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国立新美術館「大エルミタージュ美術館展」(1)(2012/4/25~7/16)
すでに東京での展示が終わってしばらく経ってますが、
まとめておけば、いつか自分のためになるかと思いますので書いておきます。

エルミタージュ美術館は、ロシア第2の都市、サンクトペテルブルクにある美術館です。

収蔵品は300万点。

フランスのルーヴル美術館の収蔵品200万点、
アメリカのメトロポリタン美術館の収蔵品50万点を超える、世界最大数の収蔵品を持っています。

西洋美術に関する知識は、全くないに等しかったので、行っても良さがわかるかどうか非常に疑問だったのですが、
30年ぶりに日本で公開される作品もあるとのことで、ダメ元で行ってみました。

といっても、全く何も勉強しないで行くのも、もったいない話ですので、
BS日テレのぶらぶら美術館や、その他のテレビ番組で、予習だけはしていきました。

今回の展示会は、15世紀から現代にかけての西洋美術史を、体感できるほどの展示というのも売りです。

一番最初の、ティッツィアーノの「祝福するキリスト」から、
すごいなと圧倒されたのですが、数時間も美術館にいると慣れてくるんですよね。

最初に戻って見返しても、それでも圧倒された作品について、書いておきます。

まずはオランダの画家、光と影の魔術師の異名を持つ、レンブラント(1606年~1669年)。

《老婦人の肖像》レンブラント・ファン・レイン(1654年製作)エルミタージュ美術館収蔵
《老婦人の肖像》レンブラント・ファン・レイン(1654年製作)エルミタージュ美術館収蔵


この憂いをたたえた表情に、飲まれたんですよね。
私は別に、アンニュイ(倦怠感をたたえたよう)な表情が好きなわけでもないです。

バロック期の他の作品は、写実を追求しているせいか、線がが非常にはっきりしている中、
レンブラントの描く夫人は、荒っぽい筆遣いが、この夫人が生きてきた半生も、封じ込めているように感じました。


次にフランスの画家、オラース・ヴェルネ((1789年~1863年)。

《死の天使》オラース・ヴェルネ(1851年製作)エルミタージュ美術館収蔵
《死の天使》オラース・ヴェルネ(1851年製作)エルミタージュ美術館収蔵

これも、すごかったぁ・・・。

ヴェルネは、この作品を描く6年前に自身の娘と死別しているそうです。

そのため、この女性は、ヴェルネの娘がモチーフとなっており、
傍らで祈りを捧げる男性は、ヴェルネ本人だと言われているそうです。

背後から死神が娘を天へ連れて行こうとしていますが、
死神の背にある羽が、娘の背中に生えているようにも、見えてきます。

娘に降り注ぐ一条の光は、それはそれは美しいです。

必見の価値があるでしょ。これ。


次にドイツの画家、フランツ・クサファー・ヴィンターハルター

《女帝マリア・アレクサンドロヴナの肖像》フランツ・クサファー・ヴィンターハルター(1857年)
《女帝マリア・アレクサンドロヴナの肖像》フランツ・クサファー・ヴィンターハルター(1857年)

ロシア皇太子にドイツで見初められ、若干14歳で皇太妃になったマリア。
肖像画は、結婚して20年後の33歳の時だそうです。

皇太子は、マリアが病弱なのもあり、夫は不貞に明け暮れ、彼女の生涯は不幸であったと言われています。
音声解説では、彼女が身にまとう大粒真珠は、彼女が流した大粒の涙の象徴かも知れないと言っていました。

そう言われると、彼女の表情が、哀しみに満ちたものに見えてきます。

しかし、はたしてそうなのでしょうか。

彼女は、生涯に8人の子どもをもうけたそうですが、
度重なる妊娠で体調を崩し、病を悪化させて、宮廷から遠のいたとWikipediaにはあります。

しかし、ヴィンターハルターが描いたものは、哀しみだけではなかったはずです。

夫の不貞は、不幸なことかも知れませんが、
この肖像画に残された彼女を、同情の目で見ることは、失礼なことでもある気がするのです。

病弱であるかも知れませんが、可憐なそのたたずまいは気高く、なによりも美しい。


さて、長くなってきたので、国立新美術館「大エルミタージュ美術館展」(2)に続きます。

アンリ・マティスの赤い部屋に関しては、鮮烈な赤が印象的でありましたが、私の好みではないので触れません。
ピカソやルノワールに関しても、触れません。

次回はセザンヌの静物画を中心に、感じたことをまとめたいと思います。
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出光美術館「祭 MATSURI -遊楽・祭礼・名所-」(2)(2012/6/16~7/22)
出光美術館「祭 MATSURI -遊楽・祭礼・名所-」(1)の続きになります。

「祭 MATSURI -遊楽・祭礼・名所-」の水曜講習会へ行って参りました。

前回の(1)に書きました「洛中洛外図は、誰がなんのために注文したのか。」のかという疑問。
講師に来ていた早稲田大学の成澤勝嗣先生が、講義の冒頭でちゃんと説明してくれました。

やっぱり、疑問だと思うんですよね。


◆(1)洛中洛外図は、なぜ作られたのか。

洛中洛外図が作られたことがわかる最古の歴史的資料は、
室町時代後期の公家、三条西実隆(さんじょうにし さねたか)の「実隆公記」(さねたかこうき)なのだそうです。

その中に、越前の朝倉氏が、土佐光信に洛中洛外図を発注したという記録が残っているそうです。

「越前朝倉屏風新調一双、画京中、土佐刑部大輔新図、尤珍重之物也」-『実隆公記』永正3年(1506年)12月22日条


この洛中洛外図は、京都の人が発注したものではなく、京都以外の人が、発注している点がポイントなのでそうです。

当時の人たちは、京都を手にした者は、天下を取ると信じていました。
そこで諸大名は、京都を手中に収める事にあこがれを持っており、京都という街自体を財産と考えていたそうです。

つまり、洛中洛外図は京都の人の自画像ではなく、京を治める事へのあこがれから、作成されたのです。

また当時にも、寺社仏閣などの名所を描いた美術品は、多数ありました。

洛中洛外図は、その部分部分を合成してパノラマとして見せた点が、非常に新しい描写だったのだそうです。
この見せ方を、土佐光信が考え出したかどうかは、何とも言えませんが、その可能性はあるというお話でした。

重要文化財《祇園祭礼図屏風(右隻部分)山鉾巡行》桃山時代 出光美術館蔵
重要文化財《祇園祭礼図屏風(右隻部分)山鉾巡行》桃山時代 出光美術館蔵


◆(2)洛中洛外図の制作年数は、どのように判別するか。

出光美術館の展示では、京都の祇園祭の山鉾巡行は、開催年度によって巡行の順番が違うため、
巡行の順番によって、制作年度を特定することができるといった記載がされておりましたが、
はたして洛中洛外図が、巡行した年にリアルタイムに描かれたかどうかは、ちょっと疑問が残りますよね。

その点に関しても、成澤先生が説明して下さっています。

ちょっと、歴史のおさらいです。

徳川家康は、豊臣秀吉の死後に、豊臣家の財力を削ぐ意味で、豊臣秀頼に畿内の寺社復興を命じました。
その寺社復興の一環で作られたのが、1607年(慶長12年)に増築された、北野天満宮を取り囲む回廊です。

つまり、北野天満宮を取り囲む、象徴的な回廊があれば、1607年以降を描いており、
回廊がなければ1607年以前の可能性が高いというわけです。

では、この回廊だけで判断しているかというと、違います。
洛中洛外図の制作年度を特定する場合は、そこに登場する建築物の、すべての製作年数を調べるのだそうです。

そうすると、本来、火災などで消失してしまった物が、作者の想像で加筆されているといったケースも出てくるそうです。
そういった条件を、複合的に考えて、製作年度を特定していくそうです。

洛中洛外図の研究は、そういった意味で検証しなければいけない事象が非常に多く、
研究のやりがいがある反面、非常に大変な作業であるというお話でした。

《江戸名所図屏風(右隻部分)三社権現の舟祭礼》江戸時代 出光美術館蔵
《江戸名所図屏風(右隻部分)三社権現の舟祭礼》江戸時代 出光美術館蔵


◆(3)江戸時代に入ってからの洛中洛外図は、なんのために作られたか。

洛中洛外図は、京都の名所が多数描かれます。
そこには、天皇の住まいである御所と、将軍家の象徴である二条城が、よく描かれます。

そこで、洛中洛外図によく描かれる題材として、

元和6年(1620年)の徳川和子入内と、
寛永3年(1626年)の後水尾天皇(ごみずのおてんのう)行幸が、よく取り上げられるそうです。

徳川和子は、徳川家から天皇家に嫁いでいった人です。
将軍家と天皇家の中を取り持った人として、公武合体の象徴として、洛中洛外図に描かれるそうです。

後水尾天皇(ごみずのおてんのう)行幸の、『行幸』(ぎょうこう)とは、天皇が外出することです。

3代将軍家光は、二条城を改築したので是非見に来て下さいと、後水尾天皇に申し入れをし、
1624年に、後水尾天皇行幸が実現します。

この後水尾天皇行幸は、それはそれはすごい行列で京都中が熱狂したため、洛中洛外図によく描かれるのだそうです。

では、すべてが「公武合体」の象徴的な意味合いで作成されたというと、そうではないそうです。

洛中洛外図というのは、現在100点ほど見つかっているそうですが、
誰の発注で、なんのために作られたのか、わからないものが、実は大半なのだそうです。


成澤先生は、このように分析されていました。

>洛中洛外図の中には、主人の帰りを待つ退屈そうな篭屋や、祭りのケンカや、貧乏人まで描かれている物もある。
>当時の殿様や奥方が、このような物を、なんのために注文したのか、理由はわかりませんが、
>都市が財産であった初期の洛中洛外図に対して、庶民の生活や喜びを知る、民政上の研究資料として、
>江戸時代の洛中洛外図は、お殿様に好まれた可能性があると推測しています。

みたいな話でした。


◆(4)出雲の阿国の屏風は、なんのために作られたか。

出雲阿国は、歌舞伎の創始者と言われていますが、
歌舞伎というのは、昔は『傾奇』と書いて、それは衝撃的な踊りだったそうです。

洛中洛外図の中にも、阿国歌舞伎が描かれており、
菅原道真の命日に行われる毎月25日には、北野天満宮内で興行が行われていたそうです。

なぜ描かれたかに対して、成澤先生からの説明はありませんでしたが、
当時、相当珍しかった阿国歌舞伎であれば、描く題材として描かれても、不思議では無いのかも知れません。

また、なぜ遊女が描かれる屏風が多数存在するかも、個人的に疑問だったのですが、
遊女は、単純に売春婦として見るから、描かれる理由が想像できませんが、
阿国歌舞伎は、遊女歌舞伎となって発展していくという流れがあるんです。

