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【ワークショップ】お知らせ
#2の総括をしようと思いつつも、あまりに忙しくてできておりません。

ワークショップは通常開催しております。

月曜の新規募集は、いったん中断しておりますが、
中断前にワークショップに申し込んだ方は、普通にお越し頂いて大丈夫です。

また、参加者の皆様は、日曜日と月曜日の両日のうち、どちらから選んで参加でかまわないので、
現在月曜日メインの方の募集を止めておりますが、
週によって、月曜日に参加して頂いても、何も問題ございません。

来週以降、若干私の忙しさが落ち着きます。

それでは、よろしくお願い致します。
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【私の生き方】自分の好きになる相手は、遺伝子が決めている。
先週の『武田鉄矢の週刊鉄学』の中で遺伝子に関する話をしていました。
ちょっと面白かったので、今回はその話を。

ちなみに芝居の話とは全く関係ありません。


まずは『肩が凝るのは遺伝子的(脳科学的)に説明できる』という話。


原始時代、人はいつ猛獣に襲われるかわからない中で生活をしていました。

 それは時に、オオカミであり、熊であり。
 地域によっては、ライオンであり、豹であり。


猛獣達は、攻撃の際に首を狙います。

 首にある内頸動脈を噛み切ることで、
 大量出血をさせて脳貧血を起こさせ、敵(人)を仕留めるためです。

その為に人は、もし噛みつかれたとしても大量出血をしないように、
ストレスを感じると、首の筋肉を固くする遺伝子を持っているというのです。


ちなみに人が緊張すると、手や足に汗をかくのも、同じ原理なのだそうです。

人の祖先は、木の上で生活をしていました。
そのような生活の中では、手のひらや足の裏に汗を出して、木々をしっかりと掴む必要がありました。

原始時代も、人は木の棒を持って猛獣と戦っていました。
この場合も、棒がすっぽ抜けないように手に汗をかくことが重要だったのです。


遺伝子が変わるには、数万年から数十万年かかると言われています。


つまり人の遺伝子は、原始時代とほとんど変化していないのに、
文化は日々刻々と変化しているにもかかわらず、
人は昔の遺伝子のままに、大変ハードな現代を生きているというのです。


ただし人は、何十万年の間、遺伝子を適応させることだけをしてきたわけではありません。


人類は今も滅んでいませんが、実は人にも様々な種族が存在しており、
環境に適応できなかった種族は、すでに滅んでいるというのです。

その為、現代に生きている我々は、
人の中でも、環境に適応できた、優秀な遺伝子の末裔だというのです。


さて、難しい話で申し訳ないですが、私が面白かったのは、実は次の話。


なんでも『自分の好きになる相手も、遺伝子が決めている。』というのです。


原始時代、人は過酷な環境を生き抜いていました。


人は他の生物と同じように、自分の遺伝子を残していくという本能を持っています。
人は自分の遺伝子を残す為に、常に後世に残れる遺伝子を求めて、配偶者を決めていたというのです。

 今の環境が、自分にあっていないと感じるなら、配偶者には『自分と違う遺伝子』を求めてきた。
 今の環境が、自分にあっていると感じるのなら、配偶者にも『自分と同じ遺伝子』を求めてきた。

というのです。


現代においても、

  ストレスを感じている時は、自分と違うタイプの配偶者を求める。
 ストレスを感じていない時は、自分と同じタイプの配偶者を求める。

といった実験結果が出ているというのです。


しかも、相手を見抜く能力には、男女差があり、
相手を見抜く能力は、圧倒的に女性の方が高いというのです。

原始時代、一夫一婦制でなかった時代は、
男は、子どもを産んでくれる女性を見つければ良かっただけですが、
女性にとっては、子どもを出産することは大変な労力を伴い、
特に子どもを出産して3年は、相手の男性が食べ物を運んできてくれないと、生き抜けませんでした。


そこで女性は、配偶者が自分を食べさせていく人かどうかを、見抜く必要があったというのです。


ちなみに女性の場合は、
子どもが生まれて3年経つと『もう相手はいなくても良いよ』という感情が生まれてくるらしく、
女性が出産後にモンスターになるというのは、脳科学的に正しいそうです。


