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【おすすめ】 古今亭志ん生の『火焔太鼓』
先年の話だが、映画監督の山本晋也監督が、古今亭志ん生(5代目)を語る番組を見る機会があった。

2005年9月にNHKで放映された、「私のこだわり人物伝~古今亭志ん生~」である。


その第一回で紹介されていたのが、古今亭志ん生の『火焔太鼓』であった。

古今亭志ん生 - Wikipedia
古今亭志ん生 (5代目) - Wikipedia
火焔太鼓 - Wikipedia


火焔太鼓は落語の演目の一つのため、
幾人もの噺家が「火焔太鼓」をやっているが、
やはり、古今亭志ん生の火焔太鼓が一番おもしろい。


中でも『古今亭志ん生 名演大全集(1)』に収められているものは、秀逸である。


『古今亭志ん生 名演大全集(2)』にも、
火焔太鼓(どんどんもうかる)が収められているが、これは、(1)とオチが違う。


これはお正月にやるため、オチを縁起の良いものにとアレンジしたもので、
内容的にはそのオチの部分しか変わらないようである。
しかし聞いてみると、圧倒的に(1)の方が引き込まれる。


生ものなので、その日の体調や小屋の空気などでノリが変わったのか、
それとも、志ん生が腕を上げて望んだのが(1)なのかはわからない。
しかし、聞くなら断然(1)である。

古今亭志ん生 名演大全集(1)は、購入しないと最後まで視聴できないので、
ニコニコ動画に古今亭志ん生 名演集(1)の『火焔太鼓』がUPされていたので紹介する。



こちらの古今亭志ん生 名演集(1)は、
古今亭志ん生 名演大全集(1)と同じ音源だが、残念なことに、非常に音質が悪い。
音量バーの横の不確定生物を押すと、流れてくるコメントを消すことができる。

次に、



上記の文字リンクは、
古今亭志ん生 名演大全集(2)にも収録されている、火焔太鼓(どんどんもうかる)の方である。
こちらは外部公開がされていないので、ニコニコ動画の視聴アカウントがある人だけ見れる。


でもやはり聞くなら、古今亭志ん生 名演大全集(1)の方の火焔太鼓である。
気に入った方は、是非購入して聞いてみて欲しい。
非常に味のある言葉の響きが、いっぱい聞ける。


ちなみに『火焔太鼓』を聞きながら自分もマネしてみようと思ったが、全くできなかった。


他の噺家さんの『火焔太鼓』にも興味がある方は、下記の[ Read More・・・]もどうぞ。
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【演劇論】 うなずきの意味
親友である、女二人の会話の戯曲である。


 A:たぶん、Bも同じ事考えてるでしょ。
 B:(うなずく)
 A:やっぱり、あいつ殴って良いよね。
 B:(うなずく)
 A:あたしがどんだけ辛かったかなんてさ・・・、
 B:(うなずく)
 A:関係ないんだよね。あいつをここに、呼び出してくれる?
 B:(うなずく)
 A:それで・・・、どうしよっかな・・・。
 B:(うなずく)




上の戯曲は、私がいま書いたものである。

Bは台詞を発するわけではない。
Aに対して「うなずく」というリアクションをとるだけである。

Aが決心をし、それを行動に起こそうとするところにドラマがある。
では、Bの「うなずく」という行為の中にも感情の動きがあり、
Bのいかた(板の上での存在の仕方)が変わっていることは、想像できるだろうか。

Bは、ただうなずいているわけではない。
当然だが、Bのうなずきの中にもドラマがある。



先日職場で、上司が持っていたビジネス書、
「人を見抜く」(著:渋谷昌三)を手に取り、読む機会があった。

その本には、

 ビジネスの世界では、
 相手がうなずきながら自分のプレゼンを聞いてくれたとしても、
 プレゼン終了後に、契約に至らないことがある。
 うなずきには、5つのパターンがあることに注目しなければならない。

と書かれていた。

その5つとは、

(1)同意のサイン - あなたと同じ考えであることを示す。
(2)賛成のサイン - あなたの意見に賛成するという意思表示である。
(3)理解のサイン - あなたの話すことを理解していることを示す。
(4)受諾のサイン - あなたの指示に従うことを示す。
(5)伝達のサイン - あなたの話を聞いている事実を伝える。