そういった意味では、阿国歌舞伎が一大ブームになっていたのであれば、
遊女も阿国歌舞伎の流れをくむ表現者として、屏風に描かれたのかも知れませんね。

《歌舞伎図屏風(右隻部分)》江戸時代 出光美術館蔵
《歌舞伎図屏風(右隻部分)》江戸時代 出光美術館蔵


◆(5)感想

そんなこんなで、90分間の講義でした。

会場はご年配者の方が多くて、冷房が控えめになっており、暑くて溶けそうでした。

成澤先生はプロジェクターで、
出光美術館が収蔵している以外の洛中洛外図の画像を見せながら、
「これも下手ですよねー。これも下手ですよねー。」と説明されておりました。

やっぱりね、思うんですよ。

出光美術館の学芸員さんが言う、
洛中洛外図に描かれる人の描写から、祭りの熱気を感じろというのは、ちょっと無理があるんですよ。

洛中洛外図は、京の名所を一つの関係性のもとに描くために、祭りをモチーフにしているだけで、
そもそも祭りを描きたくて、洛中洛外図を描いているわけじゃないんだもの。

そんなわけで、私は出光美術館の展示のしかたに、
何となくこじつけというか、言い訳くさいものを感じたのでした。まる。
出光美術館「祭 MATSURI -遊楽・祭礼・名所-」(1)(2012/6/16~7/22)
出光美術館の「祭 MATSURI -遊楽・祭礼・名所-」に行ってきました。

出光美術館展覧会「祭 MATSURI -遊楽・祭礼・名所-」

私は実は今年、出光美術館の一般会員になってるんです。

そのため、年間フリーパスの会員証を受け取っており、
会期中に1回開催される、水曜講演会と呼ばれる特別勉強会への参加資格があるんです。

そんなわけで今回も、水曜講習会の前にフリーパスで見てきました。
まずは、興味を惹かれたものについて書いていきます。


まずは、古源助秀満作の能面、萬媚(まんび)。

「媚」は、『媚を売る』の媚(こび)ですが、なまめかしくて色っぽい様を表した言葉で、
百・千を越える万の媚を備える面が『萬媚』であり、鬼の化身や遊女などに用いられる、あやかしの面です。

展示品の画像が見つからないので、Googleイメージの『万媚』の画像を見て見て下さい。

こんな感じの面です。

《Googleイメージ・万媚(まんび)》
Googleイメージ・万媚


様々な万媚の画像を見て頂きましたが、
今回、展示されている古源助秀満作の萬媚の面の方が、私は好きです。

歴史的には、古源助秀満が、初めて『萬媚』の面を創造したと記録されているようですね。

萬媚の面は、人と人あらざるモノの、中間に存在する顔だと思うです。
今回展示されている古源助の萬媚も、吸い込まれるような存在感を持ってます。

きっとあの面も、一度付けると外れなくなるんだろうな。

ちなみに今回の萬媚の面は、四角柱の展示ボックスの中で展示されているために、
360度ぐるりと、様々な角度から見ることができます。

今から400年ほど前の江戸時代前期に、あそこまで繊細な表情を追求していたという、日本人の美的感覚に驚きました。


では次に、古九谷(こくたに)の大皿をどうぞ。

《色絵瓜文大皿(いろえうりもんおおざら)》古九谷 出光美術館蔵
重要文化財《花魁(おいらん)》高橋由一(1872年製作)東京芸術大学蔵

テレビで見ると、色がどぎついと思ってしまう古九谷ですが、やはり実物は綺麗ですね。
裏には、ちゃんと角福のマークがありました。あたりまえか。

古九谷って、ゴッホに似ていませんか。
まるで絵画のような、見ていて飽きが来ない、すばらしい大皿でした。


ではもう一つ。

蒔絵扇面散文碁笥(まきえおうぎめんさんぶんごけ)。
碁笥(ごけ)というのは、碁石が入っている入れ物のことです。

残念ながらサンプル画像がないのですが、これまた、なんとも美しい。

あのピンクの碁石は、水晶でしょうか。
碁石と碁笥は、まるで宝石と宝石箱のようでした。


さてさて。

今回は、洛中洛外図を中心とする、風俗画の展示がメインとなっていましたが、
他のものがどうだったかというと、正直、私にはピンと来ませんでした。

中には、見返り美人の作者である菱川師宣の作とされる作品も展示されているのですが、
今回の展示の半数は、作者不詳の作品群になります。

おそらく、この手の作品群は、資料的価値が高く、
重要文化財に指定されている現存最古の『祇園祭礼図屏風』も、資料としては大変な価値があるのでしょうが、
正直、『美』を訴えかけてくるかというと、うーん。。

では、資料として楽しめたかというと、うーん。。

いや、なんともうしましょう。出光美術館さんの展示は、今回に限らず、説明がわかりにくいんですよ。

各章の入口にあるパネルで比較ポイントを押さえて、作品を1度見ただけでは理解ができず、
何度もパネルと作品を行き来しているうちに、どっと疲れて、理解するのを諦めました。

学芸員の人は、あそこにあのパネルをああやって置くことによって、
はたして、どんだけの人に理解してもらえると、思っているんでしょうね・・・。

毎回思っちゃうんですが、ここの展示は、ほんと親切じゃないと思う。

例えば、私のような素人は、せめて作品名ぐらいは、読み仮名をふっておいて欲しいです・・・。

あくまで推測ですけど、この美術館は、学芸員同士が本音で意見交換してないんじゃないでしょうか・・・。
お互い、自分の仕事はやるけど、人の仕事に踏み込んで意見を出し合うことを、していないと思うんですよね。

だからこそ、初めてこれを見る人の立場に立っての展示が、されていない気がするです。

この美術館は、出光さんの慈善事業の一環でしょうし、税金で運営しているわけでもないですし、
そこまで、やらなくても良いという事なのかも知れませんけど、

他にもミュージアムショップのスタッフが、あまりにおしゃべりしすぎだろとか、
他にも色々不満もあるんですが・・・、私としては、結構、色々残念です。

おっと脱線した。


そうそう。

ちなみに、私が屏風群を見ながら不思議に思っていたのは、
このような屏風のたぐいを作るには、おそらくものすごい制作費がかかると思うんです。

祇園祭の屏風なり、出雲の阿国の屏風絵なり、
はたまた、どこぞの遊女をモチーフにした作品なり、誰が制作を依頼したのでしょう。

どういう人たちが、どういう目的で、この手の作品群を欲しがったのかが、よくわからなかったのです。


その辺は、今回の水曜講習会(7/11)に参加する予定なので、そこで聞けるかなと思ってますので、
水曜講習会のあとに、出光美術館「祭 MATSURI -遊楽・祭礼・名所-」(2)を書きます。


あとは、今回の展示は、若い女性がいっぱいいて、びっくりしました。

あと、今回の展示は、この展示内容に興味がある人が行った方が、いい気がしましたね。

風俗画ばかり見ていると、歴史民俗資料館にいるような気がしてきましたよ。
東京藝術大学大学美術館「芸大コレクション展-春の名品選-」(2)(2012/4/5~6/24)
前回に引き続き、東京藝術大学大学美術館「芸大コレクション展-春の名品選-」(2)を書きます。

東京藝術大学大学美術館「芸大コレクション展-春の名品選-」(1)の続きになります。

では、藤田嗣治(1886-1968)の猫から。

《猫》藤田嗣治(レオナール・フジタ)(1929年頃製作)東京芸術大学蔵
《猫》藤田嗣治(レオナール・フジタ)(1929年頃製作)東京芸術大学蔵

たぶん、展示されていたのはこれだと思うのですが、違ったらすみません。

全くの美術の素人の私でも名前は聞いたことある、藤田嗣治。
本人の写真を見て頂きましょう。

藤田嗣治(レオナール・フジタ)
◆◇藤田嗣治(レオナール・フジタ)◇◆

かっこいいでしょ。

実は、こないだ国立近代美術館に行ったときに、
藤田嗣治の「ソロモン海域に於ける米兵の末路」という作品が展示されていまして、
いわゆる戦争画と呼ばれる、プロパガンダ用の絵だったんです。

戦争画を描いてるって事は、てっきり大正生まれの人だと思っていたら、藤田が生まれたのは明治19年。
東京美術学校(後の東京芸術大学)に入学して、黒田清輝の教えを受けていたのですね。

しかし、印象派の強い影響を受け写実を重要視した黒田清輝には全く評価されず、卒業後に渡仏。
そこでキュビズムやシュールレアリズムと出会い、藤田は衝撃を受けます。

Wikipediaの藤田嗣治によると、

>「家に帰って先ず黒田清輝先生ご指定の絵の具箱を叩き付けました」
>と藤田は自身の著書で語っている。

とあります。

ここで藤田は、展覧会でも一切評価してくれなかった黒田清輝の事を、それでも『先生』と記していますね。

きっとこの藤田の一連の行動は、黒田清輝や日本画壇に対する単純な怒りではなく、
これからは自らの信じる道を突き進もうという、藤田の決別と決意でありつつも、
『自分はこれでいいんだ』と、やっと自分を受け入れることができた、自己肯定の瞬間でもあったのでしょう。

きっと藤田は、大粒の涙を流したに違いない。

ちなみに戦争画を書いた後の藤田は、半ば戦犯のように非難され、再び日本を離れています。
「国のために戦う一兵卒と同じ心境で描いた」のになぜ非難されなければならないのかという、藤田の思いは悲しすぎます。

詳しくは、Wikipediaの藤田嗣治をお読み下さい。

それにしても、藤田の猫、かわいいなぁ。
実物は、もうすごいですよ。猫の毛が、ふわぁぁぁってなってて。


では、もう一つ。
長谷川潔(1891-1980)銅版画をどうぞ。

《摩天楼上空のポアン・ダンテロガシオン号[ニューヨーク上空の]》長谷川潔(1930年製作)東京芸術大学蔵
《摩天楼上空のポアン・ダンテロガシオン号[ニューヨーク上空の]》長谷川潔(1930年製作)東京芸術大学蔵

ポアン・ダンテロガシオン号は、1930年にパリ→ニューヨークをノンストップ飛行をした飛行機の名前です。

なんでしょう。

美しいんですが、不安になってくる感覚。
現代の私には、自然を凌駕したと錯覚している都市の姿に、見えてくるからでしょうか。

そんな意図では、おそらく作られていないんでしょうけどね。


ちなみに長谷川潔(はせがわきよし)の事は、鑑定団で知りました。
『草花とアカリョム』という作品が、鑑定団に出たことがあるんです。

それが、これです。

《草花とアカリョム》長谷川潔(1969年製作)東京国立近代美術蔵
《草花とアカリョム》長谷川潔(1969年製作)東京国立近代美術蔵

いいですよね。これ。(※国立近代美術館の収蔵品です)

この時の放送の、長谷川潔の紹介VTRの中に、こんなシーンがありました。

一木一草を追求すれば神にたどりつく

私には、長谷川潔のこの言葉が、強烈に記憶に残ったんですよね。

私は特定の信仰を持たない人間なんですが、日本のアニミズム的な自然信仰は好きです。

「一木一草を掴もうとすると、必ず神に突きあたる。」

こうやって人は神と繋がって、宇宙と一つになるのかも知れません。

そんな哲学っぽい事を書いて、今回はおしまい。


さすが芸大。いいもん、もってますよ。

みなさんも是非どうぞ。
東京藝術大学大学美術館「芸大コレクション展-春の名品選-」(1)(2012/4/5~6/24)
東京芸術大学大学美術館の高橋由一展を見に行ったついでに、同美術館の『春の名品選』も見てきました。

まず私が心を奪われたのは、白井雨山(1864-1928)の作品。

白井雨山は、東京美術学校彫刻科に塑造(そぞう)科を開設した方です。
私は美術に関して素人なので、存じ上げませんでした。

でも、この作品のモデルとなった人なら、知っています。

《太田道灌(おおたどうかん)》白井雨山(1907年製作)東京芸術大学蔵
《太田道灌(おおたどうかん)》白井雨山(1907年製作)東京芸術大学蔵


太田道灌!!