 考えて見れば、私が遠距離恋愛をはじめた頃は、
 私は東京に全く適応しきれてませんでしたので、
 長年付き合ってきた彼女と、終わりにしようと思ったのは、まさにこれだなぁと。


でも、武田鉄矢さんも番組内でそれっぽいことを言っておりましたが、
人間の行動を脳科学的に説明してもらえることで安心できる部分と、
脳科学的に説明して欲しくないという思いが、混在しますよね。

 このような脳科学的な分析は、別れを整理するときに有効かも知れませんが、
 恋愛している間は、盲目であばたもえくぼでいいんでしょうね。

やはり『ご縁』に感謝して、今を充実させるのが、一番なのだろうと思いました。


『君と好きな人が100年続きますように』

【スケジュール】トリガーライン第8回公演 『トリアージ』PV(オフィシャル版)


今月26日から行われる、
トリガーライン第8回公演 『トリアージ』の公式版PVが完成致しました。

これを見ると、心をえぐられますね。
それは本番を見て解消しろと言うことなのか、本番を見ても、解消できないのか。

トンネルの先に、光はあるのか。あるとしたら、何に光を当てたのか。


柴田は会場整理をお手伝い致しますが、
稽古場にはお邪魔していないので、どんな作品になっているかわかりません。

ちなみに、土日のマチネはすでに完売だそうです。

トリガーラインの本公演は、
普段なかなか見ることができない、濃密な時間が流れます。

是非、劇場に足をお運び下さい。
=================================
下北沢小劇場「楽園」

『トリアージ』

作・演出 林田一高
構成   水端兄 

涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈りとる。
種を携え、涙を流して出ていく者は、
束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。


◆出演◆
北川竜二/藍原直樹/瀬川諒平(スターダス21)/大迫健司/重松宗隆/柘植裕士(アクター21)
小角まや/久津佳奈(Office LR)/小坂実夏子(プロダクション・タンク)/吉田真理
横山仁美(アイリンク㈱)/遠藤良子(劇団黒テント)/江里奈(星のオトメ歌劇団)
野々目良子(プロダクション・タンク)/尾川止則/和田武(ヴォーカル)/林田一高(文学座)


◆スタッフ◆
演出補     北川竜二
舞台監督    大地洋一
照明      松本永(Fantasista?ish.)
音響      佐藤春平
美術      松本謙一郎
チラシデザイン 高木理恵子
制作      安田みさと(7の椅子)
        塚原正和


◆協力◆
神之門隆広(トランクス)/舞台美術工房六尺堂/7の椅子
プロダクション・タンク/ヴォーカル/Fantasista?ish.
Office LR/アイリンク㈱/アクター21/劇団黒テント/星のオトメ歌劇団


◆日時◆

11月26日(金) 19:00
11月27日(土) 14:00×/19:00
11月28日(日) 14:00×/19:00
11月29日(月) 19:00
11月30日(火) 19:00
12月1日(水) 16:00 (※千秋楽の開演時間にご注意下さい)

×はキャンセル待ち、当日券扱い

◆料金◆

前売り・当日共 ¥3000

開場は開演の30分前
受付は開演の1時間前

◆チケットの購入方法◆
トリガーラインホームページからお申し込み下さいませ

※柴田は『トリアージ』にお手伝いに行きますが、作劇には携わっておりません。
【ワークショップ】演技と読解のワークショップ #01
ワークショップの初回(#01)を14日(日)と15日(月)に行いました。

諸事情で当日欠席された方がいらっしゃいましたが、
14日(日)3名、15日(月)5名の方と一緒にワークショップを行いました。

実は13日(土)に、たまりにたまったストレスからか風邪を引きまして、
一時はどうなることかと思いましたが、無事初回両日を終えることができました。

私にとって、初めての自身主催のワークショップであったため、
正直、言葉に詰まる部分もありましたが、
参加者の方々が、うなずきながらメモを取って下さり、
参加者全員が、次回も参加したいと言って下さったことが、私の自信となりました。

実は開催前の一週間は、ワークショップで何を伝えるべきか、自問自答の日々でした。
そしてそれは、その場で考えることだと全部捨てて、当日に臨みました。

14日を終えて、少しばかり手応えを感じていた自分がいたのですが、
15日の参加者の皆さんが向き合うべき課題が、14日の方々と全く違ったため、
15日のワークショップ当日に、頭の中をリセットする作業を、その場で行いました。

