事を言っているわけです。
この言葉は、私の心に、しかと刻み込まねばならない。


さて、大観と同じ東京美術学校1期生の中に、菱田春草(ひしだしゅんそう)という人がいます。

菱田春草(1874年-1911年)は大観の無二の親友でしたが、
若くして腎臓疾患のためにこの世を去りました。36歳でした。

大観は晩年、春草について、このように語っています。


『あいつ(菱田)が生きていたら俺なんかよりずっと巧い』


重要文化財《落葉(らくよう)(左隻)》菱田春草(1874年-1911年)筆 永青文庫所有・熊本県立美術館寄託
重要文化財《落葉(らくよう)(左隻)》菱田春草(1874年-1911年)筆 永青文庫所有・熊本県立美術館寄託

重要文化財《落葉(らくよう)(右隻)》菱田春草(1874年-1911年)筆 永青文庫所有・熊本県立美術館寄託
重要文化財《落葉(らくよう)(右隻)》菱田春草(1874年-1911年)筆 永青文庫所有・熊本県立美術館寄託

この絵に、西洋画の遠近法は用いられてはいません。

手前の木の肌は無線描法でしっかりと描かれているのに対して、後ろの木肌は、朦朧体で描かれています。
地面は描かれていません。降り積もった落ち葉が、ただそこにあるだけです。

手前の積もった落ち葉が、奥に行くにつれてなくなっていきますが、
これは落ち葉がなくなったわけではなく、深い霧に覆われているのです。

奥に行くにつれてかすかに見える木々の根元が、そこにおそらくある地面を想像させます。
深い霧に包まれた日本の山間の姿を、空気感とともに見事に再現しているのです。


さて、春草の代表作をもう一つ。

重要文化財《黒き猫(くろきねこ)》菱田春草(1874年-1911年)筆 永青文庫所有・熊本県立美術館寄託
重要文化財《黒き猫(くろきねこ)》菱田春草(1874年-1911年)筆 永青文庫所有・熊本県立美術館寄託

写実的に描かれた黒猫と、輪郭線を用いた柏の木。
背景は描かれず、木の根元に落ちた2枚の葉が、そこに地面を想像させます。

この作品も、西洋の遠近法は、用いられていません。

なんでもこの作品、第3回文展(文部省美術展覧会)に発表した作品なのですが、
制作していた屏風「雨中美人」の着物の色が思い通りにならず、予定を変更して5日で描き上げたそうです。

隣の家から借りてきた黒猫が、逃げまくって困ったとのこと。


美しいですよね。
5日で描いた作品が、重要文化財というのも驚きですけど。


さて、菱田早春も『写意』を追求した画家でした。


菱田早春は晩年、

『本質を描こうとすると、線描の筆数は、限りなく減らすことができる。』

というところに、至ったのだそうです。

《月四題のうち秋》菱田春草(1874年-1911年)筆 山種美術館蔵
《月四題のうち秋》菱田春草(1874年-1911年)筆 山種美術館蔵


1910年製作、月四題のうちの『秋』です。

早春がこの世を去る、1年前の作品です。
よろしければ、他の作品も是非どうぞ。

『月四題-春』『月四題-夏』『月四題-秋』『月四題-冬』

これを見ていると、時間が止まったような気さえしてきます。


さて、私の中での美術史を整理するのは、一区切りしようと思います。
文人画も浮世絵も全く触れませんでしたが、その辺は折を見て。

次回は、演劇における『写意』、私にとっての『写意』ですかね。

頭の中が整理できるだろうか・・・。
なぜか美術史、そのうち芝居(6)
前々回に引き続き、美術史について書きます。

円山応挙が生き、曾我蕭白が生きた同年代に、伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)という画家が、やはり京都にいました。
一番早く生まれた伊藤若冲ですが、同年代に活躍した絵師の中で、一番長く生きています。

伊藤若冲(1716年-1800年)
円山応挙(1733年-1795年)
長沢蘆雪(1754年-1799年)
曾我蕭白(1730年-1781年)

ちなみに琳派の尾形光琳(1658-1716)がこの世を去っている年に、若冲は生まれています。

若冲は、京都の青物問屋の長男として生まれました。
お酒も芸事もせず、妻も娶らず、40歳の時に家督を譲り、
84歳までひたすら絵を描くことのみに没頭し、生涯を終えました。

若冲と言えば鶏。自宅の庭には軍鶏を数十羽飼って、いつも観察していたそうです。

《動植綵絵内-群鶏図(どうしょくさいえ-ぐんけいず)》伊藤若冲(1716年-1800年)筆 宮内庁蔵
《動植綵絵内-群鶏図(どうしょくさいえ-ぐんけいず)》伊藤若冲(1716年-1800年)筆 宮内庁蔵

見る者を強く引き込む、どぎついまでの強い彩色。
鶏だとわかっているはずなのに、幻惑的な世界を醸し出しています。

Wikipediaの動植綵絵によると、「動植綵絵」は、若冲が臨済宗相国寺に寄贈したものですが、
明治22年に相国寺から明治天皇に献納され、その下賜金1万円のおかげで、
相国寺は廃仏毀釈の波の中も、1万8千坪の敷地を維持できたそうです。

群鶏図の構図の秘密について、過去にNHKで特集を組まれたようです。
こちらのブログが、その時の画像付きで詳しく説明してくれています。


さて、この伊藤若冲。細密に書かれているその鳥の姿は、写生的と言われるのですが、
写生画としては、色・形など、細部まで厳密であるとは言えないのだそうです。

厳密な写生でないにもかかわらず、なぜ若冲の絵は、ここまで人を魅了するのか。


この頃の日本に中国から、『芥子園画伝(かいしえんがでん)』という本が入ってきます。
ようは絵を描く技法を書いた本で、この中に『写意』という言葉が出てきます。

伊藤若冲は、この『写意』を重んじた絵師と言われているのです。



そこで、大阪大学文学研究科助教授の濱住真有氏の論文の冒頭に記載されている、
日本美術史学者で東京大学名誉教授の河野元昭氏の著書「江戸時代『写生』考」からの引用部分を私も拝借し、