カッコイイ!!

江戸城を築城した武将として有名な、あの太田道潅の狩り姿です。

私が今まで見てきた彫刻は、
対象の威厳を示すために作られたものか、肉体が内包するエネルギーを立体的に造形したものであった気がします。
他の言い回しをするなら、頑張ってる姿を作っているのです。

しかし、この太田道潅の姿は、それとは別物な気がします。
威厳ではなく、風格を備えている気がするのです。無理をしていないのです。

だからこそ、かっこいいという言葉が、まず出てくるのかも知れません。

実際の展示は裏側からも見ることができるのですが、この道灌の背中がいい!
口元を強く結び、背中で語ってくる職人気質な立ち姿は、まさに太田道潅のイメージにぴったりです。


次に心を奪われたのは、私の大好きな円山応挙(1733-1795)

《若芽南天(わかめなんてん)》円山応挙(1765年製作)東京芸術大学蔵
《若芽南天(わかめなんてん)》円山応挙(1765年製作)東京芸術大学蔵

芸大は、円山応挙も所蔵してるのですね。

南天は植物の名前で、とまっているのは雀です。
付立法(ついたてほう)という、輪郭線を一切用いない手法で描かれています。

ただの枝じゃないかいう南天に、ここまで魅せられてしまう。

やっぱり、応挙はいい。


その並びにある、椿椿山(つばきちんざん)や、川合玉堂(かわいぎょくどう)もビックネームですが、
これまた私の好きな、菱田春草があるじゃない。

《水鏡(みずかがみ)》菱田春草(1897年製作)東京芸術大学蔵
《水鏡(みずかがみ)》菱田春草(1897年製作)東京芸術大学蔵

春草の初期の作品だそうです。

天女が持つ右手の紫陽花と、腰のあたりから後ろに回り込む紫陽花を比較すると、
一瞬、構図が不自然な気もしましたが、まぁ、いいじゃない。

添えられていた解説によると、紫陽花は赤から紫に七色に変わり、色を失って枯れていく。
天女もその紫陽花のイメージで描かれており、美の衰えを暗に示しているのだそうです。

だからこそ、一瞬の美の輝きや、母性をメインに描いたものではないという印象を受けるのかも知れません。


ここで、再び彫刻を。

《観音像木型(かんのんぞうきがた)》高村光雲(1892年製作)東京芸術大学蔵
《観音像木型(かんのんぞうきがた)》高村光雲(1892年製作)東京芸術大学蔵

京都の知恩院友禅苑の池の真ん中にある観音様の木型です。

これが、また、すごいんですよ。画像では伝わりませんが、実物を見たら飲み込まれます。

私は高校の修学旅行で、京都・奈良をまわりましたが、
あの頃はまだ、『仏像と寺ばかり見せやがって!』という思いがないわけではありませんでした。

でも、最近思うんです。

私が書くまでもないことですが、日本の仏教美術って、人であり、人で無い物を長年作り続けてきたわけです。
そのフォルム(造形美?)は、人を越えたところにあるのだと思うのです。

それが形をもって3Dで目の前に現れたときの、この美に飲み込まれる感覚ときたら、とてつもないです。

アスリートの鍛えられた肉体にも美はありますが、
この高村光雲の観音様が放つ美は、人の姿を保ちつつも、人の存在を超越している美があります。

だからこそこの彫刻には、日本人が模索した美の到達点の一つの形があるのだと、私は感じたのでした。


ちょっと、旅行サイトから拝借した知恩院・友禅苑の観音様をご覧下さい。

知恩院・友禅苑 高村光雲作 立誉大教正紀菩薩

遠すぎる。

これを池の真ん中に置いておいては、もったいないですよ。

長くなってきたので、東京藝術大学大学美術館「芸大コレクション展-春の名品選-」(2)へ続きます。
東京藝術大学大学美術館「近代洋画の開拓者 高橋由一」(2) (2012/4/28~6/24)
前回に引き続き、東京藝術大学大学美術館「近代洋画の開拓者 高橋由一」(2)を書きます。

東京藝術大学大学美術館「近代洋画の開拓者 高橋由一」(1)の続きになります。

前回は人物画について書きましたので、今回は風景画と静物画の感想を書きます。

由一は、西洋画が日本に普及するには、日本人がより多くの西洋画を目にする機会を増やす必要がある考えていました。
そのため、由一は精力的に新作を発表しており、風景画もたくさん描いています。

その中から、気に入った作品を1枚。

《真崎の渡(まさきのわたし)》高橋由一(製作年不明)町立久万美術館蔵
《真崎の渡(まさきのわたし)》高橋由一(製作年不明)町立久万美術館蔵

真崎は現在の荒川区の南千住辺りで、描かれているのは隅田川です。
写生帖(しゃせいじょう)に明治6年8月29日(1873年)にスケッチしたものを、後に描いたそうです。

久万美術館のホームページによると、1873-1876年の間に描かれたないかと書かれています。

由一の作品の中では、明るい作品になります。
画像で見てもうまく伝わらないと思いますが、清涼感を感じさせてくれるのです。

ネットで調べたところ、三重県立美術館のホームページに、このような解説を見つけました。

>「油彩画は、これら〔《写生帖第Ⅳ冊、Ⅵ冊》〕の素描と同構図であって、
>墨水をへだてて真崎稲荷付近を望み、中景に葦の生えた中洲を描き、近景画面右手に葉の茂った樹木を表わしている。
>しかし、異なる点は油彩画においては河に帆船と渡舟を描き、さらに画面右端に老樹の幹を加えた点である。

やはり。

素人の私の感想ですが、他の風景画の中は、これは構図的に必要ないんじゃないかと思うものもあったのです。
そして、そう感じる絵の解説を音声ガイドで聞くと、案の定『写真をもとにし・・・』と言っているのです。

この『真崎の渡』は、スケッチから製作に取りかかるまで日を置いたからこそ、
当時の印象が美化されたのではないかと思っていたのですが、右下の幹や船も書き加えられていたのですね。

やはり由一は、写真を見て仕上げたがゆえに、つまらないものにしてしまった作品がある気がしてきます。


では、メインディッシュの3本の鮭をどうぞ。

左-        《鮭図》高橋由一(1887年以降製作)山形美術館寄託
中央- 重要文化財《鮭》高橋由一(1877年頃製作)東京芸術大学蔵
右-        《鮭図》高橋由一(1878年以降製作)笠間日動美術館蔵

《鮭図》高橋由一(1887年以降製作)山形美術館寄託重要文化財《鮭》高橋由一(1877年頃製作)東京芸術大学蔵《鮭図》高橋由一(1878年以降製作)笠間日動美術館蔵


由一=鮭というのは、当時から有名であったらしく、
山形美術館寄託の鮭図と、笠間日動美術館蔵の鮭図と併せて3本の鮭が展示されていますが、
私は中央の東京芸術大学収蔵の鮭が、段違いにすばらしいと感じました。

日動美術館の板に直接描かれた鮭図も確かにすごいのですが、私にはどうもピンと来ないのです。
どうしてだろうと思いつつ振り返ると、そこにあった『鴨図』が眼に入ってきました。

《鴨図(かもず)》高橋由一(1878年製作)山口県立美術館蔵
《鴨図(かもず)》高橋由一(1878年製作)山口県立美術館蔵

ちなみにこの『鴨図』、500円で借りた音声ガイドによりますと、
日本画で鴨を描く際は、花鳥画としての生きた鴨を描くのが普通ですが、
由一は、油絵をより身近に感じて欲しいという思いから、食材としての鴨を描いたとのこと。


私はそれを聞いて、本当にそれが理由だろうかと思ってしまったんですよね。

あくまで素人の感想ですが、由一は『眼』を描く事を苦手としていたのではないかと思うのです。

前回見て頂いたヤマトタケルも、実は目をつぶっているんです。私はそこがずっと引っかかっていました。
私は演劇をやっているせいか、『眼』にこだわってしまいます。生きた『眼』には、生命力が宿るからです。

先ほどの三本の鮭は、どう見たって死んでいるわけですが、
真ん中の重要文化財の鮭は、例え死んでいても、品格があります。

これは、由一が鮭を描こうと思いたち、その魅力を引き出そうとした『写意』が作品に込められているからこそ、
ただの食材としての鮭ではなく、品格を備えた、輝きに満ちた鮭になっているのではないかと思うのです。

是非この機会に、3本の鮭を見比べてみて下さい。

この鮭だけでも、必見の価値がありますよ。


次回は同時開催されていた、芸大コレクション展『春の名品選』について書きたいと思います。
東京藝術大学大学美術館「近代洋画の開拓者 高橋由一」(1) (2012/4/28~6/24)
美術の教科書に載ってる、高橋由一の鮭が見れるということで行ってきました。

東京藝術大学大学美術館「近代洋画の開拓者 高橋由一」


高橋由一(1828年3~1894年)は、幕末から明治にかけて生きた、日本人最初の洋画家と言われています。

高橋由一は、幕末の佐倉堀田藩に生まれた、武家の子でした。
佐倉堀田藩というのは、老中・堀田正睦(ほったまさよし)の、あの堀田です。

当時の日本は黒船が来航し、アメリカに開国を迫られていました。

ペリーの使節団は、軍事力を背景に日本に開国を迫ったわけですが、
軍事力を見せつけるために、アメリカとメキシコの戦争を描いた石版画を持ってきていたのです。

それらの石版画は幕府に贈られ、堀田正睦を通じて高橋由一も目にするところとなりました。

由一が驚いたのは、風景や人物までも忠実に写し取る、西洋画の表現力です。
狩野派の絵師に学んでいた由一は、これに強い衝撃を受け、西洋画を学んでいこうと決心したそうです。


さて、会場にまず展示されているのは肖像画群。
その中から、丁髷姿の自画像(ちょんまげすがたのじがぞう)と、原田直次郎が描いた高橋由一像をご覧ください。

《丁髷姿の自画像》高橋由一(1866年頃製作)笠間日動美術館蔵 《高橋由一像》原田直次郎(1893年製作)東京芸術大学蔵
《丁髷姿の自画像(ちょんまげすがたのじがぞう)》高橋由一(1866年頃)笠間日動美術館蔵《高橋由一像》原田直次郎(1893年頃)東京芸術大学蔵