そのため、15日のワークショップは、半分は14日と同じ事、残りの半分は全く別な話をしております。


自分が今まで学んできたことに対して、理解をしてきたという思いはあるものの、
それを、どう組み立てるか実践できたことが、何よりも良い経験となりました。

今回のワークショップは、丁寧にお伝えすることを第一に考えておりましたが、
優しく教える、楽しいワークショップにするというつもりは、ありませんでした。

そのために私は、あえてこの場やホームページで随分と生意気な発言を繰り返し、
それでも参加してみたいと思って頂ける方と一緒にやりたいと、ハードルを上げてきたつもりです。

そのためか、集まって下さった皆さんは、教えてもらうんだという受け身ではなく、
学んでやるんだという、積極的な気持ちをお持ちになっていたように思いました。

私自身も、来て頂いたのだと必要以上にへりくだる事なく、
共に芝居の道を志す者として、対等に向き合えたと思っております。

そして、『辛いけど楽しい時間』を共有するための第一歩を、参加者の皆さんと共に踏み出せたと思っております。

今は来週は何をお伝えしようかと、頭の中で色々巡っておりますが、
それもまた、ワークショップ前にすべてリセットして、当日に臨みます。

参加者の皆さんも、一週間で色々考えると思いますが、
来週また、リセットした状態でお会いしましょう。

全く無名の私のワークショップに参加して頂いたこと、大変感謝しております。
そして、次回もよろしくお願い致します。

初回参加者の皆様、お疲れ様でした。
【演出論】芝居とどう向き合うべきか
前回の【演出論】役になりきるために(2) においても、
私は作劇における『3つの成立』について触れました。

今回は作劇における『3つの成立』を例に出しながら、
役者として、芝居とどう向き合うべきかを書きます。

①会話の成立   ←演技指導
②役としての成立 ←演技指導
③作品としての成立←演出効果
http://yumetamanet.blog25.fc2.com/blog-entry-7.html

==========================


今回は、オーケストラを例に出して話をしたいと思います。
(ちなみに私はオケの事は想像で書くので、実際と違っていてもお許しを)

さて、ここに演奏者Aがいます。

演奏者Aは、あるオケで演奏することが決まりました。
初日の挨拶はすでに済ませており、楽譜もすでに手元にあります。

今日は指揮者を交えて、初めての合奏です。
指揮者は感情を表に出す人ではないのか、ちょっと怖いという印象を受けました。

演奏者Aはまだ楽曲を覚えていませんでしたので、楽譜を見ながら演奏をします。
他の演奏者は、楽譜を完全に暗譜している人もおり、指揮者の指示に集中しています。
指揮者は、自分のことを熱心に見ている演奏者に、優先的に指導をします。

  ■芝居で言うなら、他の人たちは、台本を覚えてきた事になりますね。


演奏者Aは指揮者に、音程が違うと指摘を受けました。
演奏者Aは合奏の場で、音程に対する指導を受けます。

  ■芝居で言うなら、①会話としての成立です。
  ■出す音がずれて会話になっていないので、そこを修正して欲しいと演出家に演技指導を受けたことになります。


指揮者は演奏者Aに、音としての一体感がないと言いました。
演奏者Aは、独りよがりな感情にまかせて演奏していました。
自分がどう吹きたいかの前に、まずは楽譜に忠実に演奏して欲しいと言われます。

次に演奏者Aは、リズムがおかしいと指摘を受けました。
一つ一つの音程はあってますが、流れとして聞いたときに違和感があると言うのです。

  ■芝居で言うなら、②役としての成立です。
  ■会話として一時成立したとしても、全体を通して違和感があってはならないのです。


演奏者Aは、自分が準備不足であったことを知りました。


本来合奏の場とは、音程を確認する場でも、リズムにあわせて演奏できるようにする場でもありません。
そもそもそれは、事前にやってきてしかるべき、やれてしかるべき事なのです。



確かに、指揮者を交えて、音程の取り方からはじめる現場もあるでしょう。
みんなでわきあいあいと音程を取りながら談笑し、
音程がずれたことをみんなで笑い、今日はお疲れ様でした。
本番までに、演奏できるようになりましょう。


そんな現場、確かにありますよね。

でもそれって、発表会じゃないですか?