『写意』について整理してみたいと思います。

>(中国において)写意には第一から第三までの三つ意味があり、
>それは、第一に「対象の大意の描写」である「客観写意」、
>第二に「描き手の意趣の描写」である「主観写意」、
>第三に「自由奔放な筆墨技法」や「没骨のような技法語」である「技法写意」とされる。

三つ目は技法に関わる部分なので、ここでは第一、第二に絞って整理すると、


『客観写意』:対象の大意の描写
『主観写意』:描き手の意趣の描写


となるわけです。

では、作品に心(魂)を入れるために必要な、『対象の大意の描写』と『描き手の意趣の描写』とは、
別な言葉で言い換えられないかと思い立ち、私はこのよう考えました。


『客観写意』:対象の大意の描写=対象が輝きを放った、対象本来が持つ魅力(生命力・気品)
『主観写意』:描き手の意趣の描写=対象を描きたいと思った、書き手がすくい上げたい対象の魅力


あくまで美術に関して素人の私の見解ですが、
円山応挙がもし『軍鶏』を描くのならば、『客観写意』を重要視し、
まず、軍鶏として厳密である事を何よりも大切にしたのではないかと思うのです。

だからこそ、円山応挙の作品は『応挙が見える前に、まず軍鶏である』のだと思うのです。


反対に曾我蕭白は『主観写意』を重要視したからこそ、
『曾我蕭白だからこそ描ける軍鶏になる』のだと思います。


さて、実はここで『写意』に、『客観』も『主観』もあるのかという問題点が浮上します。


そもそも『客観』というのは、突き詰めると製作者の理想を述べた言葉であり、
『客観』と言ったとしても、結局は製作者の『主観』となってしまうからです。

例えば『軍鶏』の気品と生命力は、
結局は製作者が『軍鶏』のその立ち姿に、製作者の客観的見解から気品と生命力を感じたわけであり、
百歩譲って『軍鶏』が仮に筆を持って自分の姿を描いたとしても、
『軍鶏』は、自分自身を客観視できないというわけです。


しかし、もう一歩踏み込んで、こう置き換えてみたらどうでしょう。


対象が輝きを放った、対象本来が持つ魅力(生命力・気品)=本質


『写意』というのは、goo辞典ではこのように記されています。
>東洋画で、外形を写すことを主とせず、画家の精神または対象の本質を表現すること。

つまり、
『客観写意』:対象の大意の描写=対象が輝きを放った、対象本来が持つ魅力(生命力・気品)=対象の本質を表現すること
『主観写意』:描き手の意趣の描写=対象を描きたいと思った、書き手がすくい上げたい対象の魅力=画家の精神を表現すること


という事ではないかと、思うのです。

では改めて、若冲の他の作品を見てみましょう。


《紫陽花双鶏図(あじさいそうけいず)》伊藤若冲(1716年-1800年)筆 プライス・コレクション
《紫陽花双鶏図(あじさいそうけいず)》伊藤若冲(1716年-1800年)筆 プライス・コレクション

うーん。うまい!!

是非、画像をクリックして細部までご覧下さい。

写実と想像を見事に調和させた、伊藤若冲。
私の大好きな絵師の一人です。


次回は、明治期に新しい日本画を探求した、二人。
菱田春草(ひしだしゅんそう)と横山大観(よこやまたいかん)でしょうか。
コントを演劇的に見る(2) - バナナマンの『Are you satisfied now?』
ここのところ美術史について書いてきましたが、
『写意』についてまとめる段階で苦戦してますので、
バナナマンのコントで、一回インターバルをとります。


satisfiedという単語は、「満足した。満ち足りた。」という意味。
題名の『Are you satisfied now?』は、『これで満足したか?』という意味になります。

非常に演劇的な作品です。1/2と2/2と、続けてどうぞ。



なぜか美術史、そのうち芝居(5)
引き続き、美術史について書きます。

さて、前回取り上げた円山応挙と全く同時期に、同じ京都に曾我蕭白(そがしょうはく)という絵師がいました。

重要文化財《群仙図屏風(ぐんせんずびょうぶ)(左隻)》曾我蕭白(1730年-1781年)筆 文化庁蔵
重要文化財《群仙図屏風(ぐんせんずびょうぶ)(左隻)》曾我蕭白(1730年-1781年)筆 文化庁蔵


重要文化財《群仙図屏風(ぐんせんずびょうぶ)(右隻)》曾我蕭白(1730年-1781年)筆 文化庁蔵
重要文化財《群仙図屏風(ぐんせんずびょうぶ)(右隻)》曾我蕭白(1730年-1781年)筆 文化庁蔵

さすが異端・狂気の画家と言われただけあります。
是非、画像をクリックして、拡大してみてください。

Wikipediaの曾我蕭白の群仙図屏風には、このような解説がなされています。

>蕭白の代表作で、日本美術史上類を見ない奇想天外な作品。
>右隻右端から順に、袋に薬草らしき枝を入れた医師董奉(扁鵲とも)、簫を吹く簫史、八仙の一人李鉄拐と呂洞賓。
>左隻には、決して可愛いとはいえない子供を連れた林和靖、水盤から魚を取り出す左慈、
>美人に耳垢を取らせる蝦蟇仙人、最後に彼らを虚ろな表情で眺めている西王母が描かれる。
>仙人や唐子、鶴や鯉など不老長寿を願うめでたいモチーフが散りばめられていることから、
>何らかの縁起物として発注されたと推測される。

すごい画力ですよね。それにしても、縁起物って・・・。

これが祝いの席に飾られていたら、出席者全員どん引きですよね。
私が幼い頃にコレを見たら、絶対にトイレに行けなくなると思います。

では、もう一つ見て頂きましょう。

重要文化財《寒山拾得図(かんざんじっとくず)(寒山)》曾我蕭白(1730年-1781年)筆 京都国立博物館寄託
重要文化財《寒山拾得図(かんざんじっとくず)(寒山)》曾我蕭白(1730年-1781年)筆 京都国立博物館寄託

重要文化財《寒山拾得図(かんざんじっとくず)(拾得)》曾我蕭白(1730年-1781年)筆 京都国立博物館寄託
重要文化財《寒山拾得図(かんざんじっとくず)(拾得)》曾我蕭白(1730年-1781年)筆 京都国立博物館寄託

これまた、怖い!