先日、国立近代美術館で原田直次郎の騎龍観音を見てきましたが、原田直次郎は高橋由一の弟子だったのですね。

その時に、「原田直次郎は脂派(やには)と呼ばれ、画壇の中心は黒田清輝に移っていったそうです。」と書きましたが、
美術を知らない私は、「画壇の中心が移るって、大げさなんじゃないの?中心ってどこだよ。」と正直思ってたんです。

しかし、脂派調の作品がこうもいっぱい並んでいると、どうにもこうにも気が重くなってくるわけですよ。

なんか、わかったんですよね。もっと明るい洋画を見たくなる、当時の人の気持ちが。


さて。

近代日本では、廃仏毀釈運動が起きており、日本古来の仏教美術品が二束三文で処分されていました。

それに異を唱えた外国人のフェノロサは、日本美術を保護する意味でも、美術品を大量に買い集めます。
そこで買い集められた美術品の展覧会が、こないだのボストン美術展ですよね。

ところが日本美術が見直されはじめると、今度は「洋画はいらないんじゃないか」という運動が起きます。
そんな洋画排斥運動と戦ったのが、高橋由一や原田直次郎になります。

高橋由一が取った作戦は、油絵は、写真のような劣化が起きない。
つまり『油絵は長期保存がきくために、資料を描くのに最適である。』という売り込み方法でした。

そのため高橋由一の肖像画の多くは、写真をもとに描かれています。
しかし、これがいけなかったんだと、素人ながら思うんです・・・。

重要文化財の花魁(おいらん)をご覧下さい。

重要文化財《花魁(おいらん)》高橋由一(1872年製作)東京芸術大学蔵
重要文化財《花魁(おいらん)》高橋由一(1872年製作)東京芸術大学蔵

新吉原の稲本楼の小稲(こいな)を描いた作品です。

その頃の吉原も時代の流れに逆らず、衰退の一途をたどっていました。

そこで、注目されつつある西洋画で花魁を描いてもらって、
今一度、街に活気を呼び戻せないかと、街おこしが企画されました。

消えゆく花魁の姿を、しっかりと記録しておきたいという思いもあったそうです。

そこで白羽の矢が立った由一が、写真を描くように花魁を描いて見せたわけですが、
できあがった作品を見て、「あちきは、こんな顔ではありゃんせん。」と小稲は泣き出してしまったそうです。

そうですよね・・・。

街おこしのポスターを作りたいからモデルになってくれと女優を呼んできたのに、
本気モードではない姿を、美化せずそのままポスターにされたら、そりゃ女優は泣きますって・・・。

当時のチラシは浮世絵が一般的で、まさかこんな風に描かれるとは、想像してなかったんでしょうけど。


当時の海外の美術は、単に写真のように描いたものはつまらないって事から、すでにその先にある美を模索していました。
日本美術でも円山応挙が、写実とは単にものの形を写し取るわけではないって、言ってますよね。

しかし高橋由一は、西洋画に全く最初に触れた日本人なものだから、
まずは、どこまで忠実に写実できるか挑戦してみようとしてるんだと思うんですよね。

だから現代に生きている私は、『花魁の姿を撮った写真と、同じじゃない。』と思ってしまうのでしょう。


正直、由一の人物画は、総じてピンとこなかったのですが、1点だけ気に入った絵がありました。

日本神話にも出てくる、ヤマトタケルです。

《大和武尊(やまとたけるのみこと)》高橋由一(製作年不明)東京芸術大学蔵
《大和武尊(やまとたけるのみこと)》高橋由一(製作年不明)東京芸術大学蔵

原田直次郎が楊柳観音を西洋画で描いて、日本人に洋画を受け入れてもらおうと努力したように、
高橋由一も、ヤマトタケルをモチーフにして洋画を描いているのです。

この絵が、由一の他の人物画と大きく違うのは、想像で描いたという点だと思うんですよね。
だからこそ、内面から溢れる力強さがあるのだと思うのです。

では、長くなってきたので、東京藝術大学大学美術館「近代洋画の開拓者 高橋由一」(2))に続きます。

しゃけの話は、次で。
国立近代美術館 常設展「近代日本の美術」(3)前期:2012/5/12~6/17

前回に引き続き、国立近代美術館 常設展「近代日本の美術」(3)を書きます。

国立近代美術館 常設展「近代日本の美術」(2)の続きになります。

11時からのハイライト・ツアーに参加した私ですが、その後、14時の所蔵品ガイドにも参加しました。
そこで案内されたのが、徳岡神泉(とくおかしんせん)の仔鹿です。

《仔鹿(こじか)》徳岡神泉(1961年製作) 国立近代美術館蔵
《仔鹿(こじか)》徳岡神泉(1961年製作) 国立近代美術館蔵

一面の緑の上に、赤々と燃えるような赤の仔鹿。

最初私は、夕陽を見ているのかと思ったのですが、
後方を見つめる仔鹿が赤いということは、太陽の光は手前から当たっていることになりますよね。
そうなると、夕陽を見ているわけではないと気付きました。

では、母鹿がその先にいるかのかと思いました。しかし、仔鹿は少し驚いた様子にも見えます。
母鹿を描くのならば、普通は仔鹿に寄り添ってる姿を描き、仔鹿はもっと安心してその場にいる気がしたのです。

次に、なぜ仔鹿の影は、草原に映っていないのだろうと考えました。
きっとこの緑は、草原そのものを描いているわけではなく、
作者に飛び込んできた緑を、印象のままに描いたのだのではないかと思いました。

ならば、仔鹿が見ているのは、「過去」なのかも知れない。

ちなみにこの作品は、夕暮れの梵鐘に振り向いた、奈良の鹿を描いたと作者が言っているそうです。


では、もう一つ。徳岡神泉の「菖蒲」(あやめ)です。

《菖蒲(あやめ)》徳岡神泉(1939年製作) 国立近代美術館蔵
《菖蒲(あやめ)》徳岡神泉(1939年製作) 国立近代美術館蔵


非常に写実的ですよね。

私はあやめの根元の位置から遠近感を感じ、そのまま花を見に視線を上へ移し、一つだけ白い花に、心を奪われました。
再び根元へ視線を移し、そこには池の水があるのだろうと想像し、その水は、画面一杯に広がっているのだと感じました。

そういえば日本の風景画って、海外のものとちょっと違うらしいですよね。

海外でも印象派がたくさんの風景を描いていますが、
自然の中の、ほんと一部分を切り取って描写するというのは、日本の作品が圧倒的に多いそうです。

それだけ、日本の自然が、いかに美しかったかという事ではないかと、私は思うんですけどね。

神泉は、このような写実的な菖蒲を描いた後に、先ほどの仔鹿を描いています。
だからこそ、先ほどの仔鹿にも、写実的な印象を受けるのかも知れません。

最後に徳岡神泉を、もう一枚。

《蓮(はす)》徳岡神泉(1925年製作) 国立近代美術館蔵
《蓮(はす)》徳岡神泉(1925年製作) 国立近代美術館蔵

正直に申しまして、私はこの蓮は、全然ピンとこなかったんです。300円で借りた音声ガイドを、何度リピートして聞いたことか。


音声ガイド:「蓮の下に下にカメがいます。・・・蓮の葉一本一本を丁寧に・・・」


そんなガイドを聞きながら、「丁寧に描くのは当たり前だろ。言われなくてもわかるわい。」と、
聞いているうちに、だんだん腹が立ってきまして見るのをやめました。

帰ってきてWikipediaの徳岡神泉を読んでわかったのですが、徳岡神泉って、若い頃は全く評価されなかったようですね。


静岡県立美術館のページには、このように紹介されていました。

>(徳岡神泉は)連続して文展に落選し、1919(大正8)年、芸術上の煩悶から京都をはなれ、一時期静岡県庵原郡富士川町に住むが、1923(同12)年、画家としての再出発をかけて帰洛。その後の歩みは順調で、1925(同14)年、第6回帝展に≪罌栗(けし)≫が初入選。第7回・第10回帝展で特選を重ねた。そして1939(昭和14)年、第3回新文展に出品した≪菖蒲≫において、その画業は大きな転機をむかえ、簡潔な構図と深い色調による神泉様式を確立した。

なるほど。

私は、ここまで画風を変化させ自分を高めて行った、徳岡神泉のファンになってしまいました。


あとは、もう、私には理解不能な現代美術がいっぱいありました。

わからないものが、いつかわかるようになるかも知れないのでここでは触れませんが、
時間や音符や言語など、それを芸術的に表そうとしたした人がいたという事実は、確かに私の中に残りましたし、
これがいつか、演劇を見つめ直すきっかけになれば良いかなと思います。

ちなみに、結局5時間半も国立近代美術館内をうろうろしてましたが、
わからないものは、何時間見ても、結局わかりませんでしたね。あはは。
国立近代美術館 常設展「近代日本の美術」(2)前期:2012/5/12~6/17

前回に引き続き、国立近代美術館 常設展「近代日本の美術」(2)を書きます。

国立近代美術館 常設展「近代日本の美術」(1)の続きになります。

毎週なんでも鑑定団を見ているぐらいで、美術に関して全くの素人の私ですが、
そんな私でも名前を知っているのが、岸田劉生の麗子像。

麗子は岸田劉生の娘ですので、生涯に何枚も書いていますが、
その一番初期の作品とされる、麗子肖像(麗子五歳之像)が東京近代博物館にあります。

《麗子肖像(麗子五歳之像・れいこごさいのぞう)》岸田劉生(1918年製作) 国立近代美術館蔵
《麗子肖像(麗子五歳之像・れいこごさいのぞう)》岸田劉生(1918年製作) 国立近代美術館蔵

見た瞬間。ああ、これこれと思いました。私が好きな日本画の雰囲気が、ここにある。

岸田劉生は、自身の絵を振り返って、このように述べています。

>「麗子の肖像を描いてから、僕はまた一段とある進み方をしたことを自覚する。今までのものはこれ以後にくらべると唯物的な美が主で、これより以後のものはより唯心的な域が多くなっている。すなわち形に即した美以上のもの、その物の持つ精神の美、全体から来る無形の美、顔や眼に宿る心の美、一口に言えば深さ、このことを僕はこの子供の小さい肖像を描きながらある処まで会得した。このことはレオナルドに教えられる処が多かった。」  (岸田劉生「自分の踏んできた道」「個人展覧会に際して」『白樺』第10巻第4号 1919年4月より引用)


非常に写実的な描写でありつつも、頭は若干大きくデフォルメされているそうです。
対象本来の魅力と、作者がすくい上げたい精神性のバランスが絵の中で調和しており、それが私にとって心地よいのだと思いました


その隣に展示されていたのが、道路と土手と塀(切通之写生)

《道路と土手と塀(切通之写生・きりどうしのしゃせい)》岸田劉生(1915年製作) 国立近代美術館蔵
《道路と土手と塀(切通之写生・きりどうしのしゃせい)》岸田劉生(1915年製作) 国立近代美術館蔵