さて、話を続けます。
演奏者Aは次の日の練習に参加しました。

演奏者Aは自分のパートで詰まり、演奏を止めてしまいました。
演奏者Aは指揮者に向かって『すみません。』と謝罪します。

指揮者は、それを見てこう言いました。

『私は別にかまわないんですよ。
 でも、他の演奏している人たちは、この一時一時を本気でこの場にのぞんでいるんです。
 あなたが本気じゃないとは言いません。
 ただ謝るのなら、あなたと一緒に合奏している仲間に対して、勝手に止めたことを謝罪して下さい。』と。


演奏者Aは、頭が真っ白になりました。
今まで楽しく演奏していたのに、こんなの全然楽しくないと思いました。



それでも演奏者Aは、必死でついて行きました。

そしてある日、指揮者が演奏者Aに、『もっとこういう音が欲しい』と言いはじめました。

指揮者は演奏者Aに、自分がこの作品の世界観を、どうとらえているかを話し始めます。
指揮者は、作品を作り上げる上で、演奏者Aに協力を求めてきたのです。
演奏者Aは、自分に対して興奮しながら話をする指揮者に驚きました。
冷たい人じゃないかと思っていたこの人も、こうやって熱意を持って話したりするんだ。と。

 ■③芝居で言うなら、ここからが作品としての成立です。
 役者はここで初めて演出に対して、役者としてどう応えていけるかを考えることができるのです。


この時から演奏者Aは、みんなの音が深まり一体となって、楽曲の世界観が作り上げられていくことが、楽しみになりました。
やっていることはものすごく大変なことですが、練習後に充実感を得るようになりました。


『辛いのに、楽しい。』


そんな経験、あなたにもありませんか?


物を作る現場には、様々な現場があります。
本番にミス無く演奏できたなら、成功だという演奏会もあるでしょう。

でも今の私は、おそらくそういった現場では、もう満足できない。


もっと上へ。


あなたも一緒に、もっと、もっと上のステージへ。


あなたは、演技と読解のワークショップで、何か掴めそうですか?
【演出論】役になりきるために(2)
前回の 【演出論】役になりきるために の続きを書きます。

今回は医者になる話ではなく、猫になる話です。

私がここで言っている「猫になる」というのは、
劇団四季のCatsのように、猫を擬人化して演じるというわけではありません。

あえていうなら、モノマネで猫になりきる。と言った話です。


※しばたが5年前に遭遇した猫


では、あえて、前回と同じ形式で記述したいと思います。

ちなみにあなたは猫ですか?

絶対に、猫ではないですよね。

では、あなたは猫を演じられないのか。

そんなわけは、ないですよね。
猫のマネをする人は世の中にいっぱいいて、それが本物の猫に見えてくる人って、確かにいますよね。

では、あなたが猫になるためには、どうしたらいいのかを考えてみましょう。


まず、あなたの中に「猫になった経験」はないわけです。

なので、経験から猫になろうという考えは、捨てて下さい。


では次に、猫がどういうものか、頭で考えましょう。
これは、猫が何を考えているかを、考えるわけではありません。

そもそも、猫とはどういうものなのか。
とりあえず、私と一緒に猫のマネを考えていきましょう。

 まず、しゃがんでみましょう。
          ↓
 次に、背中を丸めてみましょうか。
          ↓
 次に手を丸めて、招き猫のようにポーズを取ってみましょうか。
          ↓
 次に、手をぺろっとなめて、まゆげをゴシゴシしてみましょう。
          ↓
 そして一言、『ニャー』と鳴いてみましょうか。
          ↓
 猫:『ニャー』
          ↓
 次に伸びをして、両手の爪をバリバリ研いでみましょうか。


あなたが「猫が爪を研ぐ理由」を理解していようが、していまいが、
まずは爪を研ぐという行為を「する」となっている場合、やることが大切です。

これは、演出家の言いなりになるという話ではありません。
台本上「する」となっている行為をすることが、役者としての最低条件という話です。

猫のふりをして、『ニャー』と鳴いているうちに、あなたはあくびが出てくるかも知れません。
猫のあなたは、何も考えずテレビを見ているかも知れません。
部屋の外から聞こえる音に、聞耳を立てるかも知れない。