Wikipediaに『寒山』『拾得』の解説がありますので、興味がある方はどうぞ。


こんなびっくりする絵を描いていた曾我蕭白ですが、
実は当時は、西洋画的な円山応挙の方が、曾我蕭白より異端だったと言う話もあるから驚きです。

そんな曾我蕭白、円山応挙の絵に関して、こんな事を言っています。


『画が欲しいなら自分に頼み、絵図が欲しいなら応挙が良いだろう。』


ここで蕭白は、「画」と「絵図」という言葉を使い分けてます。

つまり曾我蕭白に言わせれば、応挙が描いているのは、図録に載せる挿絵みたいなもので、
自分(曾我蕭白)が描くものは、その程度じゃない。

と皮肉っているわけです。

これは曾我蕭白の単なる負け惜しみではなく、
当時の画壇では、応挙の絵を冷ややかに見ている人は、他にもいたようです。


私も確かに、言い得て妙だと思うのです。
しかし円山応挙の絵が、ただの図録の挿絵だとは思いません。


応挙は写生を重要視した絵師ですが、応挙は弟子達に、こんな事も言っていたようです。


『気韻生動というものは写生を徹底すれば自ずと出来てくるもので、写生を超える画趣も可能になるのだ。』


『気韻生動』というのは、goo辞典ではこのように記されています。
>芸術作品に気高い風格や気品が生き生きと表現されていること。
>また、絵画や他の芸術作品などに、生き生きとした生命感や迫力があり、情趣にあふれていること。

>▽「気韻」は書画など芸術作品にある気高い趣。気品。
>「生動」は生き生きとしているさま。また、生き生きとして真に迫ること。
>中国六朝りくちょう時代、南斉なんせいの人物画の名手謝赫しゃかくが、
>『古画品録』の中で画の六法の第一に挙げたのに始まるといわれる。

円山応挙の言葉を整理すると、

『写生とはものの形を移すことに始まり、対象の持つ風格や気品、生命力までも描いてこその、写生である。』

といったところでしょうか。


ここで応挙をもう一つご紹介します。

国宝《雪松図屏風(ゆきまつずびょうぶ)-左隻》円山応挙(1733-1795)筆 三井記念美術館蔵
国宝《雪松図屏風(ゆきまつずびょうぶ)-左隻》円山応挙(1733-1795)筆 三井記念美術館蔵

国宝《雪松図屏風(ゆきまつずびょうぶ)-右隻》円山応挙(1733-1795)筆 三井記念美術館蔵
国宝《雪松図屏風(ゆきまつずびょうぶ)-右隻》円山応挙(1733-1795)筆 三井記念美術館蔵

雪の白は、下地の白を生かしています。
輪郭線を用いずに、墨の濃淡だけでここまで表現するとは、すごいですよね。

最近デジカメが普及しましたが、みなさんは、旅先で写真は撮りますでしょうか。
旅先から戻ってきて現像した写真って、なぜか、感動が半減しませんか。

おそらく、素人が撮ったレベルの写真は、
その場で感じた心地よい日差しや、頬をなでた風まで、封じ込める事ができていないからだと思うのです。

その点、応挙は、物語の中(作品の世界)に入れる気がしてくるのです。
だからこそ私は、応挙は、ただものの形を写した人ではないと、思っています。

ちなみに雪松図屏風は、三井記念美術館の所蔵です。
2013年1月4日より展示されるとのことですので、絶対見に行かなければと思っています。

豪商三井家をパトロンに付けることができたのは、応挙の絵には、風格と気品が備わっていたが故なのでしょう。


ま、実は私は、曾我蕭白が好きではないんです。
なぜかというと、全部、曾我蕭白じゃないですか。しかも、全部怖いじゃないですか。


そう思っていたら、こんなのを見つけました。

《石橋図(しゃっきょうず)》曾我蕭白(1730年-1781年)筆 バークコレクション
《石橋図(しゃっきょうず)》曾我蕭白(1730年-1781年)筆 バークコレクション


《龍図(りゅうず)》曾我蕭白(1730年-1781年)筆
《龍図(りゅうず)》曾我蕭白(1730年-1781年)筆


これ現代の漫画じゃないんですよ。今から250年以上前の、掛け軸です。何という構図と、躍動感でしょう。

曾我蕭白は、作家の精神性を重要視した作家だと言われています。
その精神性を表す言葉に、『写意』というものがあるんです。

次回は、『写意』と伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)ですかね。
なぜか美術史、そのうち芝居(4)
引き続き、美術史について書きます。

さて江戸中期、京都の亀岡市の農家に生まれ、
画壇に新風を起こした日本画家、今回は円山応挙(1733年-1795年)について書きます。

円山応挙は10代後半に、狩野探幽の流れを引く、狩野派の石田幽汀のもとで絵を学びます。
その若さで狩野派の門弟になると言うことは、すでに光るものを持っていたのでしょう。

しかし、その頃の狩野派の絵には、かつての探幽ほどの力強さはなく、
黒の輪郭線の中を色づけする狩野派のお家芸の技法も、すでに飽きられつつありました。

応挙は20代の修行期に、オランダの眼鏡絵に出会います。
眼鏡絵というのは、ようは凸型レンズをかけて絵を覗く、立体眼鏡の先駆けです。

《眼鏡絵-加賀の競馬-》円山応挙(1733年-1795年)筆
《眼鏡絵-加賀の競馬-》円山応挙(1733年-1795年)筆

応挙は、この眼鏡絵を描くアルバイトをしつつ、西洋画の遠近法を学びました。
そして、至る所でスケッチブックをひろげ、写生を続けたのです。



水墨画には、没骨法(もっこつほう)と呼ばれる技法が使われています。

筆を根元までほぐし、そこに水をたっぷりと含ませます。
含んだ水を適度に拭き取り、今度はちょこんと墨を含ませます。
その筆を寝かせ太い線を引くと、筆先と根元で、
墨の濃淡によるグラデーションができるのはわかりますでしょうか。