力強い。

300円で借りた音声ガイドによると、
画面を半分以上占める、むき出しの褐色の土手と白い塀のつながりは、よくよく見るとおかしいそうです。
しかし、右手前にあるはずの2本の電柱の影が、不自然までに盛り上がった土手を成立させるのに、一役かっているそうです。

こんな言い方をしては、自分の無知さをさらけ出すだけな気もしますが、
こんなにどうでもいい物を描いた風景画を、正直、私は初めて見たかも知れません。

それなのに、むき出しの地面がなんとも生命力に満ちており、彼方の空が登っておいでよと誘ってくるようです。

これ、重要文化財だったのですね。
土手を描いて重要文化財とは、すごいなぁ。



さて、このあとにはシュルレアリズムと呼ばれる作品群が登場して来ます。
そんな中でも、なんかよくわからないけど、飛び込んでくる絵に遭遇しました。

《燃える人(もえるひと)》岡本太郎(1955年製作) 国立近代美術館蔵
《燃える人(もえるひと)》岡本太郎(1955年製作) 国立近代美術館蔵

よくわからないけど、心を揺さぶってくる。

左上に漫画太郎が書いたような人物が、口から舌だか血だかを出してますよね。
その横には、両眼を持った雲が、右下に向けて、小さくなりながらいくつも描かれています。

左下には、両眼を持った船が2隻描かれていますが、
これは1954年にビキニ環礁で起きた第五福竜丸の被爆事件をモチーフにしているそうです。
つまり、右下から吹き上がる灰色の雲は、水爆実験で生み出された、キノコ雲だったわけですね。

なるほど。

でも、シュルレアリズムの作品群で心に響いて来たのは、私にとっては岡本太郎の「燃える人」ぐらい。
靉光(あいみつ)の「目のある風景」は、おそらく鑑定団で見て知ってはいたのですが、実物を見ても響いて来ませんでした。
古賀春江の「海」も、だからなんなんだと思うばかり。

そんな話を帰ってきて友人のO川くんにしたところ、
「シュルレアリズムは、古い価値観や概念を壊すために生まれたようなところがあるから、今の自分たちには古くさいと思うことが多々あるんだと思う。もしその時代を自分たちが生きていて、その当時にそれを目にしたのなら、とても新鮮で面白かったんだと思うよ。」

との事。なるほどなるほど。

私にとっての芸術は、どこか普遍的なもの(例えば美?)を持っていて、
その普遍性を感じ取るために、美術館に行ってるようなところがありますから、
その時代に生きた作者が、その時代をどう切り取ったとか、どう壊したかったとか、
そもそも私の興味がないところなのかも知れません。

これは、私の芝居観にも言えることで、
「いかに現実からぶっとんだ作品を作るか」に力を注いでいる作品に私が興味がないのと、同じなのかも知れません。

私は、SFやファンタジーの世界が嫌いなわけではありません。
空想の世界であっても、私の演劇は、あくまで「人」をどう描くかにこだわっていくべきだと思うのです。

アナリストが、現実に生きている人から切り離したところで理想を語るのと、
画家がシュルレアリズムで社会を切り取り安心する事が、私にとっては同じような気がしてくるのです。

と言えるのも、今が平和な世の中であるからか。


長くなってきたので、国立近代美術館 常設展「近代日本の美術」(3)前期:2012/5/12~6/17 へ続きます。
国立近代美術館 常設展「近代日本の美術」(1)前期:2012/5/12~6/17
最近、美術館や博物館を散策しているので、
近現代も見ておこうと思いまして、6/3(日)に国立近代美術館に行ってきました。

毎月の第一週の日曜日は、無料観覧日になっていまして、この日も無料でした。

まず、11時からのガイドスタッフによるハイライト・ツアーに参加。
「初めての方はいらっしゃいますか?」と聞かれ、私を含め数人が手を上げていました。

まず私が驚いたのは、展示物の距離の近さとスタッフの多さ。

ガイドスタッフの方の話は60分ほどでしたが、話に意識がいってふらふらと横にずれていると、
「お気をつけ下さい。」や「他の方が通られるので、もう少しお進みください」と何度か指摘を受けました。

彫刻などは、リストを見ながら歩いたら普通にぶつかるんじゃないかと思うぐらい、間近にあります。
ガイドスタッフが話している間も、他2名(もしくはそれ以上)のスタッフが、まわりに気を配っているのです。

作品をよりしっかりと見て欲しいという、美術館側の配慮をすごく感じました。


さて、ガイドの方がまず案内してくださったのが、原田直次郎(はらだなおじろう)の騎龍観音です。

重要文化財《騎龍観音(きりゅうかんのん)》原田直次郎(1890年製作) 国立近代美術館蔵
《騎龍観音(きりゅうかんのん)》原田直次郎(1890年製作) 国立近代美術館蔵

天井まであるかという大きさで、すごい迫力です。
この作品は1890年の第三回内国勧業博覧会に出品され、2007年に重要文化財に指摘されています。

ドイツに留学した原田は、西洋の教会の天井に描かれた宗教画に感銘を受け、
日本で起きていた廃仏毀釈運動や、洋画排斥運動に対抗すべく、西洋画の技法を使って、楊柳(ようりゅう)観音を描いたそうです。

画面は右上と左下を結ぶラインを境目に、左上側と右下側が対比で描かれているそうです。
楊柳観音の静に対しての、龍の動。雲間からの光と楊柳観音の輝きに対しての、龍がまとう闇。

でも、なんでしょ。龍がね。目がくりくりして、可愛すぎやしませんか。
あと、もうちょっと龍の頭が大きい方が、個人的には好みかなと思ったのでした。


こんなすごい絵を描いていた原田直次郎ですが、画壇の主流は外光派の黒田清輝(くろだせいき)に移っていきます。

原田のような初期の西洋画の画家は、明暗で遠近法を明確に描こうとしたのに対し、
外光派の黒田は、明るい色彩の中で遠近感を出そうとしたために、色が自由に使え、画面が暗くならずにすんだそうです。

《落葉(らくよう)》黒田清輝(1891年製作) 国立近代美術館蔵
《落葉(らくよう)》黒田清輝(1891年製作) 国立近代美術館蔵

うん。確かに明るい。

木々の上の部分をあえて描かず、落ち葉に埋もれた根元の位置で遠近感を出すあたりが、
菱田春草の落葉と非常に似てるなと思ってみていました。

黒田清輝も東京美術学校の設立に関わっていますので、お互いに影響受けてるんでしょうか。どうなんでしょう。

通りがかった美大生風の女子2人が、「うまいー!うわっ、黒田清輝だって。」と話してました。
さすが黒田清輝。この時代に生きていれば、さぞやもてたに違いない。


次に目に飛び込んできたのは、朝倉文夫(あさくらふみお)の「墓守」。

《墓守(はかもり)》朝倉文夫(1910年製作) 国立近代美術館蔵
《墓守(はかもり)》朝倉文夫(1910年製作) 国立近代美術館蔵

国指定文化財等データベースより引用
>モデルは、学生時代より馴染みのあった谷中天王寺の墓守であるという。朝倉によればモデル台に立たせると固くなるためブラブラ歩いて面白いと思った姿勢をとり、家のものが指す将棋を見て無心に笑っている自然な姿を横からとらえて作ったという。

ニュートラルな立ち姿でありながら、実に見事な存在感です。

ブログを書くためにちょっと調べ物をしていたら、この墓守の石膏型が、重要文化財指定を受けているようですね。
まぁ、石膏型が貴重だというのもあるのでしょうが、この作品自体、とても魅力的だと感じました。

私は横に並んで同じスタイルを取ってましたので、美術館の人に、きっと変なやつだと思われたに違いない。


もう一つブロンズ像をご紹介。荻原守衛(荻原碌山)の「文覚」と「女」です。

Wikipediaの荻原碌山に、「文覚」と「女」の関するいわれが書かれていますので、部分引用します。

>碌山が17歳の時、運命的な出会いが訪れる。通りがかった女性から声をかけられた。田舎で珍しい白いパラソルをさし、大きな黒い瞳が印象的な美しい女性であった。その人の名は相馬黒光。尊敬する郷里の先輩、相馬愛蔵の新妻で3歳年上の女性であった。東京の女学校で学んだ黒光は、文学や芸術を愛する才気あふれる女性。碌山はそんな黒光から、あらゆる知識の芸術を授けられ、未知なる世界の扉を開いていく。やがて芸術への情熱に目覚めた碌山は洋画家になろうと決意する。

~中略~

>1907年 (明治40年) フランスでロダンに面会。「女の胴」「坑夫」などの彫刻を制作。年末フランスを離れ、イタリア、ギリシャ、エジプトを経て1908年帰国。そして東京新宿にアトリエを構え、彫刻家として活動を始める。そんな碌山に運命の再会が待っていた。憧れの女性、黒光である。黒光はその頃、夫の相馬愛蔵と上京し、新宿にパン屋を開業していた。碌山は黒光の傍で作品を作る喜びに心躍らされた。相馬夫妻はそんな碌山を夕食に招くなど、家族ぐるみのつき合いが始まった。黒光の夫、愛蔵は仕事で家を空けることも多く、留守の時には碌山が父親代わりとなって子供たちと遊んだ。黒光は碌山を頼りにし、碌山はいつしか彼女に強い恋心を抱くようになった。しかし、それは決して許されない恋であった。ある日のこと、碌山は黒光から悩みを打ち明けられる。夫の愛蔵が浮気をしてると告白された。愛する女性の苦しみを知り、碌山の気持ちはもはや抑えようにもない炎となって燃え始めた。碌山は当時、パリにいた友人に高村光太郎宛ての手紙で「我 心に病を得て甚だ重し」と苦しい胸のうちを明かしている。行き場ない思いを叩きつけるかのように碌山はひとつの作品を作り上げる。1908年 (明治41年) 第二回文展で「文覚」が入選。

《文覚(もんがく》荻原碌山(荻原守衛)(1908年製作) 国立近代美術館蔵
《文覚(もんがく》荻原碌山(荻原守衛)(1908年製作) 国立近代美術館蔵

※文覚(もんがく)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・真言宗の僧

>人妻に恋した文覚は、思い余ってその夫を殺害しようとした。ところが誤って愛する人妻を殺してしまった。大きく目を見開き、虚空をにらみつけた文覚。力強くガッシリとした太い腕。そこにはあふれる激情を押さえ込もうとした表現されているかのようであった。碌山は愛する人を殺め、もだえ苦しむ文覚の姿に抑えがたい自らの恋の衝動とそれを戒める激しい葛藤を重ね合わせた。一方、黒光は碌山の気持ちを知りながらも、不倫を続ける夫の憎しみにもがき苦しんでいた。碌山は黒光に「なぜ別れないんだ ? 」と迫った。しかし、その時黒光は新しい命を宿していた。母として妻として守るべきものがあった。