そうやってあなたは、猫の時間を手に入れていくことになります。


まずここまでで、私が皆さんに納得してもらいたいのは、
『猫として生きた経験が無くても、猫の役作りはできる』という点です。



ちなみに私は上記で、3つの条件を出しました。

1)手をなめて、まゆげをゴシゴシする。
2)『ニャー』と鳴く
3)伸びをして、両手の爪をバリバリと研ぐ

あなたが役者としてまずしなければいけないことは、この3つを「成立させること」になります。

私が役者に求める『3つの成立』の説明は割愛します。
興味がある人は、リンク先を読んで下さい。

①会話の成立(空間の成立)
②役としての成立
③作品としての成立
http://yumetamanet.blog25.fc2.com/blog-entry-7.html


ここでいう
①会話の成立(空間の成立)とは、
猫として『ニャー』と鳴いた空間に、違和感がないかを確認することになります。

②役としての成立とは、
猫として行う3つの行為の連続性に、違和感がないかを確認することになります。
(ようは人で言う、人格破綻をしていないかを確認します)

③作品としての成立に関しては、説明を保留します。


まず重要なのは、①と②です。
①と②を成立させるのは、役者としての責任です。

役者は1つの役として、一貫してその世界を生きようとしますよね。
自分の役としての一貫性が破綻しているのを、演出家に修正してもらう事が前提ではないはずです。


なお今回の猫になる場合は、①と②を表現するときに、台本解釈は特に必要ないですよね。
台本解釈がないと、

1)手をなめて、まゆげをゴシゴシする。
2)『ニャー』と鳴く
3)伸びをして、両手の爪をバリバリと研ぐ

はできませんか?そんなことはないですよね。


それなのにあなたが『猫はこうだと思いますが、演出はどう思いますか?』と聞いたと思ってみて下さい。


この質問を演出家にする事は、実はおかしいということに、あなたは気が付けるでしょうか。


実は③に関しては、演出家は自分が求めているものに対して、正解かどうかを答えられるんです。

というのも、

③作品としての成立とは、
もしこのシーンにおいて、猫を見て「和みたい」という演出意図があるならば、
あなたは3つの行為の連続から、和みの空間を作り出さなければならなくなります。

演出意図③に対して、役者が応えているかどうかは、演出家は答えなければいけません。
しかし、あなたの猫が、猫として正解なのかどうかは、演出家に聞いてもどうしようもないわけです。


だって演出家は、人なのだから。


確かに演出家は、作り出したい雰囲気のために、役者に猫である事を求めます。
しかしそれは、作り出したい雰囲気の為に猫であることを求めているにすぎず、
猫がいれば、その雰囲気が出るわけではありません。


演出家は、ある雰囲気を醸し出す為に、役者に役目を果たすことを求めます。
演出家は、より濃密な時間を作り出すために演出をつけますが、『猫』に一つの形(正解)を求めてはいないのです。
逆に、より濃密な時間を作り出すために、役者に日々演技を変化させることを求めます。

役者は自分の演じている猫が演出家の意図にそった猫に見えるかどうかを確認しつつ、
役者自身が猫であることを追求し続ける事は、役者としてやらなければいけない責任であって、
例えその日演出家がOKを出しても、役者として猫を追求する日々が終わるわけではありません。


私がなぜ今回、「猫」にこだわったのか、改めて整理しましょう。

今回役者が日々稽古場でやることは、

1)手をなめて、まゆげをゴシゴシする。
2)『ニャー』と鳴く
3)爪をバリバリと研ぐ

あくまでこの3点です。

ただし、日によって、同じ行為の中から見えてくるものが、微妙に違うのです。
役者は、この3点を日々繰り返し行う中で、どんな空間や時間が生み出されるのかを、
初日の幕が開くまで、追求し続けなければなりません。