これが没骨法(もっこつほう)です。

水墨画は、ぼかすことで、輪郭線を消し去ることに成功していたわけです。

それに対して応挙は、二種類の絵の具を同時に含ませて書く、
付立法(つけたてほう)という方法で、カラーでありつつ、輪郭線を消し去ったのです。

応挙は、狩野派の画法を捨て、水墨画の技法を発展させた、独自の画法を確立させたのです。


重要文化財《孔雀牡丹図(くじゃくぼたんず)》円山応挙(1733年-1795年)筆 相国寺承天閣美術館蔵
重要文化財《孔雀牡丹図(くじゃくぼたんず)》円山応挙(1733年-1795年)筆 相国寺承天閣美術館蔵

応挙は、この付立法で大人気となり、門弟も1000人を超えたと言われます。

その中でも異彩の才能を発揮したのが、長沢蘆雪(ながさわろせつ)です。
その長沢蘆雪(1754年-1799年)の模写がこちらです。

《牡丹孔雀図屏風》長沢蘆雪(1754年-1799年)筆 ジョー・プライス コレクション
《牡丹孔雀図屏風》長沢蘆雪(1754年-1799年)筆

さすが蘆雪。

蘆雪の模写には、孔雀が一匹減ってますけど、意図的に外したんでしょうね。

左の牡丹の茎と華のラインと、孔雀の首のラインが対になっているようですが、
蘆雪の構図の方が、力強さを持っていますね。

ちなみに応挙が孔雀牡丹図を描いたのが38歳で、蘆雪が牡丹孔雀図屏風を描いたのが28歳。
蘆雪の、並々ならぬ才覚を感じます。


実は蘆雪は、師匠の下で日々模写を繰り返す生活を、大変に窮屈に感じており、
暴れまくった蘆雪は、応挙に3度破門されたと言われています。

そんな修行中の蘆雪に、こんな話があります。

>「修業時代、芦雪はある冬の朝、小川に氷が張って小魚が凍(い)てついているのに気が付いた。
>昼すぎ眺めると氷は溶けて小魚は楽しそうに泳いでいる。
>翌日応挙に話すと、お前は今おれの氷に凍てついておるが、きっと自由に泳ぎまわれる日がくる。
>その日を待っとるぞと肩をたたかれた。芦雪がはっとして己の絵をめざしたのはこれからだ」
                                            大阪日日新聞ホームページより引用

この経験から、蘆雪は自分の印章を、氷の中の魚にしたというのです。


蘆雪-印章



さて、和歌山県串本町に臨済宗の無量寺というお寺があります。

無量寺は1707年に発生した宝永地震による大津波で全壊したのですが、1786年に再建されました。
和尚さんと応挙が友人であったことから、新築祝いに障壁画を描いて欲しいと、応挙に依頼するのです。

応挙は快くそれに応じますが、応挙が自身で障壁画を届けることが難しかったため、
応挙は蘆雪に作品を託し、蘆雪に行ってこいと言いました。

和尚に応挙の障壁画を無事渡し終えた蘆雪ですが、
そこで蘆雪は「それがしもお祝いいたそう」と筆をふるっちゃうのです。

重要文化財《虎図》長沢蘆雪(1754年-1799年)筆 錦江山無量寺障壁画
重要文化財《虎図》長沢蘆雪(1754年-1799年)筆 錦江山無量寺障壁画


和尚が感激すると、蘆雪はそのまま書き続け、1年間に270点もの作品を、無量寺に残しています。

画像がどうしても見つからないのですが、無量寺の襖絵に、寺子屋で授業を聞かずに遊ぶ子どもの絵があるんです。
厳粛であるべき寺の一室に、学級崩壊の絵を描くそのセンスに、私は腹を抱えて笑った記憶があります。

きっと和尚も、蘆雪のやりたい放題を、笑って見ていたに違いありません。


ついでに蘆雪の最高傑作を、もう一つご紹介しておきます。

《白象黒牛図屏風》長沢蘆雪(1754年-1799年)筆 ジョー・プライス コレクション
《白象黒牛図屏風》長沢蘆雪(1754年-1799年)筆 ジョー・プライス コレクション

なんというダイナミックな構図でしょう。
国内にあれば、間違いなく重要文化財クラスでしょうね。

さて、できれは水牛をクリックして、屏風の印章を見て頂きたいのです。
今までの印章と、ちょっと違います。

無量寺であの虎を描いた7年後の39歳の時、蘆雪は印章の右上を割って、あえて欠損させたと言われています。

蘆雪-印章


その時、覆っていた氷は解け、魚は自由な世界へと泳ぎだしたのです。


次回は、円山応挙の絵を小馬鹿にした、曾我蕭白(そがしょうはく)ですかね。
なぜか美術史、そのうち芝居(3)
前回、前々回に引き続き、しばらく美術史について書きます。

さて、前回は狩野派のことを書いたわけですが、
狩野派は、主に武家のために、絵を描いていた絵師達なのです。

江戸には町衆から生まれ、公家にも好まれた美術もありました。

それが琳派です。

国宝《燕子花図(かきつばたず)》尾形光琳(1658-1716)筆 根津美術館蔵
国宝《燕子花図(かきつばたず)》尾形光琳(1658-1716)筆 根津美術館蔵

尾形光琳は、もともと呉服商の息子でした。
彼が幼い頃から見てきたのは、着物のデザイン。

だからこそ光琳の余白は、背景という空間ではなく、下地と言った方がしっくり来るのかも知れません。
まるで、着物のデザインのような、配置と美しさですよね。


琳派には、絶対に外すことができない3人の絵師がいます。
それが、俵屋宗達(たわらやそうたつ)、尾形光琳(おがたこうりん)、酒井抱一(さかいほういつ)です。

俵屋宗達(1570年?~1642年?)
尾形光琳(1658年-1716年)
酒井抱一(1761年-1828年)

この3名は、生きた年代が微妙にずれており、お互いに会うことができませんでした。

国宝《風神雷神図屏風(ふうじんらいじんずびょうぶ)》俵屋宗達(1570年?~1642年?)筆 京都国立博物館蔵
国宝《風神雷神図屏風(ふうじんらいじんずびょうぶ)》俵屋宗達(1570年?~1642年?)筆 京都国立博物館蔵

重要文化財《風神雷神図屏風(ふうじんらいじんずびょうぶ)》尾形光琳(1658年-1716年)筆 東京国立博物館蔵
重要文化財《風神雷神図屏風(ふうじんらいじんずびょうぶ)》尾形光琳(1658年-1716年)筆 東京国立博物館蔵