>1910年 (明治43年) 追い討ちをかけるように不幸な出来事が起こる。黒光の次男の体調が悪くなり、病に伏せる日が多くなった。次男を抱える黒光を碌山は黒光を来る日も来る日も描き続け、「母と病める子」を世に出した。消えかかる幼い命を必死に抱きとめようとする黒光。しかし、母の願いもむなしく次男はこの世を去った。悲しみのなか、気丈に振舞う黒光に碌山は運命に抗う人間の強さを見出してゆく。そして思いのたけをぶつけるように、同年「女」を制作。

重要文化財《女(おんな》荻原碌山(荻原守衛)(1910年製作) 国立近代美術館蔵
《女(おんな》荻原碌山(荻原守衛)(1910年製作) 国立近代美術館蔵


この作品を完成させた数か月後に、碌山は喀血して、この世を去ります。
碌山の死後に「女」は文部省に買い上げられ、日本の近代彫刻としてはじめて重要文化財に指定されます。

ちなみに相馬黒光さんのお写真はこちら。
相馬黒光 -新宿中村屋創始者-
◆◇相馬黒光 -新宿中村屋創始者-◇◆

黒光の子どもたちは、碌山の死後にこの像を見て、「お母ちゃんだ!」と口々に言ったのだそうです。

うーん。切ない。

Wikipediaの荻原碌山は、全部読んで良いかも知れません。


長くなってきたので、国立近代美術館 常設展「近代日本の美術」(2)へ続きます。
三の丸尚蔵館「内国勧業博覧会-明治美術の幕開け-(第1期:2012/4/21~5/13)」
以前になぜか美術史、そのうち芝居(6)で伊藤若冲の動植綵絵について、書いたことがありました。

>Wikipediaの動植綵絵によると、「動植綵絵」は、若冲が臨済宗相国寺に寄贈したものですが、
>明治22年に相国寺から明治天皇に献納され、その下賜金1万円のおかげで、
>相国寺は廃仏毀釈の波の中も、1万8千坪の敷地を維持できたそうです。

この「動植綵絵」を所蔵しているの博物館が、皇居東御苑内にある三の丸尚蔵館です。

皇室は、献納された美術品を所有しているだけではなく、
院展などの美術展で買い上げた美術品など、多くの文化財を保有していました。

私が小学生の時に、昭和天皇が崩御されましたが、
その時、皇室所有の美術品の一部が、国庫に寄贈されたのです。

そういった美術品を一般公開してくれているのが、三の丸尚蔵館です。

三の丸尚蔵館 / 内国勧業博覧会-明治美術の幕開け-
(第1期:2012/4/21~5/13)(第2期:2012/5/19~6/10)(第1期:2012/6/16~7/8)



武士の時代が、いよいよ終わろうとした明治前期。
最後の武士の戦いである西南戦争開戦の1877年に、第一回内国勧業博覧会が行われました。

当時の日本は、武士の時代が終わることで日本刀や武具を作ってきた職人達は働き場を失い、
諸大名が多額の資金で支えてきた日本芸術も、大口顧客を失い、衰退の危機にありました。

そこで内務卿であった大久保利通は、西洋化の波に日本の技術がこのまま飲み込まれてしまうのではなく、
積極的に欧米の技術を取り入れ、新しい産業を興こす必要があると考えたのです。


そんなわけで、今回は明治初期の日本芸術展なわけです。

今回の展示会では、並河靖之(なみかわやすゆき)の七宝(しっぽう)が展示されるという事で、行って参りました。


まずは、荒木寛畝の孔雀之図から。

《孔雀之図(くじゃくのず)》荒木寛畝(1831年-1915年)筆 三の丸尚蔵館蔵
《孔雀之図(くじゃくのず)》荒木寛畝(1831年-1915年)筆 三の丸尚蔵館

実物は、こんな色あせた羽ではありません。

孔雀の羽の青さが、圧倒されるほど鮮やかでした。
サイズも襖(1.8M×1.8M)以上はあったと思います。

でも、正直どうも私には、ぴんと来なかったんですよね。

今回は友人のO川くんも一緒だったのですが、
友人曰く、「あれほど尾っぽを振っているのに、足の踏ん張りが足りない気がする。」との事。

確かに。


私の感想としては、孔雀の羽の付け根から尾びれの部分が、ダイナミックに展開しているわけですが、
この羽の広げ具合からいくと、孔雀からはさほど離れず、魚眼レンズで孔雀をとらえたような視点で描かれている気がするのです。

この作品も1~1.5mの距離で見ると、一本一本の羽が信じられないぐらい細密に描かれているのですが、
実際目に飛び込んできて、印象に残るのは『羽だけ』なんですよね。

ただのひいき目かも知れませんが、私は長沢蘆雪や円山応挙の孔雀の方が好きです。

蘆雪の孔雀の方が、気品そのものが、伝わってくる気がするんです。

右下にいる孔雀も、蘆雪なら描かない気がしました。



《蘭陵王置物(らんりょうおうおきもの)》海野勝(1844年‐1915年)作 三の丸尚蔵館蔵
《蘭陵王置物(らんりょうおうおきもの)》海野勝(1844年‐1915年)作 三の丸尚蔵館


すっごい細かいです。

見てると、頭が痛くなってくるぐらい、細かいです。

友人は「秋葉原のフィギアに通じる物があるよね」と言っていました。



さて。

面白かったのは、大蔵省印刷局の國華余芳(こっかよほう)です。


國華余芳(こっかよほう)とは、「受け継がれるべき国のすぐれた宝」の意味。

これは正倉院御物や伊勢神宮神宝などの収蔵物を印刷した美術品図集なのですが、
印刷に使われた石版印刷の技術が、とんでもないのです。

実際に見たページの画像が見つからないので、他のページの画像をご紹介。

《國華余芳-正倉院御物(こっかよほう)》大蔵省印刷局
《國華余芳-正倉院御物(こっかよほう)》大蔵省印刷局

《國華余芳-伊勢神宮神宝(こっかよほう)》大蔵省印刷局
《國華余芳-伊勢神宮神宝(こっかよほう)》大蔵省印刷局

なんと13版の多色刷り印刷。

当時の偽造紙幣対策として、大蔵省が本気を出せばここまでやれると内外へ示すために、
技術のすべてをつぎ込んで大蔵省が印刷したものの、あまりのできのすごさに、
この技術で偽造紙幣を作られると、偽造紙幣を防ぐすべがなくなると公にされなかった、歴史に埋もれた技術なのだとか(笑)

これは、すごい。

印刷物なのに、3Dかと思いました。


しかも正倉院の収蔵物は、欠損部分を修復した状態で印刷したものもあるとのこと。
写真ではなく石版印刷だからこそできたのでしょうけど、正直、今のCGでも、ここまで質感を再現できないと思います。


さて、


私が見たかった並河靖之は、第2期(5/19~6/10)の展示で、今回はありませんでした。

「展示替えの期間は、お休みです」ではなくて、「会期を3つに分け、展示替えを行います。」と書いて欲しかった・・・。



行ってみて思ったのですが、意外と狭いのですね。今回展示されていたのも、11点。

ちなみに入場料は無料です。

休館日が多いですので、行かれる場合はご注意下さい。

三の丸尚蔵館 休館日カレンダー
http://www.kunaicho.go.jp/event/sannomaru/sannnomaru-close.html
表参道ヒルズ 『清川あさみ・美女採集』 2012/4/27~5/6
美女採集・広末涼子×孔雀
◆◇美女採集・広末涼子×孔雀◇◆

表参道ヒルズで開催されている、清川あさみさんの『美女採集』を見てきました。

清川あさみさんの存在を知ったのは、2012年の2月5日の情熱大陸なので、比較的最近です。
その後、4月21日放送のナツメのオミミにも出演されており、そこで作品展があることを知りまして、行って参りました。

>『美女採集』には、上戸彩、加藤あい、佐々木希、寺島しのぶなど美女35人が並ぶ。清川がお気に入りの美女を「採集」。
>美女に似合う動植物のイメージで撮り下ろした写真に清川がCGを施し、紙焼きに糸やビーズ、
>布などでコラージュしていく作業は、まるで「写真を縫う」ようだ。 《朝日新聞デジタルより転載》



清川あさみさんは、もともとファッション誌のモデルをしていましたが、
自分がモデルとして表現できる美よりも、より幅広い表現をしたいと感じたことから、作り手側に回ったのだそうです。


清川さんの美女採集の特徴は、写真に針と糸で刺繍をする点にあります。


写真撮影自体は、カメラマンさんにお願いするのですが、傍らでポージングを指示します。
衣装は、布地をモデルさんの体にあてて仮留めを行い、その場で大胆にハサミを入れます。


写真に刺繍をする際は、下書きなどはせず、一気に針を突き刺します。
頭の中にイメージがあるため、ちょっとした合間に断続的に作業をしても、完成形はぶれないのだそうです。

ご存知なかった方は、ここを見ると良いかもしれません。 《朝日新聞デジタル(画像あり)へリンク》


画像を見ながら読んでいただくとわかりやすいとは思うのですが、
今回は納得いく画像を見つけられなかったため、文章だけで行くことにします。



とても面白かったです。

印象に残った作品について感想を書きます。

◆◇宮崎あおい×タヌキ◇◆ ←おすすめ
非常に驚いたのは、椅子に座った宮崎あおいさんの膝の上にチワワがいる点です。
清川あさみさんの作品の特徴は、採集対象を動植物に例えて、その美を引き立てる点です。
そこでやってしまうのは、対象を安易に動植物に近づける事だと思うのです。
動植物に例えるのに、違う動物がなんと作中におり、かつ、タヌキとチワワの接点はない。
それなのに、宮崎あおいさんの姿は、タヌキに見えてくる。
チワワを抱かせた点に、清川さんの自分の感性に対する自信を感じました。


◆◇相武紗季×ワニ◇◆ ←おすすめ
作中にワニを象徴する物は、対象がまとっている布地の模様程度。
作中には、花がいくつも咲いています。
正直、咲いている花とワニの共通点が、さっぱりわかりません。
それなのに、相武紗季さんは、ワニに見えてくる。
被写体の魅力を引き出せば、ワニである説明は、一切いらないと言うことでしょう。


◆◇堀北真希×グッピー◇◆ ←おすすめ
こちらも、画面に水草が漂うのみ。
それなのに、堀北真希さんは、グッピーに見えてくる。
この作品の好きな点は、手が込んでいない点です。
私は、物の本質をとらえると、手数は減っていくと考えています。
最小の仕事で、最大限の効果を生んでいる、すばらしい作品だと思います。


他にも惹かれた作品は一杯あるのですが、逆に『うーん』という作品も。


◆◇本上まなみ×フクロウ◇◆ ←ちょっとだけうーん
背景はきらびやかなビーズで、星が瞬く夜を表現していますが、
正直、なくてもいい気がしました。
星がきらめいている事を、作品が説明し始めている気がします。


◆◇剛力彩芽×キノコ◇◆ ←うーん・・・。
作中にお菓子の家のようなかわいらしい小屋があり、
煙突やら、そこいらに、キノコが飛び出ています。
キノコだらけに刺繍して、本人もキノコですと言われても、確かにそうでしょうけど・・・と口ごもりたくなります。
だいたいキノコって分類が、広すぎる気もするのです。
マッシュルームなり、しめじなり、なめこなり、全然違いますよね。