もしあなたが猫ではなく、医者Aという人物を演じるとなった場合も、これは同じです。


おそらくあなたは作劇の段階で、私は医者Aに見えてますか?と演出家に確認を取りたくなります。

でも、医者Aの正解を、演出家に求めてはいけません。


あえて言うなら、医者Aであるかどうかは、医者Aに聞かないとわからず、
医者Aがこの世に実在しないにもかかわらず、答えのない医者Aへの追求を続ける事が、
役者としての使命であり、責任であると言うことができるでしょう。



さて。なぜ私は、今回『猫』という動物を通して、演技に対して記述してきたのか。

それは『わかった気になって欲しくない』という事なんです。


猫ではなく、医者となった時点で、あなたは同じ人間だから気持ちがわかると錯覚します。


しかし、あなたの経験と想像から導き出された台本解釈だけでは、医者Aになりきることは、決してできないのです。



役になりきる上で一番重要なのは、
あなた自身が『するべきとされている行為の中から役を探る事』です。

この原点を、絶対に忘れないことです。


ただし、台本解釈が重要で無いわけではありません。
台本解釈は、それはそれで重要です。

しかし役になりきる上で、台本解釈のウエイトは実は低いと私は考えています。


勘違いされては困るので、台本解釈に関して少しだけ補足します。

もしあなたが台本解釈を80ポイント、行為の中から役を探る事を20ポイントで、
トータル100ポイントで役作りをしていたとしましょう。

私がいう台本解釈のウエイトが低いというのは、
台本解釈80ポイントならば、行為の中から役を探る事に920ポイント必要で、
トータル1000ポイントとなる為に、今までの10倍の熱意と集中力と努力がなければ、
その役になりきることなど、到底無理だという話なのです。



だからこそ役者とは、誰もがやれる職業ではないんです。



私がワークショップを開催するにあたり、
このblogで演出論を記述しておりますが、
友人から、おまえが4年間かけて学んだ大切な知識をblogで書いて良いのかと聞かれました。

私としては、演出の方法論というのは、学ぼうと思ってもなかなか学べるものでもないですし、
私の知識が、誰かの表現の役に立てればという思いがある反面、
私が4年間かけて学んだものが、このblogを読むだけでわかるわけもない。という思いも実はあるんです。


台本解釈は、ある意味役者に縛りを与えます。

では台本解釈した内容を踏まえ、なお演技を固めずに、
『するべきとされている行為の中から役を探る事』を続けて行くにはどうしたらいいのか。


それはまた、別の機会に。



あなたは、演技と読解のワークショップで、何か掴めそうですか?
【演出論】役になりきるために
2010年11/14(日)、11/15(月)からワークショップを開催するにあたり、
私の役作りに対するとらえ方について、若干知っておいて頂いた方がいいと感じ、
当日お話しする内容と重複すると思いますが、一部ここに記載致します。

===================================

私がワークショップでお伝えする内容は、おそらく「技法」では、ありません。
役者の役作りに対する考え方の、根本からの修正と言った方が正しいかも知れません。


例えば、あなたが「医者A」を演じるとしましょう。

ちなみにあなたは医者ですか?

おそらく、医者の経験はないですよね。

では、あなたは医者を演じられないのか。

そんなわけは、ないですよね。
映画でもドラマでも、医者じゃないのに医者を演じている人はいっぱいいるわけです。

では、あなたは医者ではないが、誰か人を介護した時の経験があるとして、
それを役作りに生かせないかを、模索してるとします。

  -さて、私だったら、こう言います。

 「どんなに、あなたの中の経験を持ってきたとして、絶対に医者Aになれません。
  介護したのはあくまであなたの経験であって、医者Aの経験ではないからです。
  このままでは、あなたはいつまでたっても医者Aに見えてこず、あなたがそこにいるだけですよ。」と。


もしかするとあなたは、この医者Aは、祖父母を介護をした経験から、医者になることを志した。
などと、台本に書いてない背景をもとに、医者Aの役を作っていたのかも知れません。

  -そうであるならば、こう言います。

 「台本解釈とは、確かに台本に書いていない部分も読み解きますが、あなたの空想で物語を作ることではありません。
  書いてないことを表現する前に、まずは書いてあることを表現して下さい。」と。


ひょっとしたらこの時点で、あなたは大混乱しているかも知れません。
そしておそらく、この状況を打開するメソッドが存在するとされているのでしょう。

しかし私に言わせれば、そもそも「経験」から役作りしている時点で、間違いなのです。

あなたの経験がどんぴしゃりとあたって、
ひょっとしたら、その瞬間は、医者Aに見えたとしましょう。
でもあなたは、物語全編通して、医者Aで居続ける事ができますか?