尾形光琳は、俵屋宗達の風神雷神図を模写する事で、琳派の技法を取得したそうです。

こうやって見比べてみると、上の俵屋宗達の風神雷神は、
互いに攻撃を繰り出すタイミングを伺う、緊迫感がありますよね。

また俵屋宗達の風神雷神が、時代が経っているせいか体表が薄暗いのも、
雷雲の下で対峙する、不気味さも備えている気がしてきます。

逆に尾形光琳の風神雷神図は、風神と雷神の視線がしっかりと対峙しているのが特徴なのだそうです。

だったら俵屋宗達の左隻の雷神を、一段高いところに置きまして、
自分が風神雷神と対峙する、3体目の魔人として楽しんでしまえと思うのは、邪道でしょうか。


さて、尾形光琳が死んでしまって、また何十年か後の事です。
尾形光琳の風神雷神図を見て、感激したのが酒井抱一です。

酒井抱一は、その喜びから、
尾形光琳の風神雷神図屏風の裏面へ、自ら表装をするわけです。

その表装が、なんと今では重要文化財。

重要文化財《夏秋草図屏風(なつあきくさずびょうぶ)》酒井抱一(1761年-1828年)筆 東京国立博物館蔵
重要文化財《夏秋草図屏風(なつあきくさずびょうぶ)》酒井抱一(1761年-1828年)筆 東京国立博物館蔵

表も裏も重要文化財って、もはや、しまいようがないじゃないですか。

ちなみに今は、ちゃんと剥がして、別々に保管されているそうですけどね。
分離する前の、『おい。これ、どこ持つんだよ・・・』の瞬間、見てみたかったです。


ちなみに、酒井抱一も、尾形光琳の屏風を模写をしているんです。

《風神雷神図屏風(ふうじんらいじんずびょうぶ)》酒井抱一(1761年-1828年)筆 出光美術館蔵
《風神雷神図屏風(ふうじんらいじんずびょうぶ)》酒井抱一(1761年-1828年)筆 出光美術館

うーん。。風神や雷神が、毘沙門天に踏まれてる天邪鬼(あまのじゃく)程度に見えてくる・・・。

酒井抱一は、尾形光琳の屏風が、俵屋宗達の模写だとは知らなかったそうです。
俵屋宗達の方を模写したら、また違ったんでしょうかね。

それにしても、こないだ紹介した、
「鳥類真写図巻」を模写した円山応挙って、やっぱりすごいんだと思いました。

模写した方がうまいって、格が違うんでしょうね・・・。


ちなみに、琳派の特徴は『たらしこみ』の技法と『線描をしない点』です。

『たらしこみ』とは、
色を塗って乾かないうちに他の色を垂らし、にじみの効果を生かすものです。
風神雷神の足下が、それですね。

『線描をしない』というのは、
琳派はデザイン的要素が強いため、髪の毛一本一本を正確に書いたりは、しないわけです。

そこを本気で一本一本リアルに書いたのが、写実派になります。

次回は、写実派の円山応挙ですかね。
なぜか美術史、そのうち芝居(2)
前回に引き続き、しばらく美術史について書きます。

さて、私が高校三年生の時の事だったと思います。

修学旅行で東京に来た私のグループは、東京国立博物館に立ち寄りました。
たまたまその年は、特別展で『洛中洛外図展』が催されており、どこもかしこも、金屏風。

そのほとんどが、狩野派の作であったと記憶しています。

前回は水墨画について、書いてましたが、
室町から桃山、さらに江戸時代まで、400年も日本画壇の中心にいたのが、狩野派と呼ばれる、絵師集団です。


狩野派の絵の特徴は、水墨画とはまったく逆の、縁取りされた輪郭線です。
縁取りされた輪郭線とは、輪郭を縁取りして中を塗るという、手法です。


まさに前回の長谷川等伯の対極にいるグループのようですが、
その長谷川等伯と全く同時期に活躍したのが、狩野永徳(かのうえいとく)です。

国宝《上杉本洛中洛外図屏風(右隻)》狩野永徳(1543年-1590年)米沢市上杉博物館蔵
国宝《上杉本洛中洛外図屏風(右隻)》狩野永徳(1543年-1590年)筆 米沢市上杉博物館蔵
http://www.artscape.ne.jp/artscape/artreport/tankyu/090715_kano/right/index.html

国宝《上杉本洛中洛外図屏風(左隻)》
国宝《上杉本洛中洛外図屏風(左隻)》狩野永徳(1543年-1590年)筆 米沢市上杉博物館蔵
http://www.artscape.ne.jp/artscape/artreport/tankyu/090715_kano/left/index.html

これは、織田信長が、上杉謙信に贈ったとされる、狩野永徳筆の洛中洛外図です。

ちなみに右隻と左隻がありますが、
屏風とは、左右に屏風を立てて、真ん中で360度のパノラマを楽しむものなのです。

この屏風に囲まれたら、あまりのすごさに、圧巻どころか絶句するでしょうね。


さて、信長は本能寺の変で死んでしまうわけですが、
狩野派は、残された秀吉と家康の、どっちについた方がお得か悩みました。

そこで狩野派は、大阪の秀吉と、江戸の家康の、両方のもとに一派を送り込みます。
仮にどちらが天下を統一しようとも、狩野派が生き残るためです。

これは、真田家が一族を二分して、秀吉と家康の両方についたのと同じ策ですね。


さて、江戸の家康のお抱え絵師になったのが、狩野探幽(かのうたんゆう)です。

重要文化財《雪中梅竹遊禽図襖(せっちゅうばいちくゆうきんずふすま)》狩野探幽(1602年-1674年)筆 名古屋城
重要文化財《雪中梅竹遊禽図襖(せっちゅうばいちくゆうきんずふすま)》狩野探幽(1602-1674)筆 名古屋城

これまた、空間の広がりを感じさせる、雅な襖絵ですよね。


それに対して、大阪の秀吉のお抱え絵師になったのが、狩野山楽(かのうさんらく)です。

重要文化財《紅梅図襖(こうばいずふすま)》狩野山楽(1559年-1635年)筆 大覚寺宸殿障壁画
重要文化財《紅梅図襖(こうばいずふすま)》狩野山楽(1559年-1635年)筆 大覚寺宸殿障壁画