である。


ではこれを踏まえて、もう一度、先ほどの戯曲を読み返してみて欲しい。
作家(私)がBの「うなずき」に込めたかったニュアンスを分かって頂けるはずだ。


 A:たぶん、Bも同じ事考えてるでしょ。
 B:(うなずく)
 A:やっぱり、あいつ殴って良いよね。
 B:(うなずく)
 A:あたしがどんだけ辛かったかなんてさ・・・、
 B:(うなずく)
 A:関係ないんだよね。あいつをここに、呼び出してくれる?
 B:(うなずく)
 A:それで・・・、どうしよっかな・・・。
 B:(うなずく)





私は、これが『台本を読む』ということなのだと思っている。
Bを役者が演じる上で、どのようにうなずきたいかは、二の次だ。


例えばこのうなずきを、全て『同意』でとらえ、
髪の毛をバッサバサさせながらうなずくこともできる。

だがしかし、
はたしてBがそのようなキャラクターであることは、どこに書かれていただろうか。


その方が、確かにおもしろいかも知れない。


でも、作者(私)の伝えたかったこと、
つまりAとBに出して欲しかった空気感は、そのようなものではなかったのだ。



戯曲を読む上では、
あなたが役をどう演じたいかを考えるのではなく、
役になる糸口を見付けなければいけない。

余計なフィルターが取り除かれさえすれば、
誰にでもこの「うなずき」に、どのような想いが込められているか分かるはずだ。



では今度は、先ほどの戯曲に「うん。」という言葉を加えてみる。


 A:たぶん、Bも同じ事考えてるでしょ。
 B:うん。(うなずく)
 A:やっぱり、あいつ殴って良いよね。
 B:うん。(うなずく)
 A:あたしがどんだけ辛かったかなんてさ・・・、
 B:うん。(うなずく)
 A:関係ないんだよね。あいつをここに、呼び出してくれる?
 B:うん。(うなずく)
 A:それで・・・、どうしよっかな。
 B:うん。(うなずく)



さて、あなたの『うん。』の音は、すべて違っただろうか。


感情を込めて『うん。』を言おうとすると、嘘っぽくないだろうか。
あなたはニュアンスを理解した上で、素直に『うん。』と言えばいい。


『うん。』は『うん。』でしかない。

しかし、この『うん。』の響きは、
限りなく深い事に、あなたは気付けただろうか。


『うん。』


ほら、あなたの今言った『うん。』

いい音でしょ?
【演劇論】 言葉に秘められた本当の気持ち
『日本人はアメリカ人と会話するとき、思ったことを口にできない。』

これはアメリカと日本の文法による違いだという説がある。

結論を述べるまでが長い日本語に比べて、
「主語+動詞」で始まる英文法の方が、意志を明確に提示できるというのだ。

だが、自分で例えを出しておいてなんだが、どうやらそれは違うらしい。
お隣の国である韓国は、実は日本と同じ文法であるが、残念ながら恐ろしいほど感情むき出しだ。


『日本人は、耐えることを美徳とする。』

その為、板の上で涙を流している人よりも、涙をこらえている人に感動する。

だからこそだろうか、
一番に伝えたいことを飲み込んで、二番目に言いたいことを言ってしまう事もある。

そういった意味では、
思ったことをストレートに口にできるかどうかは、文化によるものだと言えなくもない。


日本人が思ったことをストレートに口にしないのは、台本に書かれた台詞に於いても同じ事である。

しかし、台本に書かれた言葉になると、
役者は急に感情むき出しで、ストレートに言葉を伝えてしまう場合が意外と多い。


大学受験の時に手にした英文法の参考書に、こんな事が書いてあった。


文中に『Good morning.』という言葉がある。
日本語に訳せば「おはよう」である。

しかしこれが、

徹夜明けの同僚がコーヒーを差し出しながら言うと、『ねぎらい』
初めての一夜を共にした女性からかけられた言葉なら『はじらい』
遅刻して上司のデスクの前で浴びせられた一言なら、『皮肉』

状況が『Good morning.』に込められた意味を変える。
単に「おはよう」という訳では伝えきれない想いが、そこにはある。
高得点を狙いたいなら、その込められたニュアンスまで訳せと書いてあった。