やっぱり、あれですかね。『剛力彩芽×なめこ』だと、事務所的にNGだったんでしょうかね。


他にも魅力的な採集が満載なのですが、全体を見てみて、
私の好きな作品と、そうでもない作品に分かれたので、なぜなのかを自分なりに整理してみました。


●私の好きな作品は、『採集対象の体部分に、大胆に針を入れている』

いくら写真といえども、人間の体に針を刺すという行為は、潜在的になんらかの抵抗があるのだと思うのです。
それでもかつ、躊躇なく採集対象の体に針を刺し、刺繍を施している作品は、刺繍そのものに迷いがないように感じました。

上記は、刺繍の一部が延びて対象の体にかかっている作品ではく、体の上に堂々と刺繍を行っている作品のことです。

刺繍を行うということは、刺繍した部分が、写真より浮き出て見えます。
つまり立体化された部分は、他の平面的な部分より、主張してきます。

私が惹き付けられた作品は、
立体化された刺繍が前面にあり、背面には写真におさめられ平面化された採集対象が存在しているわけですが、
作品としてみたときに、背面にある採集対象が、刺繍よりもさらに前に主張してくるのです。

これは、『清川さんの刺繍が採集対象の魅力を引き出した』と言えると思います。


●それに対して、採集対象の体部分に大胆に針を入れていない作品は、採集対象の背景である周辺部分が、
刺繍によって自己主張をし始め、結果的に採集対象の魅力は、刺繍の後ろに埋もれてしまっていると感じたのです。

これは、パソコンの画面で見ても判別できないでしょう。
実際に作品を、その目で見ないとわからない。

美女採集をパソコンの画像で確認した場合、刺繍部分の立体感が、写真と同一の平面となってしまうからです。


画像であっても、色彩の美しさと、採取対象と作品世界の一体感は少しは感じ取れるかも知れませんけど、

実物は、こんなものじゃない。


今回の作品展では、一部の作品の裏側も見ることができました。
作品を、裏から見ることができるのです。


その縫い筋の美しいこと。



是非、見に行っていただきたいです。

表参道ヒルズの作品展は、会期残りあと1日ですけどね・・・。



ただ、一つ不満だったのは、今回初展示となった初の男性モデルバージョン『男糸(だんし)』です。
確かに刺繍はきれいなんですけど、例えが動植物ではなく歴史上の人物なのです・・・。

◆金子ノブアキ×ミカエル
◆松坂桃李×森蘭丸
◆永瀬正敏×親鸞


ミカエルも親鸞も宗教がからんでしまってますが、
日本の艶っぽい男を大天使ミカエルと言われて、世界の人はどう感じるのでしょうね・・・。

森蘭丸は・・・戦国無双の森蘭丸でしょうか。それとも、戦国BASARAの方ですかね・・・。


やっぱり、人を人(?)に例えちゃうのは、少々無理を感じました。


私は、美女がいいです。
私は、美女がいいです。
東京国立博物館・特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」(2)
前回に引き続き「ボストン美術館 日本美術の至宝」展の(2)を書きます。

東京国立博物館・特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」(1)の続きになります。

さて前回、長谷川等伯の龍虎図に見とれた私ですが、
そこからしばらくすると、通路の向こうに伊藤若冲のオウムが見えてきます。

でもその前に、一幅の掛け軸。

《海棠に尾長図(かいどうにおながず)》狩野探幽(1602年-1674年)筆 ボストン美術館蔵
《海棠に尾長図(かいどうにおながず)》狩野探幽(1602年-1674年)筆 ボストン美術館蔵


さりげない展示で見過ごしてしまいそうになりますが、狩野探幽の傑作です。
画像をクリックして、大きな画像で見て頂きたいです。

海棠(かいどう)は春の花です。
目を離し再び海棠へ目を戻すと、そこにすでに尾長鶏の姿はなく、せせらぎのみがそこにある気がしてきます。

これ、いいですよねぇ。
初めて、掛け軸を欲しいと思ったかも。


では次に、伊藤若冲のオウム。

《鸚鵡図(おうむず)》伊藤若冲(1716年-1800年)筆 ボストン美術館蔵
《鸚鵡図(おうむず)》伊藤若冲(1716年-1800年)筆 ボストン美術館蔵


白の単色で、大変細かい筆遣いで描かれています。

さすが人気の若冲なだけあって、人だかりができていました。

でも、なんでしょ。

若冲の初期の作品らしいですが、私は思ったほどこのオウムに惹かれなかったんですよね。
それよりも、私は横にあった十六羅漢図(じゅうろくらかんず)の方に、興味を引かれました。

《十六羅漢図(じゅうろくらかんず)》伊藤若冲(1716年-1800年)筆 ボストン美術館蔵

羅漢(らかん)というのは、お釈迦様の優秀なお弟子さんの事でして、
お釈迦様には、山ほど弟子がいたのですが、そのうちの16人を取り上げた作品の4人が、一幅ごとに描かれているのです。

衣類のものすごい簡略描写と、コミカルな顔立ち。
写生派の印象が強い若冲の、省略された線描がとらえる対象の本質。
予想外の収穫でした。


続いて見えてくるのが、尾形光琳の松島図。

《松島図屏風(まつしまずびょうぶ)》尾形光琳(1658年-1716年)筆 ボストン美術館蔵
《松島図屏風(まつしまずびょうぶ)》尾形光琳(1658年-1716年)筆 ボストン美術館蔵

光琳の松島図は、俵屋宗達の松島図の模写になります。東北の松島を描いたものではないようですね。

波の表現がダイナミックですよね。

なんか昔、日本画の波の表現は、枯山水の影響を受けているみたいな事を聞いた気がするんですが、
私はこの松島図を見ながら、夏に大きな鍋でゆでる、そうめんを思い出したんですよね。

どこかに、日本画の波表現とそうめんの関係性を記した論文はないですかね。


さて、私が遠目に見つけてドキドキしたのが、曾我蕭白の鷹図。

《鷹図(たかず)》曾我蕭白(1730年-1781年)筆 ボストン美術館蔵
《鷹図(たかず)》曾我蕭白(1730年-1781年)筆 ボストン美術館蔵

奇才の画家で知られる曾我蕭白ですが、写実的な鷹を描いていることは、知っていたんです。
それがボストン美術館の所蔵であったとは!!

あれ?

なんか、おかしくない?


鷹が振り返っている構図ですので、重心は若干後ろに来ますよね。
しかし、鷹の足下の岩肌は平面的で鷹の爪が、岩肌にかかってないですよね。

なんか鷹を真ん中に先に書いてから、右下の岩肌を後から書き加えたと思うぐらい、アンバランスな気がしてきませんか?


このブログを書くために、ちょっと調べたのですが、私が見たかった鷹図は、こっちだったようです。

《鷹図(たかず)》曾我蕭白(1730年-1781年)筆 香雪美術館蔵
《鷹図(たかず)》曾我蕭白(1730年-1781年)筆 香雪美術館

ね。全然違うでしょ。

画像をクリックして、大きな画像でも見比べてみてください。


では最後に、この展覧会最大の目玉、曾我蕭白の雲龍図です。

《雲龍図(うんりゅうず)》曾我蕭白(1730年-1781年)筆 ボストン美術館蔵
《雲龍図(うんりゅうず)》曾我蕭白(1730年-1781年)筆 ボストン美術館蔵

でかー。

やはり生で見ると違いますね。
どうしても画像だと、視覚的に全体を一瞬でとらえてしまいますが、
この、一瞬で理解できないほどのスケールも含めての、芸術なのでしょう。

この雲龍図の展示は、頭4枚・尾4枚で構成されています。

つまり、畳で計算すると、8+8=畳16枚

しかし、この雲龍は真ん中の胴体部分が残っていないのだそうです。
よく見ると、龍の左手が切れてしまってなく、頭と尾のつなぎ目が、おかしいんです。

胴体部分が畳8枚なのか、畳16枚なのかわかりませんが、8+8(欠損)+8で計算すれば、畳24枚分ですよね。
これは、廊下に直線で並べたものなのか、部屋の四方を囲んだものなのかわかりませんが、さぞや圧巻だと思うんですよね。

私は結局、平成館に4時間半もいてしまい、帰る頃には足がガクガクいってました。
普通は2時間ぐらいで回るのではないのでしょうか。

ボストン美術館展の会期は2012年3月20日~2012年6月10日までです。
興味を持って頂けた方は、是非どうぞ。


東京国立博物館140周年 特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」
ホームページ:http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1416
特別展・特設ページ:http://www.boston-nippon.jp/
東京国立博物館・特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」(1)
上野にある東京国立博物館の平成館で「ボストン美術館 日本美術の至宝」が開催されています。
最近、日本の古美術にはまっているので、私も行ってきました。


入り口で目に飛び込んでくるのが、平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)作の、岡倉覚三(岡倉天心)像です。

《岡倉覚三像(おかくらかくぞうぞう)》平櫛田中((1872年-1979年)作 ボストン美術館蔵
《岡倉覚三像(おかくらかくぞうぞう))》平櫛田中((1872年-1979年)筆 ボストン美術館蔵

台座に「天心先生」って、書いてますね。

岡倉天心は、私の勝手な美術史(7)でもご紹介した東京美術学校(現・東京藝術大学)の設立に大きく貢献した人です。
東京美術学校第一期生には、横山大観(よこやまたいかん)や菱田春草(ひしだしゅんそう)が名を連ねており、
岡倉天心は27歳で、東京美術学校の第二代校長に就任しています。

その後、東京美術学校を去ることになりますが、
42歳でボストン美術館中国・日本美術部に迎えられて、後のボストン美術館東洋部部長を務めています。
近代日本の美術教育、伝統美術の復興、文化財保護などに多大な貢献をした人物です。

若い頃に心臓の手術をしており、その傷跡が漢字の「天」の字に見えることから、自らを天心(てんしん)と呼んだとのこと。

格好良すぎるだろうが。



さて、私の勝手な美術史(7)でもご紹介した、横山大観と菱田春草ですが、実は共に狩野派の画法を学んでいます。

室町時代から400年続いた狩野派は、常に画壇の中心に居座り、封建的画壇の弊害を作ったとされる場合もありますが、
当時の日本には美術学校がなく、古くからの日本画の技法をしっかりと受け継いてきた狩野派の絵師達のおかげで、
中世から近代において、日本画を基礎から学ぶことができたと、近年になって狩野派の存在が再評価されているそうです。

「円山応挙」や「伊藤若冲」、「尾形光琳」も実は、狩野派の画法を学んているんですよ。


さて、そんな横山大観の狩野派の画法のお師匠が、狩野芳崖(かのうほうがい)
菱田春草の狩野派の画法のお師匠が、橋本雅邦(はしもとがほう)です。


《江流百里図(こうりゅうひゃくりず)》狩野芳崖(1828年-1888年)筆 ボストン美術館蔵
《江流百里図(こうりゅうひゃくりず))》狩野芳崖(1828年-1888年)筆 ボストン美術館蔵