山楽がお抱えにしてもらった秀吉は、程なく死んでしまいます。
そのため、山楽は中央画壇から、外れてしまったそうです。

自分が家康についていたら、違う人生をあるんだろうに・・・。

その鬱積した思いが、天井にぶつかって押し戻され、それでも伸びようとする梅の木の姿に、
山楽自身のいたたまれない境遇への思いが、込められていると言われています。


さて、家康と一緒に天下を取ったような狩野派でしたが、
400年も続いていると、その余白の緊張感は失われます。

>探幽の画風は後の狩野派の絵師たちに大きな影響を与えたが、
>彼の生み出した余白の美は、後世の絵師たちが模写が繰り返されるにつれ緊張感を失い、
>余白は単に何も描かれていない無意味な空間に堕し、江戸狩野派の絵の魅力を失わせる原因となった。
                                                     Wikipedia 狩野探幽より引用

と、なってしまうわけです。

狩野派が落ちぶれた江戸中期、次は、琳派の尾形光琳でしょうかね。
なぜか美術史、そのうち芝居(1)
最近、古美術を見ながら演出のことを考えているのですが、
その知識を、いったん整理しておこうと思い立ちました。

しばらく美術史特集みたいになりますが、まぁ、別にいいでしょう。



さて先日、出光美術館に行き、牧谿(もっけい、生没年不明)を見てきました。


《平沙落雁図(へいさらくがんず)》牧谿(13世紀後半)筆 出光美術館蔵
《平沙落雁図(へいさらくがんず)》牧谿(13世紀後半)筆 出光美術館蔵
http://www.idemitsu.co.jp/museum/collection/introduction/painting/chinese/chinese01.html

中国南宋時代(1127年-1279年)の、牧谿(もっけい)というお坊さんの描いた水墨画です。

当時の日本人は、絵は色を乗せて描くというのが主流であったらしく、
墨の濃淡で全てを描く水墨画の手法に、当時の人は驚嘆したそうです。

Wikipediaで牧谿を調べると、当時の文献では「和尚」とただ言えば、牧谿の事を言うほどの人気だったようですね。


さて、そんな牧谿の作品が日本に入ってきたのは、鎌倉時代末の1300年頃です。


実はその頃の中国は、宋から元に変わっていました。
元は、1271年から1368年まで、中国とモンゴル高原を中心とした領域を支配した王朝です。

中国は、新しい王朝ができたら、王宮も都市もすべて破壊して、新しい都を作るほどの国です。
新しくできた元王朝にとって、かつての王朝の所蔵品は、棄却の対象なわけです。

そこで元王朝は、宋時代の美術品を日本に押しつけて、政の資金の足しにしたそうです。
そんなわけで、宋王朝所蔵の最高級の美術品が、日本に渡ってきたわけです。


そして、その影響で起きた日本の水墨画ブーム。
そこで日本人なら誰もが知ってる、雪舟(1420年-1506年)の登場です。

国宝《四季山水図-(山水長巻)》雪舟(1420年-1506年)筆 毛利博物館蔵
国宝《四季山水図-(山水長巻)》雪舟(1420年-1506年)筆 毛利博物館蔵
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2012_02/index.html

この雪舟の四季山水図は、現在サントリー美術館で見れるようですね。

さて、雪舟が活躍したのは室町時代ですが、
桃山時代に水墨画で名をはせたのが、かの長谷川等伯(はせがわとうはく)です。


国宝《松林図屏風(しょうりんずびょうぶ)》長谷川等伯(1539年-1610年)筆 東京国立博物館蔵
国宝《松林図屏風(しょうりんずびょうぶ)》長谷川等伯(1539年-1610年)筆 東京国立博物館蔵
http://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl&colid=A10471

>草稿ともいわれるが,靄に包まれて見え隠れする松林のなにげない風情を,粗速の筆で大胆に描きながら,
>観る者にとって禅の境地とも,わびの境地とも受けとれる閑静で奥深い表現をなし得た。
>等伯(1539-1610)の画技には測り知れないものがある。
>彼が私淑した南宋時代の画僧牧谿の,自然に忠実たろうとする態度が,日本において反映された希有の例であり,
>近世水墨画の最高傑作とされる所以である。              東京国立博物館ホームページより引用


正直、個人的に雪舟はそれほど惹かれないんですが、等伯は見ておきたい。
この松林図屏風は、2013/01/02から、東京国立博物館にて展示予定だそうです。


ちなみに雪舟の水墨画は、江戸時代の大名家の娘の、嫁入り道具の必須アイテムだったそうです。

しかし、結婚していく娘の数に対して、雪舟の作品はそんなに多くあるわけではありません。

そこで、雪舟の贋作は、意図的に大量生産されたらしく、
現在、個人が所有している雪舟は、大半が偽物と思った方が良いそうです。


これで、水墨画の話はおしまい。
次回は狩野派でもまとめてみます。


牧谿が見れる出光美術館は、こちら
雪舟が見れるサントリー美術館は、こちら
三井記念美術館 渡辺始興の「鳥類真写図巻(ちょうるいしんしゃずかん)」
前回、三井記念美術館で茶器を見てきたときの事を書きましたが、
実は併設されていた鳥類真写図巻の方も、大変面白かったです。


《鳥類真写図巻(ちょうるいしんしゃずかん)》渡辺始興 筆

>動画でご紹介する渡辺始興の「鳥類真写図巻(ちょうるいしんしゃずかん)」は、
>17メートルに63種類の鳥類を描いた作品。
>羽の重なり方や細かな模様までビッチリと描き込まれた傑作で、
>東京国立博物館には円山応挙が本図を模写した作品も所蔵されています。
                                        インターネットミュージアムより引用