もう一度、話を戻そう。

台本の中に「おはよう」というフレーズがあった場合、
役者は、どういう感情で挨拶を言うかを考えてしまいがちだ。

しかし重要なのは「言葉に感情を込める」ことではなく、
どういうニュアンスで、その言葉が用いられたかを理解し、表現することにある。


ねぎらいの気持ちで「おはよう」と言うとき、
そこに喜怒哀楽は存在しない。


あるのは、相手へのねぎらいの気持ちだけなのだ。
【演劇論】 私にかけられた呪
岡野玲子氏が描く「陰陽師」(原作:夢枕獏)にこんな一節がある。

陰陽師、安倍晴明と、その友、源博雅との会話における、
安倍晴明の発言の一部を抜粋省略して紹介する。
                    (単行本第一巻 83ページ)



『なぁ博雅、この世で一番短い呪とは『名』だよ。

 山とか、海とか、樹とか、草とか、そういう名も呪のひとつだ。

 呪とは、ようするにものを縛ることよ。
 物の根本的な在様(ありよう)を縛るというのは名だぞ。

 目に見えぬものでさえ、名という呪で縛ることができる。

 男が女をいとおしいと想う。
 女が男をいとおしいと想うその気持ちに名をつけて縛れば「恋」』




物語はその後、
安倍晴明と源博雅が、もののけに盗まれた琵琶(玄象)を取り返しに行くが、
源博雅は、もののけに自らの名を明かしたばっかりに、
金縛りにあわされてしまう。

 『博雅、動くな』



私が学生の頃、友人に催眠術はほんとにかかると教えられ、
古本屋で催眠術の本を一冊買って、
サークルの友人に催眠術をかけてみたら、ほんとにかかった。

あれも、いわゆる自己暗示という名の呪なのだろう。



ちなみに私には、自覚しているもので二つの呪いがかかっている。

一つは幼い私に父がかけた、
「何をやって生きても良い。プロになれ。」という呪。

もう一つは中学校の国語教師の冨田の律っちゃんがかけた、
「柴田君は、なにか大きな事をする気がする。」という呪。


名前+言葉は、ある意味全てが呪だと思う。


もっと言ってしまえば、
例え名がなくとも、相手の目を見て言葉を当てれば、それもまた呪となる。

だからこそ私は、役者が放つ言葉も、私は「呪」であると考える。

台詞は言霊となり、対象に呪いをかける。


そういえば、私の名である「哲行」は、
「己を知り、我が道を行く」という意味らしい。


あなたの名前の由来は、なんですか?
【演劇論】 音の響きが持つ力
昭和天皇が崩御して、時代が平成へと変わるとき、
『平成』という名前を考えた言語学者達がいた。

ある音声学者は、実は「平成」に反対したという話がある。

昭和(syouwa)や大正(taisyou)には、詰まった音がある。
これが、時代を引き締める役割を果たしたというのだ。

また明治(meizi)のziなどの濁音も、引き締める音らしい。

平成(heisei)なんて、ゆるく平らな音にしてしまったので、
こんなしまりのない時代になったという、音声学者がいるというのだ。



英語における否定は「NO」、
日本語における否定は「無い」
フランス語の否定は「non」

そう、ナ行である。


英語のおける火は「fire」、
日本語における火は「火・炎」
フランス語における火は「Feu」 ←読めない

まぁ、ハ行でしょう。


音声学的に、
人は本質的に感じたものを音にし、それが言語になったたという見方がある。

つまり言葉のもとである「音」自体に、潜在的に意味が存在しているというのだ。


最近の例を出すと、
製品に売れる商品名を付ける会社がある。

「ネーミング」&「会社」で検索するといっぱい出てくるが、
要は発音に関する膨大なデータから、
売れる製品、安心できる製品の名前をネーミングしてくれる会社だ。

最近の車や洗剤などは、
こういった会社がネーミングしているとNHKで放映されていた。


これらの会社は、音の組み合わせで商品名を作る。

ネーミングされた造語は、それ自身はまだ言葉ではない。音の集合体である。


そして言葉も同じく、音の集合体ではないか。
だからこそ、その一つの音も無駄にして(捨てて)はいけない。

その音が本来持つ『響きの力』を消し去ってはいけないのだ。

だからこそ、言葉を大事にするということは、
その音一つを大事にすることなのだと、私は思っている。
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