《騎龍弁天図(きりゅうべんてんず)》橋本雅邦(1835年-1908年)筆 ボストン美術館蔵
《騎龍弁天図(きりゅうべんてんず))》橋本雅邦(1835年-1908年)筆 ボストン美術館蔵


明治期、新しい日本画を模索した二人の狩野派の絵師の作品を、並べて鑑賞できたことは、とても良かったです。
実物は、二つともとても大きく、迫力があるんですよ。



前半は仏画が中心ですが、後半は刀剣や振袖なんかも出てきます。
来国俊作の短刀、備州長船兼光作の短刀などがありますが、
東京国立博物館所蔵の来国俊作の短刀は国宝扱い、備州長船兼光作の短刀は重要文化財です。

ボストン美術館の収蔵品が、幻の国宝と言われているのも、決して誇大な言い回しではないと言うことがわかります。


私は、振袖の魅了を再発見しました。

《振袖 黒縮緬地桜楓模様(くろちりめんじおうふうもよう)》美術商山中商会販売 ボストン美術館蔵
《振袖 黒縮緬地桜楓模様(くろちりめんじおうふうもよう)))》美術商 山中商会販売 ボストン美術館蔵


わ。きれいだ。これ。

日に全く焼けていません。
アメリカに持って行ったは良いけど、誰も着れなかったのではないでしょうか。
そもそも、着るという発想はなかったのか。

私は美術館にある衣類というのは、当時の日本の織物技術における資料的価値で展示しているのだと思っていました。
しかし、この振袖は、そのもの自体が美術品であるという気品を称えています。

他に展示されていた能衣装の「唐織」もまた見事なのですが、
この振り袖は、当時の公家の娘さんが着ていたであろうという記述に、是非、これを着た立ち姿を見たかったです。


さて次は、水墨画の日本の最高峰、長谷川等伯の「龍虎図屏風」です。

《龍虎図屏風(りゅうこずびょうぶ)(左隻)》長谷川等伯(1539年-1610年)筆 ボストン美術館蔵
《龍虎図屏風(りゅうこずびょうぶ)(左隻)》長谷川等伯(1539年-1610年)筆 ボストン美術館蔵

《龍虎図屏風(りゅうこずびょうぶ)(右隻)》長谷川等伯(1539年-1610年)筆 ボストン美術館蔵
《龍虎図屏風(りゅうこずびょうぶ)(右隻)》長谷川等伯(1539年-1610年)筆 ボストン美術館蔵


これは、すごい!

屏風絵ですので、実際は畳12枚分ほどの大きさです。

屏風の端に、「自雪舟五代長谷川法眼等伯筆 六十八歳」と書いてある、最晩年の傑作です。
牧谿の作風を引き継ぎ、雪舟を敬愛した長谷川等伯は、自らを五代雪舟と呼んだのだそうです。

さて、長くなったので、(1)と(2)に分けますね。
東京国立博物館・特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」(2)へ続きます。

東京国立博物館140周年 特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」
ホームページ:http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1416
特別展・特設ページ:http://www.boston-nippon.jp/

ちなみに会期は2012年3月20日~2012年6月10日までですよ。
三井記念美術館 渡辺始興の「鳥類真写図巻(ちょうるいしんしゃずかん)」
前回、三井記念美術館で茶器を見てきたときの事を書きましたが、
実は併設されていた鳥類真写図巻の方も、大変面白かったです。


《鳥類真写図巻(ちょうるいしんしゃずかん)》渡辺始興 筆

>動画でご紹介する渡辺始興の「鳥類真写図巻(ちょうるいしんしゃずかん)」は、
>17メートルに63種類の鳥類を描いた作品。
>羽の重なり方や細かな模様までビッチリと描き込まれた傑作で、
>東京国立博物館には円山応挙が本図を模写した作品も所蔵されています。
                                        インターネットミュージアムより引用

さて、この渡辺始興(1683-1755)が写生したこの図録を、
かの円山応挙(1733-1795)が模写したと書いてありますが、良かったのが展示方法です。

三井記念美術館では、独自に展示パネルを作成し、応挙と始興を見比べることができました。


私の印象としては、
これがまた、応挙がすごい。
模写したはずの、応挙の方がうまい。


渡辺始興は、いわゆる解剖の記録のように鳥を細部まで描いているのに対し、
円山応挙は、生きている鳥の生命力ともども図に描いた気がしてきます。

鳥の爪も、円山応挙がかいたものは、
鋭さだけではなく、大地を踏みしめる力強さまでも描かれているのです。

正直、伝わってくる印象がここまで違うことに、大変驚きました。


《鳥類真写図巻(ちょうるいしんしゃずかん)》渡辺始興 筆
《鳥類真写図巻(ちょうるいしんしゃずかん)》渡辺始興 筆
http://choro.cside.com/diary/20050223.html

《鳥類真写図巻(ちょうるいしんしゃずかん)》円山応挙 筆
《鳥類真写図巻(ちょうるいしんしゃずかん)》円山応挙 筆
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0078298

円山応挙の鳥類真写図巻は国立博物館のページで見れるのですが、
肝心の渡辺始興の鳥類真写図巻の写真が、いいのが見つかりません。
一応ブログでも比較してみましたが、これではわかりにくいですね・・・残念。

円山応挙に興味をもった方は、国立博物館のページの他の模写も見てみてください。
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0078298

円山応挙の鳥の目には、生命力があると思いませんか。
円山応挙の鳥は、まさに空気を吸い込んで、こちらを威嚇してくるように思えませんか。
足の先、羽の先まで、力が込められているのが、わかりますでしょうか。

本当に貴重な体験をさせて頂きました、三井記念美術館のキュレーターの方に心から感謝します。
三井記念美術館 茶会への招待 ~三井家の茶道具~ 2012/2/8~4/8
先日、三井記念美術館で茶器を見てきました。
もう終わってしまいましたが、忘れないために書いておきます。

もともとは、長次郎の黒楽茶碗を見てこようと思ったのがきっかけでした。

重要文化財《黒楽茶碗》銘 俊寛 楽家初代 長次郎作
《黒楽茶碗》銘俊寛 楽家初代 長次郎作

長次郎は、千利休の指示で、利休好みの茶器を京都で焼いた人です。

自然の中の飾らない美を追究した利休ですが、
こんな事を素直に書いて、私の品格を疑われるのかも知れませんが、
ただの黒い茶碗に、良いも悪いもあるのか、自分の目で確かめたかったのです。

そして、実際の黒楽を目にして、その存在感はすごかったです。

重厚で暖かいその色合いや形状も気に入ったのですが、
画像では見えませんが、上から見た時の色合いが、大変気に入りました。

本阿弥光悦作の黒楽茶碗もありましたので、
そちらも見て頂きたいのですが、

重要文化財《黒楽茶碗》銘 雨雲 本阿弥光悦作
重要文化財《黒楽茶碗》銘雨雲 本阿弥光悦作

この縁のさびれた茶色の土の色合いが、長次郎の黒楽の内側にも広がっているのです。
その土の地肌の茶の中で抹茶をたてたら、さぞや美しいだろうと想像して見ていました。

※長次郎の黒楽茶碗を上から撮影した写真を探したのですが、見つかりませんでした。

次に見て頂きたいのは、初代長次郎と、三代道入の比較です。

《赤楽茶碗》銘 銘鵺(ぬえ)楽家三代 道入作
《赤楽茶碗》楽家三代道入 銘鵺(ぬえ)

実はこの赤楽茶碗ですが、どうも私には、ぴんと来なかったんです。
景色も楽しめますし、手に持ったときにしっくり来るのも、わかるんです。
しかし、いかんせん、どうも好きになれない。

その時、自分が仁清をあまり好きではないことを思い出しました。

《色絵鱗文茶碗(いろえうろこもんじゃわん)》野々村仁清作
《色絵鱗文茶碗(いろえうろこもんじゃわん)》野々村仁清作

《色絵桐巴文水指(いろえきりともえもんみずさし)》野々村仁清作
《色絵桐巴文水指(いろえきりともえもんみずさし)》野々村仁清作


仁清は、高い技法だけではなく、斬新なデザインでも注目された人で、
琳派にも大きな影響を与えたとされる陶工です。

色絵鱗文茶碗では、鱗を三角形にデザインしてますよね。

私は、仁清の洗練されたデザインがすばらしいことはわかるのですが、
あえていうなら、どうも作為的なものを感じてしまうのです。

ちなみに古田織部が朝鮮で焼かせたという、御所丸茶碗も展示されていました。

《御所丸茶碗(ごしょまるじゃわん)》
《御所丸茶碗(ごしょまるじゃわん)》


実は織部焼も、同様の理由で、個人的にはあまり好きではないんです。
どちらかというと、完全に無作為な、井戸茶碗の方が私の好みなのです。

《大井戸茶碗》上林井戸
《大井戸茶碗》上林井戸

井戸茶碗はもともと朝鮮の生活雑器で、それを茶の湯で茶器に見立てて使ったものです。
その素朴な景色に味わいを見いだした、日本人の感性に、とても敬意を表したくなります。

また、火襷(ひだすき)も好きです。

《備前火襷水差(びぜんひだすきみずさし)》
《備前火襷水差(びぜんひだすきみずさし)》

火襷とは、陶器同士が窯の中でくっつかないように、藁を巻いて焼いたところ、
赤い線が文様として、表面に現れたものです。


そして、作為的でありながらも、また偶然の産物としての一つの完成形として、
天目茶碗があるような気がしました。

重要文化財《玳皮盞(たいひさん)》鸞天目(らんてんもく)
重要文化財《玳皮盞(たいひさん)》鸞天目(らんてんもく)

昔、蓮の花托の画像が世の中に出回って、ぞっとしましたが、
天目茶碗の無数の目は、身の毛のよだつほどの神秘さをたたえています。

ちなみに天目茶碗は中国で焼かれた陶器らしいですが、
中国人は、この模様を不吉なものとして嫌ったらしく、
中国の美術館には、天目茶碗は1つも残されていないそうです。

吸い込まれるような天目の美しさは、恐怖と紙一重なのでしょう。


そして最後に見て頂きたいのが、国宝の志野茶碗

国宝《志野茶碗》銘卯花蠣(うのはながき)
国宝《志野茶碗》銘卯花蠣(うのはながき)


この志野茶碗も、作ったときは作為が込められているのでしょうが、
碗自体に、作為性は感じませんでした。

重要文化財と国宝の差がどこにあるのかまでは、今の私にはわかりませんでしたが、
やはり、名のある名器は、どれも風格と存在感を備えていました。


さて、道入の赤楽が、なぜ私の好みでなかったのか、自分なりに考えてみたのです。

それはおそらく、私にはどうも『がんばってる』気がした。

という事なのではないかと思ったのです。


私にとって、無作為がすべてすばらしいという意味では、ありません。


ただ『がんばってる』と感じてしまうものは、茶器も役者も、私は好きじゃないんだな。

という、結論に至ったのでした。
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