さて、この渡辺始興(1683-1755)が写生したこの図録を、
かの円山応挙(1733-1795)が模写したと書いてありますが、良かったのが展示方法です。

三井記念美術館では、独自に展示パネルを作成し、応挙と始興を見比べることができました。


私の印象としては、
これがまた、応挙がすごい。
模写したはずの、応挙の方がうまい。


渡辺始興は、いわゆる解剖の記録のように鳥を細部まで描いているのに対し、
円山応挙は、生きている鳥の生命力ともども図に描いた気がしてきます。

鳥の爪も、円山応挙がかいたものは、
鋭さだけではなく、大地を踏みしめる力強さまでも描かれているのです。

正直、伝わってくる印象がここまで違うことに、大変驚きました。


《鳥類真写図巻(ちょうるいしんしゃずかん)》渡辺始興 筆
《鳥類真写図巻(ちょうるいしんしゃずかん)》渡辺始興 筆
http://choro.cside.com/diary/20050223.html

《鳥類真写図巻(ちょうるいしんしゃずかん)》円山応挙 筆
《鳥類真写図巻(ちょうるいしんしゃずかん)》円山応挙 筆
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0078298

円山応挙の鳥類真写図巻は国立博物館のページで見れるのですが、
肝心の渡辺始興の鳥類真写図巻の写真が、いいのが見つかりません。
一応ブログでも比較してみましたが、これではわかりにくいですね・・・残念。

円山応挙に興味をもった方は、国立博物館のページの他の模写も見てみてください。
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0078298

円山応挙の鳥の目には、生命力があると思いませんか。
円山応挙の鳥は、まさに空気を吸い込んで、こちらを威嚇してくるように思えませんか。
足の先、羽の先まで、力が込められているのが、わかりますでしょうか。

本当に貴重な体験をさせて頂きました、三井記念美術館のキュレーターの方に心から感謝します。
三井記念美術館 茶会への招待 ~三井家の茶道具~ 2012/2/8~4/8
先日、三井記念美術館で茶器を見てきました。
もう終わってしまいましたが、忘れないために書いておきます。

もともとは、長次郎の黒楽茶碗を見てこようと思ったのがきっかけでした。

重要文化財《黒楽茶碗》銘 俊寛 楽家初代 長次郎作
《黒楽茶碗》銘俊寛 楽家初代 長次郎作

長次郎は、千利休の指示で、利休好みの茶器を京都で焼いた人です。

自然の中の飾らない美を追究した利休ですが、
こんな事を素直に書いて、私の品格を疑われるのかも知れませんが、
ただの黒い茶碗に、良いも悪いもあるのか、自分の目で確かめたかったのです。

そして、実際の黒楽を目にして、その存在感はすごかったです。

重厚で暖かいその色合いや形状も気に入ったのですが、
画像では見えませんが、上から見た時の色合いが、大変気に入りました。

本阿弥光悦作の黒楽茶碗もありましたので、
そちらも見て頂きたいのですが、

重要文化財《黒楽茶碗》銘 雨雲 本阿弥光悦作
重要文化財《黒楽茶碗》銘雨雲 本阿弥光悦作

この縁のさびれた茶色の土の色合いが、長次郎の黒楽の内側にも広がっているのです。
その土の地肌の茶の中で抹茶をたてたら、さぞや美しいだろうと想像して見ていました。

※長次郎の黒楽茶碗を上から撮影した写真を探したのですが、見つかりませんでした。

次に見て頂きたいのは、初代長次郎と、三代道入の比較です。

《赤楽茶碗》銘 銘鵺(ぬえ)楽家三代 道入作
《赤楽茶碗》楽家三代道入 銘鵺(ぬえ)

実はこの赤楽茶碗ですが、どうも私には、ぴんと来なかったんです。
景色も楽しめますし、手に持ったときにしっくり来るのも、わかるんです。
しかし、いかんせん、どうも好きになれない。

その時、自分が仁清をあまり好きではないことを思い出しました。

《色絵鱗文茶碗(いろえうろこもんじゃわん)》野々村仁清作
《色絵鱗文茶碗(いろえうろこもんじゃわん)》野々村仁清作

《色絵桐巴文水指(いろえきりともえもんみずさし)》野々村仁清作
《色絵桐巴文水指(いろえきりともえもんみずさし)》野々村仁清作


仁清は、高い技法だけではなく、斬新なデザインでも注目された人で、
琳派にも大きな影響を与えたとされる陶工です。

色絵鱗文茶碗では、鱗を三角形にデザインしてますよね。

私は、仁清の洗練されたデザインがすばらしいことはわかるのですが、
あえていうなら、どうも作為的なものを感じてしまうのです。

ちなみに古田織部が朝鮮で焼かせたという、御所丸茶碗も展示されていました。

《御所丸茶碗(ごしょまるじゃわん)》
《御所丸茶碗(ごしょまるじゃわん)》


実は織部焼も、同様の理由で、個人的にはあまり好きではないんです。
どちらかというと、完全に無作為な、井戸茶碗の方が私の好みなのです。

《大井戸茶碗》上林井戸
《大井戸茶碗》上林井戸

井戸茶碗はもともと朝鮮の生活雑器で、それを茶の湯で茶器に見立てて使ったものです。
その素朴な景色に味わいを見いだした、日本人の感性に、とても敬意を表したくなります。

また、火襷(ひだすき)も好きです。

《備前火襷水差(びぜんひだすきみずさし)》
《備前火襷水差(びぜんひだすきみずさし)》

火襷とは、陶器同士が窯の中でくっつかないように、藁を巻いて焼いたところ、
赤い線が文様として、表面に現れたものです。


そして、作為的でありながらも、また偶然の産物としての一つの完成形として、
天目茶碗があるような気がしました。

重要文化財《玳皮盞(たいひさん)》鸞天目(らんてんもく)
重要文化財《玳皮盞(たいひさん)》鸞天目(らんてんもく)

昔、蓮の花托の画像が世の中に出回って、ぞっとしましたが、
天目茶碗の無数の目は、身の毛のよだつほどの神秘さをたたえています。

ちなみに天目茶碗は中国で焼かれた陶器らしいですが、
中国人は、この模様を不吉なものとして嫌ったらしく、
中国の美術館には、天目茶碗は1つも残されていないそうです。

吸い込まれるような天目の美しさは、恐怖と紙一重なのでしょう。


そして最後に見て頂きたいのが、国宝の志野茶碗

国宝《志野茶碗》銘卯花蠣(うのはながき)
国宝《志野茶碗》銘卯花蠣(うのはながき)