おそらくできないでしょう。

役でいると言うことは、点の連続ではないんです。線にならなければならない。
あなたの描いた点がいかに本物に見えても、その点を過ぎればあなたに戻ってしまうのなら、その役作りは失敗です。


もう少し、踏み込んだ話をしましょう。そもそも芝居は、嘘ですよね。


あなたの嘘が、いかに現実のリアリティとリアル差を競ったところで、勝てるはずがありません。
リアルで勝負をした時点で、勝ちのない勝負に挑んでいる事に気が付くべきです。


そして、自分が演じるのは嘘であると、開き直るべきです。


役者が演じた嘘が伝える感動と、実際にリアルな瞬間の感動と、どっちが優れているかを競うからこそ、
嘘が真実を超えることができるのです。


ではあなたが、「安楽死を行っている医者A」を演じるとしましょう。


あなたには、安楽死を行った経験は、おそらくないですよね。
でも、台本には、安楽死を行うと書かれている。


さて、どうするか。


まずは役者として、安楽死をしてみたらいいんですよ。何も考えずに。


で、あなたが何を考えるかとかも、ぶっちゃけどうでも良いんです。

台本には、次に医者Aが何を言うかが書かれていますよね。それを、言えば良いんです。

あなたの経験に基づいて、医者Aがどう言うかを考えて台詞を言うから、嘘っぽくなるわけです。
医者Aが言うって台本に書かれているなら、言えば良いんです。

そこがまず、大前提です。

台本には、やることと、言うことが書かれてますよね。
まずはそれを、書いてあるのだから、やればいいんですよ。

ようは、あなたが医者に見えるかどうかも、ぶっちゃけどうでもいいんです。
ようはAは安楽死をする人であり、Aが医者であることは、台本の言葉が保証してるんですよ。
Aの台詞を言えば、あなたはAに見えてくる。そうすれば自然と医者に見えてくるわけです。

Aの台詞を、Aの台詞として言わないから、あなたはいつまでたってもAに見えてこない。
Aになる前に、医者になろうとするから、いつまでたってもAにも医者にもなりきれない。

そこに気が付けましたか?

え?それではオリジナリティがでないとお考えですか?
あなたのオリジナリティは、やるべき事をやった上で、その上でどう表現するかにかかってます。
あなたは安楽死をする事。医者Aの台詞を言う事をやれば、誰が医者Aを演じても同じだとお考えでしょうか。

違いますよね。


だからこそ役者とは、誰もがやれる職業ではないんです。


繰り返しますが、私がワークショップでお伝えする内容は、おそらく「技法」では、ありません。
役者の役作りに対する考え方の、根本からの修正と言った方が正しいかも知れません。

私のワークショップは、みんなでわきあいあい稽古する、愉快なワークショップではないでしょう。
ただ人によっては、霧が晴れていく感覚を手に入れると思います。


あなたは、演技と読解のワークショップで、何か掴めそうですか?
【ワークショップ】演技と読解のワークショップ


プロフィール部分に画像リンクを追加しておりましたので、
すでにお気づきの方々もいると思いますが、
11/14(日)・15(月)より、演劇のワークショップを定期的に開催する事に致しました。

東京で友人達と旗揚げした団体を、方向性の違いから2007年に脱退し、
癌で闘病し続けた父を看取り、
その後に遭遇した、やり場のない悲しみと向き合い、
その上で、再び歩み出す決意を致しました。

今回のワークショップは、
あくまで私のスキルアップと、多くの方々とのご縁を結ぶことを目的としておりますが、
来年には再び、自らが主宰する劇団を旗揚げするつもりでおります。

遠方より私の活躍を応援して下さっている皆様、
私の本気が、独りよがりのものとならず、
多くの人の生きる力となるべく、今後も精進して参ります。

そしてその歩みに、「臨華Project」と名前を付けました。

これからも、柴田をどうぞよろしくお願い致します。
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