この志野茶碗も、作ったときは作為が込められているのでしょうが、
碗自体に、作為性は感じませんでした。

重要文化財と国宝の差がどこにあるのかまでは、今の私にはわかりませんでしたが、
やはり、名のある名器は、どれも風格と存在感を備えていました。


さて、道入の赤楽が、なぜ私の好みでなかったのか、自分なりに考えてみたのです。

それはおそらく、私にはどうも『がんばってる』気がした。

という事なのではないかと思ったのです。


私にとって、無作為がすべてすばらしいという意味では、ありません。


ただ『がんばってる』と感じてしまうものは、茶器も役者も、私は好きじゃないんだな。

という、結論に至ったのでした。
コントを演劇的に見る - バナナマンの『WANDER MOON』
バナナマンの『WANDER MOON』



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00:00
冒頭、日村が振り向いて「きれいな月だなぁ。」と言う。
常に正面を向いて話を進めるスタイルの、漫才ではないということを客は理解する。

また、冒頭で客が月を認識することにより、
月と日村の位置関係(距離)を理解し、舞台の外にも空間が広がっていると想像する。

この月を、日村が客席後方に視線を送り、無対称芝居で客に感じさせることもできる。

しかし、無対称芝居を行う場合、そこに月はあるものとしてほしいと、
舞台の約束事項を、客に押しつける事にもなりかねない。

「きれいな月だなぁ。」の台詞が説明となっていないのも、
振り向いて言葉が口から漏れるまでの流れを丁寧に行い、しっかりと成立させているからであろう。

またこの物語は、日村が、すでに月を見ている状態からはじめることもできたはずだ。

日村が月を見ている状態からはじまった方が、情緒は生まれるかも知れない。

しかし、仮に後ろを向いた状態で始まった場合、
月を見ているところからはじまったという状況は説明しやすいが、
明かりが入ってきたとき、すでにどれほど月を見ていたのかはわからない。

冒頭、正面から振り向くという行為が、物語のスタートを明確にし、
その後の「きれいな月だなぁ。」を言うまでの間が有効に働いている。
振り向いて台詞を言う事で、導入部の時間短縮に成功しているのだ。


また「きれいな月だなぁ」という台詞は、
思わず口に出た言葉なのか、それとも誰かに向けて発した言葉なのか、
最初の一瞬だけでは、判別することはできない。

しかし、このあと「うん(納得。」と自己完結することにより、
「きれいな月だなぁ」は、思わず口に出た言葉だとわかる。

しかも月が出ていることから、舞台上は夜であり、
夜に大きな声で「きれいな月だなぁ」と言えるほど、
周りに他に人がいない場所であり、
そんな中でも、大きな声で感動を言葉にできるほど、
日村は、純粋な存在である事を、客に瞬時に理解させている。



00:26
その後、日村はかみしも(上手・下手)に友人を探す。
相手を探す際に左右に体を揺らし、背伸びをすることで、
そこに遮蔽物が存在し、その視線の運びを細かく再現することで、
舞台の外に空間が広がっている事を、客にしっかりと想像させている。



00:29
ここに設楽が現れるが、設楽が近づくにつれて、日村は声のトーンを徐々に下げている。
これは、舞台上に明確な物理的距離感が存在していることを客に理解させている。



00:38
日村は「いきなりしゃべり始めるのかよ。」をしっかりと設楽を見て言う。

ここには、相手(設楽)と自分(日村)しかいなく、
ここで客席に「こいつおかしいでしょ」と同意を求める事をしない。

しっかりと相手を見て言うという行為が、このコントを、より演劇的なものにしている。

また設楽が日村を指す右手を、日村はさりげなく押している。

これは、設楽の指が、日村のテリトリーを犯しており、
日村が、設楽の指さし行為を「うざい」と感じたことを、さりげなく提示している。
つまり、日村は設楽にそこまで近づいて欲しくないのだ。

この物理的距離感をいきなり埋めてくるという行為が、
設楽の「空気の読めなさ。」のひとつの象徴である。

また日村は、設楽の手を押しのけるも、その後にすぐ謝罪をする。

日村は設楽にイラッとしたが、
日村がおりてきて、二人の関係は対等なのである。

だからこそ日村は、決して設楽を見下しているのではなく、設楽とは友人なのである。



00:44
ここから、設楽のゴムホースの話がはじまる。



01:15
あたりから、客席が笑いはじめる。
設楽の話はまだ途中である。途中なのに客席が笑いはじめるのは、
日村のリアクションを見て、笑っているのである。

では日村はオーバーリアクションをしているのかというと、そうではない。
日村は、設楽の話を聞いているだけである。

では、日村が設楽の話をだまって聞いているのが、なぜおかしいのか。

日村は、それゴムホースだよね。と思って話を聞いている。
そのことでストレスが貯まっていく日村を、客は見て笑っている。

だからこそ設楽の話の途中から、客の視線は、日村の表情を追う。

この設楽の話を聞く数秒間に、日村の変化がしっかりと描かれている。
この心の変化は、小さいことだがドラマである。

また、この設楽の話は、話のオチを想像させながら進む。
つまり、客も日村も「ゴムホースの話だよね。」と思って設楽の話を聞いている。

この先を想像させて、期待を裏切るのか、はたまた期待を裏切らないのか。
物語の先を想像させて、そこに追いついてくるあたりが、
このコントが、非常に演劇的だと感じる、重要な要素だと思う。

01:58
設楽がゴムホースだったという話のオチを聞いた時点で、
客は『そうだよね。ゴムホースだよね(笑。』と安心して笑う。

そしてその後の日村の「へたくそか、お前」で、よくぞ言ったと、客はすっきりする。

言ってることがただ面白いのではない。
二人の関係性が、面白いのである。



00:13
「ゴムホースだったんだよ。だよ。」
この台詞の、最後の繰り返しの「だよ。」
この「だよ。」には、日村の何とも言えない感情が、しっかりと込められている。

この「だよ。」は、「わかれよ。」の意味なのかも知れない。

では、「わかれよ。」と言えばいいというかというと、そうではない。

『だよ。』ですませるあたりに、
日村と設楽の、二人の距離の近さが表れている。


長くなりそうなので、とりあえず、ここまでにします。

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演劇は、連続する時間の中で、登場人物の関係性を紡ぎ、
物語の最初と最後における人の変化を、ドラマとして描くのだと、思っています。
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